弐の3 猿芝居もうやめろ
清掃班の班長にどうすればなれるのか、幾夫はそれまで知らなかった。班長が班長になる瞬間を見たことがないからだ。半年ごとに全校規模で清掃班は組み替わるから、六年生に上がった時点で選ばれるのだろうとぼんやり考えていた。
実際は、そうではなかった。班長は、五年生の下半期から育成が始まっていた。
この小学校は、五年生が六年生に上がる際に、クラス替えがない。五年一組は、そのまま全員六年一組に進級する。そして、班長候補生は、五年生の後期の清掃班から離れない。ずぶの素人に新しい持ち場の責任者を任せられないからだろう。
班長は六年生の秋に交代しないだけで一年間の任務だと幾夫は思っていた。班長としての任期が一年なのは間違いないが、半年前から持ち場の全容を掌握させられる。班長は、一年半もの長きにわたって同じ持ち場を担当するのだ。
つまり、遥たちの学年が卒業したら、校長室の清掃班は五年生の幾夫、有馬のいずれかがそこにとどまり、六年生に進級して班長の座に収まる。班長にならなかった方は、別の清掃班に、副班長として、あるいは職員室など大規模清掃班には三番手、四番手として移ることになる。
有馬が「班長に協力する」と言って改心したのは、班長の座を狙っているからではないかと幾夫はにらんだ。
それならそれで好都合だ。班長などという重責は負いたくない。これまで散々、清掃班トップの苦労を見てきた。遥に対する一時期の自分たちの攻撃は辛辣で、女子と男の違いはあるにせよ、自分や有馬のように反抗的な下級生を指導する能力が自分に備わっているとは、幾夫にはとうてい思えない。
「谷本くんがいいと思います」
年が改まって進級に関するあれやこれやを決めていく過程での学級会で、有馬が挙手して発言した。その日の会では、清掃班の班長を選抜することになっている。有馬は謙遜しているのだろうと、幾夫は思った。なにかの役員に推挙された者は、率先して引き受けたくてもいったんは断るという社交辞令が、幾夫にも三年生ぐらいのころから理解できていた。
「ぼくは、有馬くんがいいと思います」
幾夫も挙手した。有馬の猿芝居に応じてやるつもりだ。
「校長室の清掃班は筆頭班長だからな。慎重に選ばんといかん。後回し」
教室の後ろにいすのキャスターを転がして持っていってそれに尻を載せ脚を組む担任が、学級委員による会の進行に口を挟んだ。
筆頭班長という言葉を、幾夫は初めて聴いた。有馬が遥のことを一番偉い班長と言っていたのはこれではないかと合点がいった。班長選抜の最初に校長室の名前が挙がったことも、それを裏付ける。
では、秋の段階で校長室の清掃班に組み込まれた際は、どうやって持ち場が決まったか。幾夫にはよく思い出せない。五年生下半期の清掃班が、そのまま班長選抜に持ち込まれると知らなかった。校長室に行こうと有馬に誘われた気がする。自分が有馬を誘ったような記憶もある。
有馬はその時点で、班長選抜を意識していたか。分からない。担任は想定していたはずだ。分かっていて、幾夫と有馬の校長室入りを許可した。担任の頭の中では、筆頭班長は有馬で固まっているだろうと、幾夫は安心した。有馬の方が幾夫より身体が大きく、リーダーシップを備えクラスのまとめ役でもある。
だから、幾夫は気が楽だった。
「次は家庭科室を決めます」
二人いる学級委員のうち男の委員長が議事を進めた。
「家庭科室はやっぱ女子がいいんじゃないの」
挙手せず、男のクラスメートが不規則発言した。
「今も二人とも女子だよ」
つられて女子が不規則発言した
幾夫は妙な規則性に気づいた。校長室の六年生は、遥も副班長も女子。それを引き継ぐ五年生は、幾夫も有馬も男。四年生以下の顔ぶれを思い描いた。どの学年も、男か女子に偏っている。それが、同性同士で誘い合って同じ清掃班に希望し入ったためなのか、筆頭班長が君臨する校長室だからこそなにかしら学校側の思惑があるのか、幾夫には判断がつかない。
五年一組が担当し六年一組に進級しても持ち場となる清掃班の班長は、自薦と他薦によって決まっていった。いくつかの「後回し」が残った。いすのキャスターを転がして担任が教室の前方に戻り、教卓にいた学級委員長と副委員長の職務を解いた。
「じゃ、校長室からもう一回やるぞ」
どうやるのか、幾夫には分からない。
「おれ、絶対嫌だからな。先生。ぼくは、今の班長にいろいろ迷惑をかけました。ぼくには班長なんてできません。谷本くんでいきましょう」
前方の席にいる有馬は、幾夫を振り返って強い口調で言い放った後、前に向き直り挙手しながら発言した。なにを有馬はそんなにむきになっているのかと、幾夫は不思議だった。芝居はもう十分だろうと言ってやりたかった。
「谷本、どうだ。できそうか。引き受けるか」
担任が尋ねた。
「だめですよ。ぼくの方が今の班長に迷惑をかけてます。有馬くんはそれを止めてくれました。班長は、有馬くんがふさわしいです」
遥に自分がどんな迷惑をかけたのか、幾夫は言わない。担任に知られるとやぶ蛇だと用心した。それは、有馬にとっても同じことだろうと幾夫は思った。
有馬は振り返って口だけ動かし声を出さず幾夫になにかを抗議するが、幾夫には有馬がなにを言っているのか分からない。
「まあいい。よし、決を取ろう」
担任が言った。校長室の清掃班の特殊性は、そこに配属された経験者にしか分からない。清掃中の幾夫と有馬の様子をほかのクラスメートが知るはずもない。なにも知らないクラスメートに判断をゆだねるのはばかばかしいと、幾夫は思った。
しかし、結果は予見できている。幾夫はなにも心配していない。
「どちらかに手を挙げろよ。有馬がいいと思う者」
クラスの男女ほとんどが挙手した。勉強もスポーツも幾夫より優れている有馬が選ばれるのは、火を見るより明らかだ。幾夫も手を挙げた。
「二十六、二十七、二十八。二十八人だな。それでは、谷本がいいと思う者」
挙手したのは、有馬一人だけだ。十人ほどは、どちらにも手を挙げなかった。有馬の班長就任が決まった。
(「弐の4 女子が好む折り方」に続く)