弐の19 名付けで不幸を背負わせられぬ
「国際的に通用する名前にしよう」
女房はずっと言っていた。女の子だと分かっていた。
和風な名前に、幾夫はこだわった。
サラ――。
《祇園総社の鐘の音》で始まる『平家物語』に、《沙羅双樹の花の色》というくだりがある。沙羅双樹とは釈迦が入滅した場所に生えていたとされる木のことで、植物としての沙羅はインド辺りに生えるが、仏教は六世紀に日本に伝来しているし、鎌倉時代に成立したとされる平家物語からして極めて和風。スペルを工夫したり、それによってセイラと読ませたりすることで、英語圏でも通用する。
ハナ――。
明治時代から戦後ごろまで典型的な日本人女性の名前だった「花子」から、現代風になるよう「子」を取る。これも沙羅同様に、書き方、読み方の工夫で、国際的に通用する。ハンナと読ませることもできる。平家物語で沙羅双樹のすぐ後に出てくるのも、サラと深い関りがあってよけいに好ましく感じられる。
このどちらかで決めようと二人で話し合った。
「幾夫くん、幾夫くん」
出産予定の数日前、会社から長期の有給休暇と夏季休暇を抱き合わせで認めてもらい、里帰り出産する女房の生家に、女房の帰省から二カ月遅れて赴いていたときのことだ。幾夫は岳父に手招きされた。
岳父は書斎で、すずりに向かっていた。
《真実》
《由美》
《京香》
女の子の名前と思われる漢字が、何枚もの半紙いっぱいに毛筆でしたためられている。
「裏、表のない、右、左の分け隔てのない名前がいいんじゃないかな。せっかく姓が左右対称なんだ」
《早苗》
《果林》
《里奈》
《亜貴》
《茉央》
《富士》
《千草》
座卓の傍らでは、左右対称の女の子用の名前が書かれた半紙が畳の上に散乱している。
「未来と書いて、みくちゃんなんかかわいらしいよ。宇宙と書いてそらと読ませるのもしゃれてるね。空も左右対称だ」
《幸》
《英》
《薫》
《圭》
《奎》
《景》
《文》
《泰》
《奏》
《尚》
《章》
《昌》
《晶》
《豊》
《益》
《朋》
《宵》
《斉》
《光》
《晃》
《杏》
《栞》
《蕾》
《茜》
《蘭》
《蓉》
《芙》
《爽》
《喜》
《善》
《典》
《基》
《榮》
《亮》
《宗》
《崇》
《童》
《共》
《吉》
《高》
《尭》
《克》
《立》
《市》
《宜》
《宣》
《亘》
《音》
《元》
《円》
《周》
《天》
「曜日も干支も方角も色の名前も、左右対称の漢字が多い。地名にも数字にも。左右対称は普遍的なんだよ。縁起がいいんだよ。幾夫くんもあと一字で左右対称なのに、惜しいねえ」
惜しいねえと岳父が言い終わるか言い終わらないかのうちに、大きな音がしてふすまが開いた。臨月の女房が仁王立ちしている。
「父ちゃん、いいかげんにして。わたしたちの子のことには一切口出ししないで」
強い口調で女房は自分の父親に言い渡した。
「あんたはもういいから、こっちに来なさい」
女房に腕を引っ張られ、幾夫は岳父の書斎を出た。
「中華の華でハナでもいいぞ、左右対称だ。谷本華。悪くない」
「なに言ってんのよ。母方のじじいに名前なんか付けられたら、あんたみたいに一生不幸を背負うことになる」
幾夫の「夫」は名字の「谷本」同様左右対称なのだが「幾」だけ違うから、一つ足りないと岳父に指摘された思いで幾夫はいい気がしなかったのだが、女房はもっと深いところで、父親の孫たる生まれくる娘への関与を阻止しようとしていた。
沙羅は無事に生まれ、すくすく育った。母子ともに健康そのものだった。
沙羅が一歳の時のことだ。女房の実家を通じて、幾夫の母方の祖父が死んだことを聴かされた。
幾夫夫婦は役所に婚姻届けを出した際、本籍地を女房の実家に置いたから、戸籍をたどって居場所を調べ上げられた。狂った母の差し金だった。
「そういうことをするから、おまえらとは縁を切ったんだ。二度と近づくな」
実家に電話して、幾夫は十年ぶりの父を「おまえ」呼ばわりし怒鳴りつけた。
〈静子の縁談がある。帰ってこられんか〉
記憶の声よりずいぶん老けた父親はすがった。
「おまえらのせいだな。静子もかわいそうに」
思ったままをぶちまけた。狂った母が勝手に電話を代わり、孫の顔を見せろとわめく。
いい気味だ。絶対に見せないと幾夫は言い放ち、すがすがしい思いがした。
母と死んだ祖父に人生を賭して仕返しをできたことがうれしかった。このためだけに遠方の大学に避難し行方をくらまし、黙って結婚してその後も音信不通なのだと達成感があった。
(「弐の20 暴力を見られる」に続く)




