第六話
「えぇっと…………あ、これかしら?」
休憩も終わった昼過ぎ。
チーフからの指示で『特別管理室』に来た部下の女性は、言われた通り部屋に荷台に乗って置いてあった大きな箱を廊下へと運ぶ。
「これを農場へ……か。一体何なの、こんな大きな箱…………んー、何か荷台に乗ってるのに重いわねぇ……」
ガラガラガラ…………
荷台を押して部下の女性は長い廊下を、農場のゲートの方向へ歩いていった。
…………………………
………………
――――我ながら大胆過ぎたかもしれない。
彼女は暗い箱の中で膝を抱え、もう少しクッションを厚くした方が良かった……や、部下には箱は丁重に運んでと頼めば良かった……と思いながら、ガタガタと腰に伝わる振動を何とか耐え抜いた。
振動が一旦収まり、頭上で複数の話し声が聞こえた後に再び振動がくる。
しばらくして動きがなくなり、誰かの足音が彼女から遠ざかっていく。
「…………よし」
膝の上に手のひら大の板を出すと、表面トトン!と叩いた。すると、暗かった周りが明るくなる。どこかの部屋の片隅に自分がいるのを確認した。
――――ここは……『栽培区』の食堂ね。
現在、四方は周りがよく見えるが、周りから見れば彼女の居る所は“ただの箱”にしか見えない。
「ふふ…………潜入成功……!」
思わず声を出してしまい、慌てて周りを確認したが、この時間は食堂には誰もいなかったのでホッと胸を撫で下ろした。
彼女は今日は一日休暇を取って、自室で誰にも邪魔されずに休養していることになっている。
だがそれは表向きで、実は朝から『特別管理室』で箱に潜んで、それを部下の女性に指示して運ばせて農場へ来た。
ゲートを通る時も“荷物”として通過したので、農場の誰も彼女が来たことには気付いていないはずだ。
――――あとは見つからずに『先生』を待ち構えるのみ。その為に“この箱”を準備したんだから!
箱の中に潜んだ彼女は小さく拳を握った。
潜んでいる箱は『災害避難用シェルター』を簡略化し、人がやっと入れるように最小にしたものである。ものすごく重いが温度管理され、内側からしか開かないので外からバレることもない。
箱の壁の内側を“透明化”させれば周りも確認でき、狭ささえ我慢できれば一日くらいは余裕で入っていられる作りだ。
駄目押しで箱の表には『視察の時に使うから、開けずに置いててください』というメッセージを貼り付けてある。
――――このシステムに囲まれた場所で、古代のような力押しでくるとは、さすがの『先生』も思わないでしょうね。ふふ、見てなさいよ……。
目の前には、農場の監視カメラのモニターも表示できるようにした。
現在は一番陽の光が強い時間帯なので、さすがの子供たちも建物の外には出ていない。
映像では『教師』や『家政婦』の姿は見えず、子供たちは別の部屋の中でスイちゃんと遊んでいる。
――――『先生』はいないわね。でも、昼間に出現しない日でも、夜に来ていることもあるから辛抱強くいかないと。
彼女は待つばかりの実験にも慣れていた。
動植物の研究には忍耐力が要る。研究者となって三年ほど経ったが、彼女は一度も自分の研究を投げ出したことはなかった。
――――大丈夫、私にはこれくらい何ともない。
外の様子を見ながら、じっと箱の中で呼吸を整える。狭い空間のせいか、いつもよりも空気が少なくなってきたような気がして呼吸が浅くなった。
――――何か……余計な事考えちゃいそう……。
長丁場になることを覚悟していたつもりだが、自分が独りだと思うと気分が落ちていくのがわかる。だから、モニターの子供たちを観て気を紛らわせようと思った。
モニターの角度のせいか、子供たちが何をしているのかハッキリとは見えないが、どの子供も身体を大きく動かし楽しそうな様子を見せている。
「…………みんな、楽しそう」
この農場にいる子供たちは、本来ならまだ『育児機関』の保護下に置かれるはずの年齢だ。
10才までを『育児機関』で過ごし、能力によって『研究機関』『生活空間』『収容区』へ振り分けられた。ここにいるのは、早々に“不適合”と診断されて連れてこられたということ。
しかし中には10才を待たずに、子供を育てることを望む大人のもとへ養子に出されたり、能力が“不適合”になり『収容区』や“実験体”として送られたりする子供も少なくない。
――――人間がたくさんいた時代は、そこまで能力で分けることはなかったと聞いた。
人間を能力で分け始めたのは一世紀ほど前。
人類が自然繁殖では人口を増やすのが不可能だと判断した時に、確実に“質のいい遺伝子”を後世に遺すためだとされている。
だから、人類は自分の細胞を『繁殖機関』に提出し、子育てを『育児機関』に任せて、自分たちが住む惑星を第一に考えた。
現在、ほとんどの人間は相性の良い遺伝子の組み合わせによって配合されて、機械の中で培養されてから生まれる。自然に生殖される人間は、数年に一度いるかどうかとされていた。
――――自然交配じゃ人間ができる確率も低いし、高い能力の人間が生まれないって言ってた研究者もいた。
彼女はぼんやりとモニターを見つめる。
大勢で笑っている子供たちは“不適合”といわれて実験体にされた。
ここで独りそれを眺めている自分は“上級”といわれて研究者になっている。
「おんなじように生まれても、何でこんなに違うんだろう……?」
脳裏に浮かんだのは、彼女が『育児機関』にいた頃の光景。
元気に走り回っている子供たち。
どちらかというと、彼女は大人しくしていた子供だった。
彼女の周りには同じ年頃の子供がいた。
ある子供は、ぬいぐるみを子供に見立てて世話の真似事をした。
ある子供は、クレヨンを手に画面いっぱいに想像の絵を描いた。
ある子供は、絵本のお姫様を見てクルクルとダンスを踊っていた。
そんな子たちを尻目に、彼女は難しい本を広げて読み書きを必死になって覚えた。
やがて子供たちが10才になると、読み書きが完璧で大人と同じ会話ができるようになっていた彼女だけが、大人に連れられて『研究機関』へ行くことになった。
大人に手を引かれていく彼女をみんなが見送っていた。しかし、状況を解っていない子供たちの顔が今も記憶に残っている。
――――みんなが遊んでいる間に、私は勉強していたんだから当然の結果よ。
心でそう呟いた時、フッと辺りが真っ暗になった。
「え………………なに?」
「「「ずるい……」」」
「え……?」
「「「なんで、あなただけ特別なの?」」」
いつの間にか、彼女の前にはあの日の子供たちが並んでこちらを睨んでいる。
“ぬいぐるみ”を持つ子。
“クレヨン”を持つ子。
“お姫様が出てくる絵本”を持つ子。
彼女は白衣を着て、手には“難しい本”を持っていた。
「ずるい……ずるい……」
「いっつも、ひとりでいたくせに」
「みんなをバカにしてたくせに」
「なっ…………!?」
ジリジリと子供たちが彼女に迫ってくる。子供から発せられるとは思えないほど、陰鬱な圧迫感に押されて彼女は後退りをするしかない。
カラン。
「ひっ…………きゃあっ!?」
何かを踏んづけて思い切り尻もちをついた。
彼女の横にコロコロと薬の入った瓶が転がっていく。
転んだ彼女を真っ黒な子供たちが取り囲んだ。
「「「ずるい、ずるい、ずるい……」」」
「や、やめ…………」
「「「ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい」」」
「ご…………ごめんなさいっっっ!!」
――――………………っっっ!!
彼女はハッとして顔を上げる。
ごんっ!
「痛っ………………あれ?」
箱の上部に軽く頭をぶつけて気が付く。
箱が透明化しているので、目の前には明かりが消された食堂があった。
――――…………夢? 私、眠ってたの?
ドクドクと心臓が早くなって、身体から血の気が引いていく。
カラン。
白衣のポケットの中で薬瓶が鳴った。
――――薬も飲んでないのに、うたた寝してたんだ。自然に寝たの…………いつぶりかな?
その時、『育児機関』にいた子供たちの顔が浮かんで彼女は身震いをする。
「……何で謝ったりしたんだろう…………私は、悪くない」
目を擦ると、目尻から涙が零れてきた。確かに夢見は良くなかったと思う。
「そうだ、今何時だろ……」
食堂が暗いということは、子供たちの食事も終わり、『家政婦』のプログラムも片付けが終わって帰ったということ。
「やだ、もう9時になるじゃない……!」
すでに子供たちも就寝している時間だ。
慌てて農場の外のモニターを確認すると、畑の端を『教師』が歩いている。
――――これは………………
『教師』の足下、畑のうねを飛び越え、キツネのスイちゃんが嬉しそうにまとわりついていた。
――――…………『先生』だ!!
彼女は箱を中から開けて、躓いて転げそうになりながら食堂を出て、建物の外の農場の畑へと走っていく。
――――やっと、やっとだ! 『先生』を捕まえられる!!
外へ出ると、空のガラス越しに月明かりが広場を照らしている。彼女は夜の農場へ初めて来たのだ。
「…………寒っ……」
吸い込んだ空気は冷たく、吐く息が白い。
昼間の暑さとは打って変わって、夜の農場は寒々としていた。
――――これ、外の世界ならマイナスの気温になっているんだ……。
この施設の農場は外界の30%を再現している。きっと、実際には自然の夜間の寒さはこんなものではない。
寒さに両腕を擦りながら、静かに広場を過ぎて畑を奥へと進んでいく。
――――ふぅん、月明かりも良いものね。
耐熱スーツ無しでこんな場所まで歩いて行けるのが不思議だった。
ふと顔を上げると、畑の端に人影が見える。
人影は彼女に気付いているようだが、その場から動かずにこちらを見ていた。
――――ふん。観念しているみたいね。さて、『先生』とやらはどんな人…………
完全に近付く前にスゥッと月明かりが人影を照らし、その姿がハッキリと彼女の目に映った。
「え…………?」
『キャンキャン!!』
『スイ、夜は吠えちゃダメだよ』
彼女に威嚇を始めたキツネの頭を撫でて、静かにさせている人物。
短い黒髪に黒縁メガネ。
手には頭よりも大きく分厚い“本”を抱えている。
どう見ても彼女より少し年上の、15、6才くらいの少年が立っていた。
「あなたが…………『先生』なの?」
彼女が想像していたのは『教師』と同じような中年か年配の男性であったため、予想外の『先生』の姿にあ然としてしまう。
『自分、そんなに的外れな“呼び名”をしてるかなぁ? “先生”や“賢者”って、自分になかなか合ってると思うんだけど…………』
「………………………………」
何かブツブツと呟いたあと、少年は彼女をまっすぐ見詰めながら迷いなく近付いてきた。
キツネは少年の後をついてくることなく、その場に大人しくおすわりをしている。
『さて…………』
「………………っ」
少年は彼女よりも少し背が高かった。
目の前まで来ると、ぐっと顔を近付けて彼女を覗き込んでくる。あまりの近さに、彼女は一瞬ドキリとした。
『何処かの三大美女みたいに、箱詰めになってまで会いに来てくれたんだから、自分もそれなりのものを返した方がいいのかな』
考え込んだ少年に、彼女は負けじと一歩踏み出して言う。
「っ……お返しなら、お願いがあるわ!」
『ん?』
「いつもここに居なさい! 私が会いに来た時は絶対に逃げないでくれる!?」
“これまで逃げた分よ!”と言いたげな彼女の表情に、少年はにっこりと微笑んだ。
『いいよ。毎日ここで待ってる』