1.パワーストーンショップ『エシカル』の日常
「てんちょぉ〜またクレームですう……」
店の奥の部屋にしつらえた作業台でブレスレットを作っているニコのもとに泣き言が転がり込んできたのは、午後の昼下がりだった。
倉庫でもある部屋は色彩豊かな石の数々に満ち溢れている。木箱に詰められた原石、作業台の上で完成を待つ装飾品。従業員の女の子たちは「おとぎの国みたい」と言ってここを覗くのが大好きだ。
なるべく自然光を取り入れられるように、窓の配置も工夫してある。夜に作業することもあるが、やはり、人工的なランプの灯りよりも自然光のほうが石本来の風合いがわかるからだ。
「また、ってことは、またダイアナ様?」
「そうなんですう……すみません、店長直伝のクレーム対応虎の巻は何度も練習してるんですけど、ダイアナ様だけはどうしても無理でえ……」
「……まあ、しかたないわね。あのご気性だもの」
作業で凝り固まった肩を軽く回しながら、ニコは立ち上がった。
タンシャル王国の王都。
その城下町の一角に構えられたニコのパワーストーンショップ『エシカル』は今年で3周年を迎えた。
道ゆく人々の足を『あなたが今、必要としている“石“がわかりますか』という看板が引き留める。一見さんはだいたい、この不思議な文言に惹かれて入ってくることが多い。「マーケティングを学んでおいて正解だったわね」ニコは満足そうに頷いたものだ。
「シノワズリ様式って云うのよ」外装内装もニコが手がけたもので、この雰囲気が好きという女性もまた多い。大きな宣伝なしに口コミで人気が広がっている。庶民、特に女性の間で「これ、エシカルのなの」とブレスレットを見せ合うことが一種のステータスになっていた。
ダイアナは子爵家の令嬢で、常連客の一人である。彼女をはじめ、貴族の令嬢が忍んで買い求めにすることも最近では多くなった。
「贔屓にしてくれる良き収入源」なのでニコとしては大歓迎なのだが、いかんせん、思い込みの強い恋多き乙女がダイアナという女性だった。
恋をするたびにニコのパワーストーンを買い求め、恋に破れてはニコのパワーストーンを役立たずと訴えにくる。これで何巡目だろうか。いいかげん婚約の話も出ているだろうに……まあ、よその貴族のお家事情まで心配する義理はない。
従業員たちは気性の激しいダイアナを怖がるが、ニコとしてはこれ以上やりやすい相手もいない。裏を返せば、ダイアナは良くも悪くも素直なのだ。クレームと言うが、そのほとんどは愚痴で、それを丁寧に最後まで聞いてあげれば自然と収まっていく。半ばカウンセリングのようなものだった。
「わかってるのよ、私はこんな性格だし、くすんだ赤毛だし、そばかすあるし、子爵家なんて大したことないし……学問に励もうとすれば、お父様には生意気だと言われるし。どうせ私なんて、誰にも愛されないのだわっ……!」
案の定、今日も今日とて予想通り、いつものパターンだった。今回は大胆にも自ら告白して、しかしその場で振られたらしい。相手の浮気が発覚したこともある。
あの石を持ってたのに恋が叶わなかった、むしろあの石のせいで振られたのだ……最初こそパワーストーンを罵っていたが、次第に話は家のことや社交の場の出来事に移り、自分の性格や容姿のコンプレックスを嘆くようになった。
「そうでしたか。それは悲しかったですね。前にお買い上げいただいたレッドスピネル……勇気を持ちたいとお選びになった通りに、頑張って勇気を出して告白されたのですね」
バックヤードで向き合う2人の間で、ミルが大慌てで淹れた紅茶だけが香り高く場を和ませようとしているようだった。
レッドスピネルは宝石店で高価に取引されるルビーによく似た自然石、鉱物の一種である。赤の他に青、黄、緑など色のバリエーションがあり、「これがいいわ」とダイアナが選んだのは赤だった。
スピネルは総じて持ち主の精神の充実をサポートしてくれる石として有名で、赤色は勇気を司るとも言われる。
ダイアナは己の精神を成長させ、勇気のある女性になることを志して行動したのだ。
ダイアナは少し腫れぼったくなった目をニコに向け、ハンカチーフの下で鼻を啜った。
「ええ……ええ、そうだわ。私、いつも夜会でカーテンの陰から見ているばかりだったあの方に、自分から声をかけられたのだわ……」
それから紅茶を飲み干すと、ダイアナはいつも通り「また石を見せてちょうだい」とニコに注文した。
「店長はすごいですねえ。あのダイアナ様を、どうやってお宥めしているんですかあ?」
ダイアナを見送ると、ミルが感心したように息を吐いた。貴族を怒らせているという状況は、パン屋の娘の彼女にとっては生きた心地がしなかったのだろう。
「そんなに難しいことじゃないわ。虎の巻にも書いたでしょう。怒りは第二感情なの。悲しさや寂しさ、悔しさが変容したものだから、お客様は悲しく思われているんですねってまずは共感してあげる。それから最後までお話を聞いてあげて、お客様がやった行動をそのまま復唱して認めて差し上げるだけよ。逆に、褒めたりしてはダメ。否定はもちろんね。ただ事実を認めてあげれば、たいていはお鎮まりになるわよ」
「でも、やっぱり怖いですよお。ここのパワーストーンのせいだ! って言われたら、咄嗟にすみませんって言いそうになっちゃいますもん」
「それはミルが、石にはすごい力があると盲信しているからでしょう」
「だってロマンがあるじゃないですかあ! だからあたし、ここで働きたいって思ったんですよお」
「はいはい、ありがとう」
ニコが軽くあしらうと、ミルはほんの少し唇を尖らせた。
「店長ってすんごく現実主義者ですよねえ。なのに、なんでこんなロマンチックなお店を始めたんですかあ? せっかくこんな素敵なお店なんですから、店長もロマンチストになりましょうよお」
石のロマンに魅せられて開業した、というストーリーのほうが、ミルにとってそれこそロマンチックなのだろう。
「もちろん、儲かるからよ」
「てんちょぉ……そりゃあ、あたしたちは店長のお人柄を知ってますし、利益第一主義だけどそうじゃないってことわかってますけどお、その言い方は何も知らない人に誤解されちゃいますってえ。これでも心配してるんですよお」
「私は利己的な女よ。昔から、ね」
表はミルら従業員に任せて、ニコは再びブレスレット作りに戻った。
開業当初は石そのものを並べていただけだったが、徐々に装飾品作りも手がけるようになって客足は一気に伸びた。ブレスレットは定番品として季節問わず人気商品である。有名になるにつれ、逆に石単品を好む客層も当初より増えつつあった。これは面白い傾向だと思っている。
「そういえば、昔も言われたわね……『先輩は超現実主義者の理系女子なのに、なんでパワーストーンの店員してるんですか』って」
ほう、と息をつくニコの横顔を、黄昏の陽が濡らす。
懐かしむように、ニコは窓辺から町並みを遠く見つめた。
前世、ニコは銀河系の地球という星で小倉藍子という日本人をしていた。
就職難の末にパワーストーンショップにたまたま流れ着いた。バイトから始めて、そのまま正規従業員になった。理由は「売るのが一番上手いから」である。
会社の営業マンとは形態が違うから一概に比べられないが、藍子が対応した客はほぼ100%パワーストーンを購入し、かつリピーターになった。そこそこ規模の大きい店舗だったこともあり、販路を広げるためのマーケティングに携わったこともある。
後輩に言われた通り、藍子は自然科学専攻の理系女子であり、さらに言えば、いわゆるスピリチュアルアレルギーだった。その手の話題を熱弁する客もいて、その時ばかりは鳥肌をさするのを我慢する羽目になった。懐かしい思い出である。
それは転生した今も変わらない。ただの石っころ、鉱物に神秘的なパワーがあるなど一切信じてはいない。
だが、事故で死ななければ、藍子は今でもパワーストーンのショップ店員をしていただろう。
「みんな、元気にしているといいけれど。……常連さんの顔も、もうあまり思い出せなくなっちゃったわね」
感傷に浸るには、異世界転生は少しばかりインパクトが強すぎた。
リアリストにとってまさしく青天の霹靂。
あれよあれよと、藍子はニコとして第二の人生をスタートすることになった。もうすぐ、前世の享年と同じ24歳になる。
エメラルドブルーの瞳はジェムシリカという鉱物をそのまま閉じ込めたようで、ミルら従業員は「南国の美しい海のよう」と口々に褒め称える。独り身なんてもったいない、きっと店長にも素敵な男性が現れるはずだと。
ニコはそんなロマン溢れる賞賛を「ただの染色体の異常よ」と台無しにするのが得意だった。実際、家族の中でニコだけがこの色だった。
ちょうど作業台の上にもあるジェムシリカの原石。つまみあげると青い断面が光に透かされて、確かに美しい。
ニコはロマンチストではないが、情緒が枯れているわけではない。
美しいものは美しいと思う。
だが、それだけだ。
ジェムシリカは和名を珪孔雀石といい、前世でも人気のパワーストーンのひとつだった。癒しや愛のエネルギーを持つ石として有名で、女性性が高まって愛されるようになる……そんな謳い文句で、恋愛の守り石として売られることが多い石だ。
ショップ店員として働き始める時、石の持つ意味を片っ端から覚えた。
それが仕事だったからだ。
石に特別な力があると信じたことは一度もない。
自分が誰かから愛される未来があるなんて、そんな科学的根拠のない話を信じることもない。