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班長のビートルズ  作者: 守尾八十八
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弐の20 暴力を見られる

 幾夫たちのことを教えてしまって申し訳ないと、女房の母親から女房あての謝罪の手紙が届いた。

 手紙の文面を、幾夫は見せられた。母親にこんなことまでさせたくなかったと、女房は涙ぐんだ。こんなこととは、幾夫たちの居場所や近況を漏らしたことと、謝罪の手紙をしたためたことの両方だ。悪いのはすべて幾夫の狂った母だ。


 その少し後を境に、幾夫の職業生活と家庭生活は暗転する。

 仕事でへまを連発して、異動で取材部門を外された。書籍編集部に飛ばされ、社内に幽閉された。

 女房の母親に謝罪させたことの罰が当たったのかもしれないと、幾夫は思った。死んだ祖父が地獄の底から幾夫の足を引っ張っているのかもしれないとも考えた。


 美しい文章を書く仕事がしたくて、その出版社に就職した。しかし、書籍編集部では社内外の書き手の原稿を読んで体裁を整えるだけで、自ら原稿は書けない。書けなければ、そこにいる意味がない。会社の人事システム上、将来、取材部門に戻れる保障はないから、転職先を探した。

 へまをして取材部門を外されたというよくない経歴は、転職活動を難航させた。

 読者と取材対象とスポンサーがほぼイコールで世界が狭い専門出版社では、たとえ取材部門に戻れたとしても、ジャーナリスティックな仕事ができないという漠然とした不安もあった。ポール・マッカートニーのライブを東京ドームで見た日、取材なら報道窓口で手続きをと言われ、みじめな思いをした。そんな目に幾夫は何度も遭わされている。

「記者を名乗っているけど報道じゃない。ジャーナリストじゃない」

 常にそう言われている、思われている、見られているような、被害妄想に近い感情が、職歴を重ねるほど増していった。取材部門にいるときもそうだったし、異動して少し離れた視座から同僚記者を見ていてもそれは変わらない。


 異動前も後も、新聞社の中途採用試験に出願したことがある。しかし、専門出版社での記者経験は経験として認めらないようで、いずれも書類選考を通過しなかった。


 へまをしたのも左遷させられたのも転職がうまくいかないのも、女房や沙羅のせいではない。だけど、幾夫は女房に八つ当たりするようになった。暴力を振るった。一度振るったら歯止めがかからなくなった。二度目からは、なんでもないことで手が出た。

 女房への暴力を、キッチンの床に座っていた沙羅に見られた。幼い沙羅は両手で自分の両耳を押さえ、いやいやをするようにかぶりを振った。目の前の恐ろしい光景が信じられずどうしてよいか分からないというような仕草だ。そんな沙羅の姿を、幾夫は初めて見せられた。

「狂った親に育てられたからそうなるんだよ。あんたも狂ってる」

 おびえる沙羅を抱き寄せ、女房は泣きながら糾弾した。その通りだと幾夫は思った。


 幾夫の父は、自身の父親の顔を知らない。幾夫の祖父に当たる人物は、父が物心つく前に死んだ。祖母が、末っ子の父親を含む五人きょうだいを女手一つで育て上げた。父は、父親のあり方というものを知らない。

 祖父に溺愛された母も、幼くして実母を亡くしている。母方の存命の祖母は、母にとっては継母だ。だから、幾夫は母方の祖母とは血がつながっていない。祖父が教師として勤める高校に六年通ったという自慢とも自嘲とも判断のつかない昔話とともに、幾夫も静子もことあるごとに聴かされた。母親がいる幾夫や静子は幸せ者で、自分に感謝しなければならないと狂った母は主張する。母は、母親のあるべき姿を知らない。

 父親像と母親像を知らない父と母に育てられ、それに母方の祖父が強く介入する環境で、幾夫がまともに成長できるはずがなかった。まともな父親になれるはずがなかった。まともな家庭を築けるはずがなかった。女房の言うことはもっともだ。


 幾夫が三十一歳の時、女房は沙羅を連れて家を出た。両親のいる実家に帰った。沙羅は三歳だった。その後、一方的に離婚届けの用紙が女房から送られてきて、幾夫は判を押して返送した。


 ジョージ・ハリスンが五十八歳で病死した。ビートルズメンバーだった四人のうち銃撃され殺害されたジョン・レノンに続き二人目がこの世を去った。


(「弐の21 フィルムだけでも守りたかった」に続く)

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