壱 親ガチャ
父が遺した家にはなんの思い入れもない。家族が欠陥だらけだったのは、家にも原因があるのだろうと考えている。欠陥だらけの家族だからこそ、父はあんな家を建てざるを得なかったのではないかとも思う。谷本幾夫は、家の処分にかかわるすべてを妹、静子に任せていた。
〈いい家じゃなかったもんね〉
不動産屋による査定のことで連絡をよこしたきた電話口の静子は言った。住む者が誰もいないあばら家は、隣の県に嫁いで子育てを卒業した静子にとっても管理が困難だ。
「だいたい、土地からしてゆがんだ台形だろ。不整形地って言うんだってな。最悪の家相らしいぞ」
家族の欠陥のことを、幾夫ははぐらかした。
〈家相のせいじゃったんかねえ。兄ちゃんも苦労したやろ。子ども心に、見とってかわいそうやった。今でいう「親ガチャ」やね〉
硬貨を投入しレバーを回すとカプセル入りの玩具がランダムに出てくる小型自動販売機「ガチャガチャ」になぞらえた、子どもは親を選べないことを表す流行語にもなったインターネットスラングを持ち出す静子は、幾夫の心情を見通しているようだ。女の子でいずれ嫁に出すという元凶である母方親族の判断であろう、静子は幾夫ほどの苦しみを、この家で受けていない。
「いろいろと面倒をかけてすまんな。あのくそばばあのことをもうしばらく――」
〈――ああ、そうそう。また忘れるとこやった〉
認知症で施設に入所している母の先行きを首尾よくと、幾夫は静子に頭を下げて頼まなければならない。静子は故意にかそうでないのか幾夫には判断がつかないが、幾夫の言を遮った。
〈ショートメッセージで何度か打とうとしたんやけど、そのたびに忘れてしもうて。レコード、もういらんの〉
「レコードか」
久しぶりに耳にする、口にするそのワードの意味するものが、幾夫はとっさには頭に浮かばない。
〈アリスとかサザンオールスターズとか、ビートルズとかあったよ〉
「ビートルズ」
たかたかと、ビートルズ存命メンバー、リンゴ・スターのスネアドラムを打ち鳴らす音が、耳の後ろで聴こえた気がした。
〈兄ちゃん、ビートルズ世代やったんやねえ〉
「ばか言え。おれが生まれた年にビートルズは来日したんだぞ。おれは遅れてたんだ。恐ろしく時代錯誤してたんだよ」
〈そうか。取っておく?〉
耳の後ろのリンゴ・スターは、バスドラムをどんどんとフットペダルで二回踏み鳴らす。
「テープは。カセットテープがなかったか」
かちかちと、リンゴ・スターが両手のスティックを互いにぶつけ合い幾夫をせかす。幾夫は静子の答えが待ちきれずいら立った。
〈カセットテープ。あったねえ、段ボール箱いっぱい。まだ捨ててないはずやけど、今度行ったら見てみるよ〉
「あったら、そのままにしといてくれ。レコードもテープも」
〈分かった。テープ、伸びたりかびたりしてないといいんだけどね〉
静子との通話を切って幾夫は、仕事用のリュックから手帳を取り出し、パソコンが送受信した電子メールと照らし合わせスケジュールを調整した。インターネットで陸路の時刻表を確認した。しばらく新幹線に乗っていないから、チケットの取り方を忘れていないか心配になった。
◇ ◇ ◇
(「弐の1 伝統の縦割り編成」に続く)