弐の21 フィルムだけでも守りたかった
高校卒業以来一度も門をくぐったことのない実家に、十七年ぶりに帰った。三十五歳の時のことだ。
離婚して一人になり、ペンを奪われた仕事はうまくいかず、そのせいであろう不眠症になって、かかった心療内科で心の病を指摘された幾夫は、相手に対し勝手に設定した禁を、自らの都合で勝手に破った。精神が弱っていた。
農協をすでに定年退職していた父は、物忘れがひどくなったと言った。まだ痴呆と呼ばれていた認知症の典型的な初期症状が見て取れた。
「この家は、芳倉のじじいが頭金を出したのか。ローンもじじいが払ってたのか」
死んだ祖父のことを、父に尋ねてみた。
「そんなことがあるもんか。農協に借金して建てた。月々の給料で返した。もう払い終わった」
母の言い分と対立する。
「八ミリカメラと映写機はどうなった」
心底から悔しそうな表情に、父はなった。
「おまえと静子が映っとるフィルムを付けて貸したらちゃんと返してもらえるんじゃなかろうかと思うとった。間違いやった。カメラも映写機も、フィルムごと取られた。フィルムだけでも手元に置いておくべきやった」
幾夫が大学に入る時、収入関連の書類を出すことに難色を示したのは、詳細な所得額を母や祖父に知られると、八ミリカメラや映写機以外にもなにか取り上げられると父は恐れたのかもしれない。父の言い分の方が正しいだろうと、幾夫は半ば確信した。なぜなら、母は相変わらず狂っていたからだ。
息子である幾夫に自分たちがなにをしたのか、幾夫がなぜ十七年もの間、実家に帰らなかったのか、狂った母はてんで分かっていない。自分の子育てがいかに正しかったかを述べ立てる。
幾夫は静子よりも静子の夫よりも出来がいいと見当違いの褒め方をする。幾夫を信じ続けてよかったと喜ぶ。
もうどこにも行かんでいいと言う。結婚した相手が悪かったと、会ったこともない元女房やその親族をなじる。
やはり会ったこともない、取られた沙羅を取り返すと憤る。
隣の家の主婦を塀越しに呼び出し、大声で息子自慢を展開する。ところでおたくの息子はどうかと、隣の主婦をあおりたてる。
そういうことをするから縁を切ったんだと我を張る元気は、精神の弱った幾夫には残っていなかった。言っても狂った母には分からないだろうとあきらめた。
幾夫の義弟に当たる静子の夫と、幾夫は初めて顔を合わせた。まだ幼い、めい、おいとも会った。お義兄さんと、義弟は呼んでくれた。
「いろいろすまんかったな」
静子にわびた。
「分かっとるよ。仕方なかよ」
ハンカチで目頭を押さえながら、静子は言った。女の子で将来家を出ることになる静子は、母や母方の祖父から幾夫に対するほどひどい仕打ちを受けていなかった。幾夫に比べれば自由放任で育てられた。
しかし、狂った母は孫に当たる幾夫のめいの目の前で、「やっぱり男ん子の方がいいね」とおいだけをかわいがる。おいを溺愛する。おいの姉であるめいは、そのたびに悲しそうな表情を見せる。お気に入りのお人形さんを両腕で強く抱きしめる。
なぜ孫にそんなひどいことが言えるのかと、幾夫は狂った母に意見できない。意見すれば、同情すべきめいっ子に、やはり自分は祖母から疎まれているのだと感づかせてしまう。
男の子の方がいいと褒めているのになぜ男の子である幾夫が怒るのか、とでも気が狂ったことを言い放ち、生来気の狂っている母はさらにめいを邪険に扱うことが目に見えている。
その後も何度か幾夫は帰省したが、母とは和解できぬままだ。
そもそも母は、息子との間で問題を抱えるとは最初から思っていない。自分が間違ったことをしたとも、今もしているとも分かっていない。自分は正しいと信じて疑わない。
だから、後悔などしていない。幾夫に対する謝罪めいた言動は一切ない。
(「弐の22 ジャーナリスティックなテレビCM」に続く)




