弐の22 ジャーナリスティックなテレビCM
幾夫を日本語の美しさにいざなったシンガーソングライター、さだまさしの往年の名曲『償い』が、発表から二十年を経て改めてスポットライトを浴びた。
四人の少年が駅でトラブルになった銀行員の男性に殴る蹴るの暴行を加え死なせた事件の公判で、東京地裁の名物判事が、反省の色が薄い少年たちを諭した。
「きみたちはさだまさしの『償い』という歌を聴いたことがあるか。この歌のせめて歌詞だけでも読めば、なぜきみたちの反省の弁が人の心を打たないか分かるだろう」
『償い』は実話に基づく楽曲で、作詞のことを作詩と表現するさだまさしが歌詞に登場させる交通事故を起こした青年ではなく、事故で夫を亡くした女性がさだの知人だった。さだのレコードの、高校時代はその名称さえ知らなかったライナーノーツでは、そのことはあいまいにされていたと幾夫は記憶している。
地裁判事の『償い』説諭と同じころ、関西出身の人気お笑いコンビのうちの一人がテレビかラジオか文献かで、幾夫がさだまさしに魅了されるきっかけとなった楽曲『道化師のソネット』の〈笑ってよ、きみのために。笑ってよ、ぼくのために〉で始まる歌詞を、「芸人の根本だ」と絶賛していた。この芸人はテレビでもラジオでも週刊誌の連載でも活躍していたから、複数の場所で同じことを言っていたのかもしれない。
さだはイタリア語で「小さな歌」を意味するソネットを曲名に入れた後になって、自ら「作詩」したその歌詞がイタリアの定型詩と同じ十四行である偶然に気づき、「神様っているのかも」と驚いたという。
出版不況が深刻化し、それは幾夫が勤める専門出版社にも影を落とした。従業員の首切りが進んだ。ずるずると書籍編集部にとどまっていた幾夫は取材部門に戻れぬまま、三十九歳で職場を退いた。
ジョン・レノンが死んだ不惑の年を迎え、さらにそれを越え幾夫は、専門出版社時代のつてを頼って、原稿書きの仕事を請け負った。書籍編集の経験は、それが専門出版社でのことだったからか、嫌々やらされ身に付かなかったせいか、役に立たなかった。
フリーランスで活動したり、編集プロダクションと業務委託契約を結んで仕事を受注したりの不安定なライター生活が続いた。不眠症はいつの間にか収まっていた。
自宅でテレビを見ていて、「あっ」と声を上げた。ジョン・レノンと二番目の妻、オノ・ヨーコとの間の息子であるショーン・レノンが出てきた。二十年以上前に、異母兄のジュリアン・レノンが出演したのと同じ自動車メーカーのCMだ。米国の後を追うように国内マーケットの主流となったミニバンを宣伝していた。
「ジャーナリズムだ。芸術だ」
自分以外誰もいない部屋で、幾夫は独りごちた。
元プロ野球選手で野球解説者の江川卓と、江川を入団させるため交換で読売ジャイアツを追われた小林繁が、二十八年にわたるわだかまりを越えて、日本酒のテレビCMで共演したのを前の年に見た時と似た思いにとらわれた。
偉大な父を持つ異母きょうだいには、江川と小林との間のようなわだかまりがあったはずだ。報道機関に就職できず、専門出版社を勤め上げることもできなかった幾夫は、やり直しが利くもっと若いころ進路変更し広告業界に身を投じるべきだったかと悔やんだ。
もはや家族も同僚もいない幾夫は、ショーンのミニバンのCMも、江川と小林のCMでの和解も、感動を共有する相手を欠く。小林は、江川との和解CMがオンエアされた二年半後に、心筋梗塞で死んだ。五十七歳だった。
江川、小林和解CMとは別の国内酒造会社の清涼飲料のCMにリンゴ・スターが出演していたと、ずっと後になって知った。家庭と仕事が暗転し幾夫はテレビを見る余裕がなかったころのことらしい。
りんご果実をすりおろしたというその清涼飲料のCMに起用されたのはもちろん、彼の名前のためだ。リンゴ・スターは本名ではない。日本語のりんごに倣ってステージ名を付けたわけでもあるまい。
でも、ビートルズが設立したレコードレーベルが日本語でりんごを意味する「アップル」であることと考えあわせると、日本語にこだわりがある幾夫にとって、なんだか因縁めいた思いが拭えない。
父は七十九歳でこの世を去った。腎臓でがんが広がっていたが、認知症が進行していることから、本人の苦痛を伴う延命治療は受けさせないと、幾夫と静子とで決めた。
長男である幾夫が本来なら喪主を務めなければならないのだが、葬式の段取りはすべて、隣の県に嫁ぐ静子に任せた。
母も認知症が進行していた。
生前の父も残された母も、静子が嫁ぐ隣県の施設に入っていた。幾夫にとって良い思い出がまったくない、頭金の出どころが分からない住居は、ずっと空き家になっていた。
(「弐の23 老眼鏡をぶら下げる」に続く)




