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班長のビートルズ  作者: 守尾八十八
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弐の9 公式歌詞カードが間違い

 三十分早く登校して恵比寿からピアノ特訓を受ける約束を、もっと早く登校して遥との関係で抜け駆けしようかと幾夫はたくらんだが、恵比寿に申し訳ない気がしてやめておいた。恵比寿はいつも、先に音楽室に向かうことなく教室で幾夫を待っていたからだ。だから、幾夫が先に登校しても、教室で恵比寿の登校を待った。

 グランドピアノにはたいがい遥がいた。アップライトピアノには別の先客がいることがあって、そういう日には、幾夫と恵比寿は遥のいるグランドピアノ周辺の席に陣取った。

 二台のピアノの奏者はなんらかのマナーを根拠に、同時に演奏することはなかった。一方が曲を奏でているときには、もう一方は静寂を保つ。一方の曲が終わると、なにも言葉を交わすことなくもう一方が鍵盤をたたく。


「恵比寿くん。『レット・イット・ビー』の出だしのCコードは、こっちじゃなくてこっちだと思うよ」

 幾夫が『レット・イット・ビー』をようやく最後まで弾けるようになったころ、遥が言った。遥が音楽室前方のグランドピアノでたたいた二番目の和音の方が確かにレコードの音に近いと幾夫は思った。

転回(てんかい)してますか」

 幾夫の横の恵比寿がアップライトピアノの鍵盤を二通りたたく。転回の意味が幾夫には分からない。

「してるね。谷本くんからもらったテープを聴いた限りだと、ポールもこっちで弾いてるみたい」

「そうか。ギターでコードを拾ったから気づかなかったな。谷本、きょうから出だしの右手は、ド、ミ、ソじゃなくてミ、ソ、ドだ。そうなると次のGも――」

 いきなり矯正されたからそもそも指が動かない幾夫は戸惑ったが、確かにド、ミ、ソをたたくより、ミ、ソ、ドの方がレコードの音に近い。

「もっと早く言ってくださいよ、班長」

 非難めいた口調をたたいた幾夫だが、遥のおかげでポール・マッカートニーに近づけたと感謝した。遥にも近づけたと思った。


 幾夫の自宅一階洋間には静子のピアノがあって、放課後は中学の部活動で帰りの遅い静子に黙って、洋間のピアノで自習に励んだ。恵比寿からもらった雑誌の折り込みらしいページでコードの仕組みを理解し、幾夫はどんな曲でもピアノの和音でなら弾けそうな万能感に包まれた。


 恵比寿は恵比寿で、ビートルズにどっぷりはまっていた。

「おまえの悪影響だからな」

 幾夫にそう言った。

 恵比寿の家は潤っているらしく、貸しレコードなどではなく新品のレコードを五月雨式に買い、録音したテープを幾夫に譲ってくれた。

「ちょっとこれ、聴いてみろ」

 恵比寿にウォークマンのヘッドホンを手渡され、幾夫は頭に装着した。ビートルズ解散後のジョン・レノンの曲『ハッピー・クリスマス(戦争は終った)』だ。

「ど頭だ」

 そう言って、恵比寿はレコードに付いている歌詞カードを差し出した。

《ハッピー・クリスマス ヨーコ》

《ハッピー・クリスマス ジョン》

 ジョン・レノンと、二番目の妻で日本生まれのオノ・ヨーコらしき女性のせりふが聞こえる。歌詞カードの英文、それを書き下した片仮名の翻訳と同じだ。二人の語りのすぐ後に曲が始まる。

「違うんだよ。ジョンは『ヨーコ』とは言ってない。『キョーコ』って言ってる。ヨーコも『ジョン』とは言ってない。『ジュリアン』って言ってる。それぞれ、相手の前の旦那、前の女房との子の名前だ。公式の歌詞カードが間違ってる」

 恵比寿の英語のリスニング力と深い洞察力に、幾夫は衝撃を受けた。よく聴くと、確かにジョンはヨーコとその前夫との娘らしいキョーコにクリスマスの祝いを述べている。ヨーコも同じように、ジョンとその前妻との子であるジュリアンへの祝福を述べている。


 こんなこともあった。

「オフ・コースの『アイ・ラブ・ユー』って曲はさ、最近出たアルバム版だとジョン・レノンに言及してるらしいんだよな」

 日本人による日本語の曲に関心のない恵比寿は、お金に余裕があっても、日本人アーチストのレコードを買わない。

「テープならあるぞ。あした持ってくるわ」

 クラスメートの頼みでレコードをテープに落としてやり、ついでに自分用にもテープを作っている幾夫は、さまざまな分野の音楽のテープを所蔵している。確かに『アイ・ラブ・ユー』には間奏で、どこの誰だか知らない男による英語のナレーションが流れるが、なにを言っているのか幾夫には分からない。


 幾夫の持参したテープをウォークマンで聴きながら、恵比寿は納得した。

「ジョンの訃報だな。本物のテレビかラジオのニュースか、それに似せた演出だ。口調ができすぎてるから、きっと演出だろ」

 恵比寿にはかなわないと、幾夫は悟った。


(「弐の10 熱狂的なファンに撃たれず済む」に続く)

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