2.パワーストーンショップ『エシカル』の日常…?
「おい、店主はいるか」
この日、エシカルには珍しい野太い声が店内に響いた。常連の女性のパートナーだったり、小さな女の子の父親だったりと男性が来店しないこともないのだが、やはりまだまだ珍しい。
若く、どことなく威圧感のある声だ。奥にいたニコは直観的に「これは面倒な客だ」と思った。
表に出ようと扉を開ければ、ちょうど戸惑った顔のミルが呼びに来るところで「わかってるから」と小さく耳打ちする。
店内はなかなかに奇妙な空気に満ちていた。
出入り口付近に、どう見てもカタギではない丸坊主の屈強な男がまず一人。その後ろに子分と思わしき男が二人ほど。
女性客たちは買い物どころではない雰囲気で遠巻きにしている上、かわいそうに、数人は怯えてそそくさと店を出ていく。
「アンタが店主かあ?」
「さようでございます」
「なら勝負に必ず勝つ石を持ってこい」
なに言ってんだこのハゲ。
反射的に飛び出しそうになった言葉を、ニコは渾身の営業スマイルによって抑え込んだ。
「そのような石は当店にはございません」
「ああ?」
「そのような石は当店にはございません、と言ったのです」
もともとの強面にみるみる青筋が浮かんでいく様子を、笑顔の下で冷たく睥睨する。
賭博に使うつもりのか、それともその無駄に主張の激しい筋肉をフル活用した暴力沙汰に使うつもりなのか。
いずれにせよ、自分のパワーストーンをイカサマの道具として使えると思われているなら改めさせねばならない。
「ナメてんのかてめえ!」
「ないものはない、と事実をお伝えしているだけです。そもそも当店では」
「ならなんであのクソガキがオレに勝って優勝までした!?」
「……はい?」
ニコは首を傾げた。いったいなんの話か。
「て、てんちょーてんちょー、ほらあれですよお、数日前の民間競技大会。あたしも観戦しましたけどお、クソガキっていうのはたぶん、そこで優勝した子のことじゃあ……」
怖いのに話しかけてくるミルは、これで案外度胸のある娘だ。
「あいつは恋人からもらったパワーストーンのお陰だっつって喜んでいた。このオレがあんなひ弱なクソガキに負けるなんざありえちゃならねえんだよ! とっとと出しやがれ、石をよお!」
ふむ、とニコは素早く思考を巡らせた。
今のミルの話と目の前のハゲの話を繋ぎ合わせると、このハゲは自信満々に競技大会に出場して敗北したのだろう。負けるとは思わなかった相手が、しかも優勝した。
このハゲがパワーストーンを好んでいるようにも、石の持つ謂れを信じているようにも思えない。
ただ、実力で負けたと認めるより、信じてもいないパワーストーンのせいだと思うほうがプライドは傷つかないで済む。おそらくそういうことだ。
さて、プライドに塩を塗り込むか。それとも適当にかわしてご退場いただくか。
暴れられても困る。客のことを考えると後者がいいと思うが、少々骨が折れそうだ……とニコが溜め息を噛み殺したところでハゲがさらに吠えた。
「ハッ、見れば見るほど屑石ばっかだな。あのクソガキはどれくらい出した? どうせ裏に隠してんだろうが!」
決めた、塩を塗り込んで漬物にして差し上げよう。
ニコは滅多に使わないお嬢様スマイルを浮かべた。
「大の男が聞いて呆れますこと」
「……なに?」
「負けたのが悔しいと素直におっしゃったらいかが? 自分の実力不足を認めず、クソガキクソガキと相手の非を喚くだけ。なんて見苦しい」
口調もお嬢様言葉に切り替えたせいか束の間、ハゲの反応が鈍ったが、次第にまた顔が沸騰していく。
その変化をゆったりと眺めながら、ニコは扇子の代わりにそばにあった石を優雅につまみあげた。さながら石にキスしているようだ。
「持っていれば勝負に必ず勝つ……バカおっしゃらないで。仮にそんな石が存在していたら、この世界は戦争だらけになりますわ。確かに、持ち主の心身をサポートして勝利に導くと謂れる石はございます。あくまで謂れですわね。私は開店当初から、この石にはこのような力がありますと説明したことは一切ありませんわ。むしろ、石に神秘的な力はないとはっきり申し上げています。この石にはこういう伝承があるとご説明するだけ……」
空気を撫でるように腕を広げる。
表通りの通行人が何事かと足を止めて、野次馬の垣根が出来ていた。
「それでも皆様が買い求められるのは、こうなりたいと願う未来があるからですわ。恋を実らせたい、こんな仕事をしたい、幸せになりたい……その力が自分にもあると信じたいからです。叶えられると。パワーストーンを買う、その行為はご自分との誓約。石を見るたびにその誓約を思い出します。そうして励まれた方が、苦楽を乗り越えてその人なりの結果を手にするのです。……内省もせず他人のせいにしてばかりの人間が、屑石呼ばわりするなど1000年早いですわ」
ぶおぅと風圧が唸った。
ハゲが振りあげた拳に周囲から悲鳴があがったが、睨み据えるニコにはどうにか出来る算段があった。
こちとら隣国との防波堤を任された辺境領主の娘である。実際に小競り合いで戦ったこともある。ある程度安全な王都で暮らしている娘とは根性も鍛え方も違うのだから。
「やめておけ」
水を差された。
翻った黒と白。
目の前でいきなりカーテンが引かれたかのようだった。
ニコとしては助かったと思うより、邪魔された気分である。
「西花街の元締めのドウィグだな。非公認ではあるが、利潤と治安の維持に一役買っているのも事実、目こぼししてやっているのを知らぬわけではあるまい。あまり騒がれるとこちらとしても見逃すのは難しくなるが、どうだ」
ほう。
ニコの後ろで、ミルや女性客たちの溜め息が落ちた。胸を撫で下ろしただけではないことは、店内の空気が一気に喜色ばんだことからも知れた。
漆黒の夜色に銀糸の刺繍紋様ーー庶民の女性が憧れてやまない、第二騎士団の制服だ。おそらくは巡察の途中であろう。
おまけに、後ろ姿からでも見目麗しいとわかる男の、なにより雪を梳いたような銀髪がひときわ目を惹いた。ニコを狙った拳は150km/hは出ていた気がするが、枯れ葉を受け止めた程度の軽い動作だった。
「砂利の第二騎士団ごときが口出ししてんじゃ」
「どうだ、と聞いている」
その声は雹か氷柱か。
ここにきてハゲーードウィグの顔が怯んだ。状況を理解したらしい。西花街のことをニコは詳らかには知らないが、ドウィグにとっておそらく、その仕事とやらは生命線なのだろう。やがて、クソっと盛大に舌打ちして、荒々しい足取りで店を出て行った。
ニコはまず、店内に残っていた女性客らに「お騒がせいたしました。よろしければ、このあともごゆるりと」と頭を下げる。それから、騎士の男にも頭を垂れた。
「ご助力、まことにありがとう存じます」
「バカな女だ」
「……はあ?」
思わず「藍子」が出た。開口一番になじられればこうもなる。
顔を上げれば、視線がまともにぶつかった。銀髪に縁取られた赤い瞳がニコを見下ろしている。雨上がり、紫がかった雲に燃える、茜の夕焼けだ。
不機嫌を濃縮還元した低音が、ニコの鼓膜に触れた。
「真正面から挑発すればどうなるのかもわからないか。曲がりなりにも商売人を名乗るなら、ああいう客のあしらい方も身につけておけ」
「挑発じゃないわ」
「ならなんだ」
「それこそこっちは商売してるの。ちゃんと経営理念があるのよ。あんなバカバカしい勘違いされたままじゃ商売あがったりだわ」
「あの手の輩に感情的になるなと言っている」
ニコは押し黙った。
あまりの珍しさに、ミルは目を丸くする。ニコが言い負かされている姿など、これまで想像していなかった。
確かに、ニコならもっと上手くやれたような気はする。
それでもミルにしてみれば、ニコはいつも通り冷静で理性的に見えた。
ところが、彼は感情的と指摘したのである。ミルはニコの後ろから、まじまじと見つめた。
「……ご忠告、痛み入るわ。でも、屑石呼ばわりだけは絶対に許せないのよ」
どうぞ、巡察にお戻りください。そう言い置いて、ニコはさっと踵を返した。「ディザード様」女性客の何人かが彼に話しかける声を背に聞きながら。
奥の部屋に戻ったニコを、ミルが興奮して追いかけてきた。
「てんちょぉ! いつの間にあのディザード様とお知り合いになってたんかあ!?」
「あら、ディザードっていうお名前だったの」
「またまたあ、誤魔化さなくったっていいんですよお。あたしと店長の仲じゃないですかあ」
「本当に知らなかったのよ。知り合いってほどでもないし」
「でも店長、口調が素だったじゃないですかあ」
「いきなりバカ女呼ばわりされたら敬う気も失せるわよ」
ニコは適当にあしらうのだが、興奮したままのミルはどうやら乙女モードに突入したらしく、うっとりと頬を染めている。
「ディザード・ユーグレナス公爵様。若くして公爵家のご当主でありながら、実力主義の第二騎士団幹部にも昇りつめた、まさに不撓不屈なお方。幼い頃に天涯孤独になったディザード様が未だに婚約者を決めておられないのは、政略結婚とかじゃなくて、きっと真実の愛を求めていらっしゃるからなんですよお!」
ニコは素直に「ああ、そう……」と足を一歩引いた。その空いた分だけ、ミルは鼻息荒くずずいと詰め寄ってくる。
「で、店長はディザード様とどんな関係なんですかあ?」
「どんな関係でもないわよ」
恋に恋する乙女とリアリスト理系女子の攻防戦は、表から呼ばれるまで続いた。