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班長のビートルズ  作者: 守尾八十八
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弐の12 貞操を奪われる

「城崎先輩がいらしてるんだけど」

 終業式の日の朝のことだ。クラスメートの剣道部女子がけげんそうに、幾夫と恵比寿に告げた。教室の後ろの扉を見ると、遥が手を振っている。

「恵比寿くんと谷本くんに。中身は一緒」

 幾夫たちが受け取ったのは、白い洋封筒だ。幾夫と恵比寿は目を合わせた。

「谷本くん、今度はちゃんと受け取ってくれたね」

 遥が笑った。小学五年のころ、卒業式を翌日に控えた遥からの手紙を、幾夫は照れて直接受け取れなかった。

「ぼくは大人になりました」

 妙なことを言っていると、自分で幾夫は分かっている。小学生のころは見上げていた遥の顔を、高校生の幾夫は見下ろしていることに、立って対面して改めて気づかされた。

「うん、そうやね。たくましくなったね」

 恵比寿はどうでもいいようなことを遥に話している。黙れ恵比寿、班長はおれだけの班長だと幾夫は自我をむき出しそうになった。

「じゃ、わたしもホームルームがあるから」

 そう言って、遥は駆けだした。その後ろ姿を見たのを最後に、遥は幾夫の前から消えてしまった。


《谷本幾夫くん》


 表にそう書かれた封筒を、恵比寿が取り上げた。

「なんでおまえだけフルネームなんだよ」

 そう不満を漏らす恵比寿宛ての封筒を、幾夫も取り上げた。


《恵比寿くん》


 姓だけが記されている。

「おまえ、えびが名字で、下の名前はことぶきって思われてたんだな、ずっと」

 恵比寿宛ての封筒の裏には、《城崎遥》と記されている。奪い返した幾夫宛ての封筒裏面は、《元班長 城崎遥》だ。恵比寿に勝ったと、幾夫は思った。「中身は一緒」と言った遥は、恵比寿より自分のことを気にかけてくれている。

 封筒にはカセットテープと、便箋一枚が入っていた。


《同じ大学の教育学部に行きましょ!》


 遥の自画像と思われる右手の拳を高く上げたイラストは、吹き出しでそう呼びかけている。

 恵比寿は自分の席に戻り、ウォークマンを操作しだした。遥からもらったばかりのテープを再生するためだ。恵比寿が装着するヘッドホンに、幾夫は耳を近づけた。

「遥先輩のピアノ弾き語りだ。『レット・イット・ビー』だ」

 周囲のクラスメートから同性愛が確実視されそうなほど恵比寿の横顔に自分の頬をぴったりくっつけて耳を澄ませても、幾夫には聴こえない。

 恵比寿はウォークマンから乱暴にテープを取り出し、おまえのテープを出せと幾夫に迫る。

「おれがもらったんだから、おれに先に聴かせろ」

 幾夫は恵比寿のウォークマンをひったくり、自分が受け取ったテープを入れ、扱い慣れない機材の再生ボタンを押し、本体と同じように奪ったヘッドホンを装着した。

 ミ、ソ、ドのCコードからピアノの前奏が始まり、遥の美しい英語のボーカルが聴こえる。幾夫はそれまで、遥の弾き語りはおろか、歌声を聴いたこともないことに気づいた。目の前でいらいらしている恵比寿に、ヘッドホンを返した。

「どっちもコピーじゃない。マスターだ。別の機材を同時に回して録音したか、別々に弾いて録音したかだな。ボーカルマイクをスタンドでしっかり固定してあるみたいだ」

 自分のテープと幾夫のテープを聴き比べ、恵比寿が分析した。

 LPレコードのダビングのために汎用性の高い四十六分テープは、遥の弾き語る『レット・イット・ビー』の次の曲を奏でず、そのまま無音になった。録音のストップボタンが押されたようで、シャーというかすかなノイズだけを再生し回り続ける。

「これは、おれの宝物だ」

 そう言って、恵比寿は自分のテープの底にある爪を親指の先で押し折った。誤って上から録音してしまうのを防ぐためだ。爪を折っておけば、そのテープを入れたほとんどの機材で録音ボタンが押せなくなる。

「ばかだな、班長の大事なテープを傷物にしやがって。おれは爪を残したまま、生涯このテープを守り抜く。間違って班長の弾き語りを消しちまうような間抜けなことはしない」

 幾夫の挑発に恵比寿は「あっ」と言って、自分の右手人差し指の関節外側を歯でかんだ。

「そうだな。おれが遥先輩を傷物にしたった。貞操を奪ってやった」

 恵比寿も反撃してくる。

「なんだと」

 幾夫は恵比寿の腹を蹴った。恵比寿の体は思いのほか遠くまで飛んだ。クラスメート数人が、床に尻もちをついた恵比寿の左右の肩を抱え上げた。恵比寿の学生服の上着の腹の部分に、幾夫の右足スリッパの底の跡が付いている。

「きょうでお別れなのに」

 恵比寿は大げさに嘆いてみせた。


 幾夫たちが通う高校は、二年に進級する際に、志望進学先ごとに国立理系、国立文系、私立理系、私立文系の四系統のクラス編成になる。家計に余裕があるらしい恵比寿は、大学の入試科目が少なく受験の負担の軽い私立文系を選んだ。数学が嫌いで苦手な幾夫もそうしたいのだが、誰にも頼らず一人で生きていくため学費の安い国公立大に進まなければならないから、国立文系を選んだ。遥が国立文系クラスであることも少なからず影響している。近くの大学に行くことはなくても、教育学部に進むことはなくても、遥と同じことをしていたいという思いが幾夫にはある。


 二年に上がればクラスが別々になるのは必至である幾夫と恵比寿は、憧れの班長をだしに使われても、そのことで相手を足蹴にしても、笑って済ませられるだけの友情のような関係が構築されていると、幾夫は信じた。


 三月の終わりに、新聞の地域面に教職員の異動名簿が載った。遥の父親である英語教師は、確かに県庁所在地にある普通科高校に赴任することになっている。幾夫は、母方の祖父が来てずたずたに切り刻む前の新聞で確認した。

 春休み中のその日、生徒は任意出席の離任式が、体育館であった。城崎教諭は壇上で、七年もの長きにわたり過ごしたこの地が第二のふるさとだというような短いあいさつをした。体育館には、すでに卒業式を終えた三年生の私服姿も見える。

 恵比寿は欠席した。遥の姿も見えない。遥は転校の手続きやらなにやらで忙しいのだろう、もう引っ越したのかもしれないと幾夫は思ったが、恵比寿とどこかで密会しているのではないかと疑い、こういうのを下衆の勘繰りと言うんだったかとわれに返り恥ずかしくなった。


 二年に進級し、予定通り恵比寿とは別のクラスになり、幾夫はビートルズ熱がすっかり冷めた。もともとビートルズに対するこだわりはあまり強くなかった。ただ、『レット・イット・ビー』を演奏できるようになりたかった。

 恵比寿のおかげでそれはなんとか成就できた。そして、『レット・イット・ビー』と恵比寿のおかげで、わずかな間だったけど遥との再会を楽しむことができた。それで幾夫は満足していた。


(「弐の13 歯車がかみ合わない」に続く)

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