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班長のビートルズ  作者: 守尾八十八
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弐の17 もし生きてたら

 泊まりがけで地方に出張すると、会社から経費として夕食補助が千五百円、朝食補助が五百円支給される。朝を食べなければ、夕食だけで二食分の二千円を請求することも許されている。しかし、一人前二千円の食事なんてかなりのぜいたくだ。

 先輩記者のお伴で出張した際、夕食の代わりに飲酒して二千円分だけ領収書を発行してもらい、その金額を会社に請求するという裏技を教わった。それから、酒好きの幾夫もその技を使うことにした。


 一人で秋田市に出張した。知らない街を開拓するのは、出張の楽しみでもある。その晩も幾夫は、取材相手からの接待をきりたんぽ鍋屋一軒だけで切り上げ、酔った相手をタクシーに乗せ見送った後、一人で夜の街を歩いた。

 夕食は取材相手からごちそうになったから、会社から支給される二千円はすべて飲み代に使える。ドアのすりガラスからのぞいて、客が一人もいないショットバー風の店のカウベルを鳴らした。

「一人なんですけど、いいですか」

「どうぞ」

 幾夫より一世代ほど上に見えるマスターが迎えてくれた。

 店の奥には大きなモニター画面が天井からぶら下がっている。レーザーディスクを再生しているようだ。

「あれ、ポール・マッカートニーかな」

「そうだよ。若いのによく知ってるね」

 カウンター奥にレーザーディスクのデッキがあって、長髪のポールが左利きでギターを抱えマイクに向かう姿をとらえた写真のジャケットがそばに立てかけられている。「ゲット・バック」の英字タイトルが入っている。ビートルズ末期の曲名と同じだ。この曲は貸しレコード店から買い取った『リール・ミュージック』に収録されていたし、恵比寿と見た映画『レット・イット・ビー』でも演奏された。


 バーボンをオン・ザ・ロックで作ってもらった。

 レーザーディスクはポール・マッカートニーのワールドツアーの様子を収録したもので、イメージ映像をはさんでポールの衣装がたびたび変わるから、複数の日のステージを撮影し、そのどれかの音源に合わせてそれぞれの映像を貼り付けたようだ。日本人らしい観客が映り込む日本の会場と思われる場面を抜き出したシーンもあった。


 ビートルズ時代のナンバーは、恵比寿にもらったテープで散々聴いたし街やテレビやラジオで耳にすることがよくあったからなじみがある。でも、解散後のポール単独のものらしい曲はほとんど知らない。

『レット・イット・ビー』はいきなり始まった。

「この曲、ちょっと思い入れがあるんですよね」

 幾夫はカウンターに片肘をついて、モニター画面に見入った。ツアーメンバーによる間奏のギターは、記憶の中の『リール・ミュージック』のものとも、後年になって耳にするメロディーとも違っている。ポールのピアノは、Amをミスしなかった。

「もう一回、聴く?」

 マスターが気を利かせて言ってくれるから、どうしようか迷っているところでカウベルが鳴って、次の客が訪れた。マスターと同年配らしい男で、一人で入ってきた。

「マッカートニーか」

 幾夫と同じようなことを言ってカウンター席に着いた。マスターはレーザーディスクを少し巻き戻して二度目の『レット・イット・ビー』を聴かせてくれた。

「十一月に日本公演があるね」

 客の男がマスターに話しかけた。

「ポール・マッカートニーがですか。日本に来るんですか」

 隣にいた幾夫は口をはさんだ。

「そうだよ。東京ドームと福岡ドームでツアー張るんだって」

 口調が東京のアクセントのその男は言った。

「なんで福岡なんかで」

「ドームができたばっかりだからでしょ」

 男は事情通だ。

「二十七歳で死んだことにされたんだよね。もう五十は超えてるはずなのに」

 秋田のものらしいアクセントでマスターが言った。

 ビートルズ解散前にポールの死亡説が流れたのは、幾夫も知っている。アルバム『アビイ・ロード』のジャケット写真は、白いスーツで長髪にひげを蓄えるジョン・レノンが牧師風、黒いスーツを着るリンゴ・スターが葬儀屋風、スーツ姿で目をつむって裸足のポール・マッカートニーが死人風、デニムシャツにジーンズ姿のジョージ・ハリスンが墓堀人風に映っている。交差点を渡るメンバー四人の向こうに駐車するフォルクス・ワーゲンのナンバープレートは、ポールがもし生きていたら二十八歳だと読める《IF28》の表記だ。

「あれは(アイ)じゃなくて、数字の(いち)なんだけどね」

 物知りの男が言った。

 そんなことより、幾夫は恐ろしくなった。

「ぼく、今二十七歳なんです。なんか二十八歳を迎えられないような気がしてきた。死亡説のポールみたいに」

「おれも十年前に同じこと考えたよ。今は、不惑の四十を越えられないような気がしてる。レノンみたいに暗殺されるんじゃないかってさ」

 県北部にあるロケット発射実験場で働いているというその男は、ポール・マッカートニーのことと同じように、ジョン・レノンをファミリーネームで呼称した。

 米国のNASAの宇宙ロケット発射基地が赤道に近いフロリダにあり、日本では沖縄復帰前の南の国境に近い種子島に同じように基地が作られたのは、地球の自転の力を補助にロケットを飛ばしているといった、幾夫の知らないことをいろいろ教えてくれた。

「今からでもチケット取れますかね、ポールの日本公演」

 幾夫はかばんから手帳を取り出し開いてカレンダーを見た。

「おれも仕事の段取り次第じゃ行こうと思ってるんだけど、まだ売り出してないよ」

 幾夫はマスターとロケット屋の男に礼を言い、勘定をして二千円分だけの領収書を切ってもらい、店を後にした。ホテルに帰ってそのまま寝た。


(「弐の18 ドームのどこかにいるのでは」に続く)

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