参の1 ジョージのギターが泣いている
帰省の準備をしながらビートルズのことをあれこれ調べていて、ジョージ・ハリスンがギターをソロで弾く『レット・イット・ビー』の間奏の謎は、すぐに解けた。どこかの誰かが、インターネットのサイトに日本語で詳しく書き込んでいた。
貸しレコード店から買い取った『リール・ミュージック』に収録されていたのは、アルバムバージョン。テレビやラジオでよく耳にするのはシングルバージョンだった。
無料の動画サイトで、両方を聴き比べてみた。アルバムバージョンの間奏は、幾夫の記憶通り。ジョージのギターは泣いているようだ。シングルバージョンのジョージは、怒っているかのようだ。
違いは間奏のギターだけではなかった。アルバムバージョンは、シングルバージョンよりサビの繰り返しが一回多い。
なぜシングルバージョンばかり耳にしたのか、ネット情報からは読み取れない。レコードの時代には、回転スピードが速いシングル盤の方がより細かい情報を刻み、読み込むことができたからかもしれない。放送では、フルコーラスを流すため短いバージョンを使ったのかもしれない。
そして、ポール・マッカートニーのピアノは、いずれのバージョンも同じ個所で打鍵を誤っている。これは、同じ音源を使ってプロデューサーがミキシング録音したためらしい。解散直前にはメンバー四人が集まることもなかったという、恵比寿のにわか仕込みの解説の信ぴょう性が改めて裏付けられた。
ネット情報によればレコード『リール・ミュージック』はCD化されていないはずなのに、オークションサイトに出品されていたから落札してみた。いかにもといった海賊版だった。
リンゴ・スター主演映画『おかしなおかしな石器人』のDVDも、海賊版らしきものが出回っている。幾夫は購入した。
人類が初めて火に触れた際、テレビの翻訳で声優が「あひい」と当てたリンゴのせりふは、幾夫がにらんだ火を意味する英語の「ファイヤー」ではなかった。吹き替え前も意味の分からない言語だ。
ビートルズの存在しないパラレルワールドに迷い込んだミュージシャンが主人公の、イギリスで制作されたファンタジー・コメディ映画『イエスタデイ』の公式発売DVDを買った。作中で、銃撃されず生き延びたジョン・レノンは七十八歳になっていた。五十代の俳優が老け役を演じている。
ジョン・レノン生誕八十年と没後四十年、ビートルズ解散五十年の節目を狙ったと思われる、ドキュメンタリー映画『レット・イット・ビー』のために撮影した膨大なフィルムを編集し直すという触れ込みの新作映画『ゲット・バック』は、コロナ禍のため世界同時公開が延期され、さらに、日程まで決まっていた延期の公開計画も頓挫し、米国の動画配信サービスの番組として再編集された。
再編集版はDVD、ブルーレイとしてすぐに売り出されたが、国内向けはビートルズ世代すなわち金満の団塊の世代を狙ってであろう異常に高い定価が付けられたから、幾夫は買おうかどうしようか迷っている。
さだまさしがピエロの役で出演する実話を元にした映画のDVDが、通信教育を展開する会社から発売されていることが分かった。こっちは迷わず買った。
幾夫を美しい日本語の世界にいざなった楽曲『道化師のソネット』は、ベストアルバム『昨日達…』に収録されていることが分かった。貸しレコード店で借りてテープに落としたはずだが、アルバムのタイトルまでは覚えていない。
そのアルバムタイトルをさだは「イエスタデイズ」と読ませている。世界中で愛されるビートルズの楽曲名との妙な符合に、幾夫は不思議と合点がいく思いがした。
プレーヤーがないから、もはやレコードは再生できない。しかし、静子の話では、カセットテープがまだあるという。幾夫は、がらくた電気製品を押し込んでいる自宅兼仕事場のクローゼットの奥から、かつて取材で使っていた小型テープレコーダーを探し出した。ポール・マッカートニーを見にいった東京ドームで、アルバイトらしい女性係員にとがめられ取り上げられた機材だ。
録音機能があることや小さいながらもスピーカーが付いていることから、小型とはいっても、ヘッドホンでの再生専用の、幾夫の高校時代に流行した同じソニーのウォークマンより一回り大きい。
がらくたの小型テープレコーダーが、果たして正常に作動するかどうか、分からない。別の用途で手元にあった単三電池を入れてみたら、テープを巻く軸はくるくる回る。しかし、カセットテープが手元になく、ヘッドや再生系の配線が生きているかどうかの確認はあきらめた。
かつて新幹線の終着点だったターミナル駅で、幾夫は下車した。生まれ故郷に行くには、県境の山を越えなければならない。レンタカーを借りるか、高速バスに乗るか、決めていなかった。
そうだ、このまま汽車だ。
さだまさしの楽曲『案山子』のことを、幾夫は思い出した。親元を離れ遠方で暮らす弟か妹に兄が向けたという設定の作品だ。さだには実際に、弟も妹もいる。
ライナーノーツではなかったはずだが、なにかの文献に、さだがこの曲を作ったいきさつが記されていた。新幹線の終着点だったその土地と、幾夫が生まれ育った山の向こうの土地とを結ぶ列車の窓から見えた光景がきっかけだという。そのことを幾夫はずっと忘れていた。突然思い出した。
県境を越える電化されていないその単線は、レールの設計が古いためか、幾夫が乗った、幾夫の高校時代には走っていなかった特急列車はひどく揺れる。
高校一年のころ映画を見るためキセル乗車し、恵比寿をいけにえとして差し出した無人駅は、あっという間に通り過ぎた。かかしはどこにも見当たらなかった。
(「参の2 きれいな『C』で始まる耳コピ」に続く)




