弐の15 破壊される夢と将来
自宅二階の自分の部屋の勉強机の引き出しを、母か母方の祖父が勝手にかき回していることは、知っていた。どこの家庭でも同じだろうと思っていたが、そうではないことに、中学三年で気づかされた。
クラスメートから押し付けられたポルノ雑誌を収めていたら、いつものように、その位置が変わっていた。だから、こういう雑誌を預かることはできないとクラスメートに言ったら、それは親がおかしいのだ、おまえの家にはプライバシーが存在しないのかと笑われた。
高校に入学したころ付けていた備忘録代わりの日記帳は、どこかに隠された。
初めて行った場所のはずなのに前にもその光景を見たことがあるという錯覚を起こす既視感に興味を抱き、その正体は正夢なのではないかと疑った幾夫は、夢に見たことを、やはりノートにメモ書きしていた。それも、どこかに隠された。
新聞記者になりたいという夢も、シンガーソングライターさだまさしのような美しい文章を書きたいという思いも、精神世界の新発見を確認したいという知的な好奇心も、母と祖父から奪われてしまう。そんな環境で、まともな十代を過ごせるわけがない。
だから、遥の父親がこの高校の現役の教師であると知らされたとき、教師の愛娘である遥も幾夫の母親のようになるのであろうかという同情心とかすかな猜疑心が芽生えた。さらに、自分の母親と祖父が学校運営に介入していることが遥に露見するのではないかとも恐れた。
遥が転校していくという話を聴いて、ショックを受けた半面、幾夫には安堵の思いもあった。遥は、校長室の清掃班班長として指導した班員の幾夫が、狂った家庭で育っている、狂った親族を持つと知っているのではあるまいか。知られてしまったら、幾夫の淡い思いは無残に切り刻まれる。祖父が新聞をずたずたに切り刻むように。
ただ、その安堵は、遥を失うことで生じるショックを抑え込もう、和らげようとする防衛本能のようなものなのかもしれないとも思う。遥に対するこれら一連の複雑な感情が、幾夫は自分でも整理できない。
工業高校卒で農協職員にしかなれず、女房とその父親に頭が上がらない父にも、幾夫は一切の同情心を持てない。自分の経済力では家を建てられず、頭金を払えず住宅ローンを払えず、悪い見本としてばかにされさげすまれ続けた挙句、大事な八ミリカメラと映写機を取り上げられる。
こんな家族を持つことを、そのことによる苦しみを誰にも打ち明けられず、幾夫は高校を卒業した。自分の学力で行ける範囲内の最も遠隔地の国立大学を受験した。
進学先が決まった日、居間で飯を食っていたら、母が目の前で受話器を上げてどこかに電話をかけだした。
「ああ、わたし。あんね、幾夫の大学のこと、お父さんには言わんどって。わたしが怒らるる」
電話の相手は、二人いる叔母のうちのどちらかに違いない。息子がまともな大学に行けないことが息子の祖父である敬愛の対象の父親に対し恥ずかしい、申し訳が立たないというのだ。それを息子の叔母である実妹にこれ見よがしに告げることで、息子本人に当てつけているのだ。
幾夫は生まれて初めてテーブルを食べかけの器ごとひっくり返し、自分の部屋に戻りジャンパーをつかんで家を出た。すでに卒業式を終えた高校の同級生宅を渡り歩き、家にはほとんど帰らないまま新天地へ旅立つ日を迎えた。四歳のころ市営住宅から移ってきて十四年暮らした、父が建てた欠陥だらけの家からも、狂った母と祖父からも解放された。
恵比寿は推薦入試で合格した東京の私立大学に行った。
家賃がほぼ無料の学生寮に入ることも、奨学金貸与の申し込みをすることも、幾夫にはできなかった。農協職員である父が、収入に関する書類の提出に難色を示した。誰のせいなのか、なぜなのか分からないが、父は自分の所得額を母や祖父に隠しているようだ。面倒くさいから、父に頼みごとをするのはやめることにした。
トイレ、シャワー共同で家賃の安い学生向けアパートに入居した。母とも祖父とも、そして、父とも関りを持たずに済む生活は、幾夫にとって、ここが楽園かと思えるものだった。手始めに新聞の定期購読を申し込んだ。
(「弐の16 派手なメロディー勘違いか」に続く)




