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班長のビートルズ  作者: 守尾八十八
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弐の14 日本語と事件報道

 恵比寿にビートルズを伝導した張本人の幾夫がビートルズ熱から冷めたのは、英語が分からないという理由もある。数学者の孫である幾夫は、数学が嫌いかつ苦手であるだけでなく、大学受験の要の教科である英語にも苦しめられた。


 さだまさしの作品を意識するようになったのは、さだがピエロの役で出演する実話を元にした映画の主題歌『道化師のソネット』を知ってからだ。歳月を経てその曲が収録されるLPレコードを、ビートルズの『リール・ミュージック』に傷を付け買い取らされたのとは別の貸しレコード店で借りて驚かされた。すべての曲に、曲を作ったいきさつが詳細に記されている。さだ自身の手によるもののようだ。曲の内容とはあまり深い関係がなさそうなエッセイ調の文章もある。それらを読んでから改めて曲を聴くと、歌詞の重みがよけいに感じられる。

 このアーチストのいくつかのLPレコードを手に取った。すべてがそうだった。書店で、曲の歌詞とそれにまつわるアーチストの手によるエッセイ風の解説だけが載っている文庫本を見つけて買った。こんな文章が書ける人間になりたいと願った。

 幾夫は、日本語の美しさにほれ込むようになった。


 それとは別に幾夫は、事件報道にひかれていた。

 中学を卒業する直前、東京の大型ホテルで大規模な火災があった。その翌日、やはり東京の羽田空港沖で、大型旅客機が墜落した。いずれも大勢の犠牲者を出した。

 高校二年の夏には、フィリピンで独裁体制を敷く政権に批判的だった政治家が暗殺された。直後に、韓国の旅客機がソビエト連邦沖上空で撃墜された。

 そういう事件を報道する職に、幾夫は強い関心を持った。新聞を読みたかった。しかし、まともには読めない事情がある。


 幾夫の家では幾夫が幼いころから、徹底して『毎日新聞』を購読している。山間部だから、夕刊は発行されない。

『毎日新聞』の購読を決めたのは、母方の祖父だ。祖父の家では『朝日新聞』を購読している。だから、家では読めない『毎日新聞』を、自転車に乗って娘の嫁ぎ先に読みにくる。読むだけではない。気に入った記事をはさみで切り抜いて持ち帰る。徹底的に切り抜く。

 登校前の幾夫は気ぜわしく、朝刊を読んでいる暇はない。しかし、夕方帰宅したらその日の新聞は、すでにずたずたに切り刻まれた後だ。

「なんで新聞が読めないんだ」

 母親に不満をもらしたことがある。

「この家は誰が建てたか。誰が頭金を出したか。だれがローンを払いよるか」

 激しく言い返された。

 知らなかった。全額、母方の祖父が負担したし、しているというのだ。だから、新聞を切り刻まれても文句は言えない。父が八ミリカメラと映写機を取り上げられても仕方がない。母の言い分はこうだった。

 三人姉妹の長女である母は、祖父から極端に甘やかされて育った。はた目に見ても気色悪いほど溺愛されていた。病弱だったというのが、その理由の一つのようだ。

「高校に六年通って卒業した」

 自慢なのか自嘲なのか、母は幾夫や静子によく語って聴かせた。その高校に数学教師として自分を溺愛する父親が勤めるのだから、六年通った母は、学校ではやりたい放題だったに違いない。


 その片りんは、幾夫が同じ高校に入学してから強く認識できるようになった。祖父と母は、高校の運営にあれこれ口を出していた。教師たちは、そのことにうんざりしていた。

 高校三年になったばかりのころのことだ。清掃の時間にクラス担任がやってきて、嘆息するように幾夫に言った。

「谷本。玄関に面会人だ」

「誰ですか」

 尋ねながらも、幾夫には見当がついていた。

「言わんでも分かるだろうがっ」

 強い口調で担任は怒鳴った。

 三階の教室から階段を下りて玄関に行ってみると、祖父がいた。そこでも幾夫は、祖父に怒鳴られた。

「掃除の時間でも、単語帳くらい眺めてたらどうなんだっ」

 一日でも長くこの土地にはいられない。あの家にはいられない。この高校にもいたくない。幾夫は心で泣いた。


 祖父の用は、新しく八ミリ映写機を買うから、どれがいいかカメラ店に一緒に行って選べという注文だった。音が出る映写機の存在を知って、それが欲しいという。映写機を選んでいる間は単語帳をめくらなくてもいいのかと、祖父の矛盾を追及する元気は幾夫にはない。

 家庭用ビデオカメラの時代が訪れていた。高齢の祖父は、そのことを知らない。

 そもそも音声の入力装置がないカメラで、その機能もないフィルムで撮った映画は、どんな映写機を使っても、音の再生などできない。それを高齢の祖父は理解できていない。

 カメラ店までどうやって行くのかと尋ねたら、自分は自転車で行くから、おまえは走って付いてこいという。

「やめてくれ。やめてください。お願いします。勘弁してください」

 幾夫は、清掃を終えた同級生や下級生がけげんな表情で通り過ぎる校舎玄関で祖父に深く深く頭を下げた。

「新しい映写機が買えれば、預かっている方を返してやってもいい」

 この時に祖父を殴り殺しておけばよかったと、幾夫はその十年後に祖父の訃報を聴いてからもずっと後悔している。

 もはや、祖父と関わるのはごめんだ。振り回されると、大事な人生が破壊されてしまう。「映写機を返してほしくないのか」と脅す祖父を振り切り、幾夫は階段を上って教室に戻った。担任はいなかった。


(「弐の15 破壊される夢と将来」に続く)

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