第五話
『キャウ! グルルルっ!!』
「ふぅ……お前、私のこと嫌い?」
農場へ向かう廊下は長く、彼女以外の人間は見掛けなかった。
移動をしようと持ち上げた時から、ケージの中のキツネは落ち着きなく鳴き始める。
『ガウッ!! キュウウウンッ!!』
威嚇しながらも不安そうにキョロキョロしていた。きっと、自分の身に何が起きるのかと恐れている。
「そうよね、お前も怖いか。いきなり知らないとこに連れてこられて…………」
そんなキツネに、彼女は幾ばくかの同情の念が湧いてきた。
――――見たところ、この子もまだ子供みたいね。
ほんの少し、胸にチクリと痛みが走った。
しんみりした気分のせいか、長い廊下を進んでいると、彼女は三年前に『育児機関』から連れ出された時のことを思い出す。
“君は世界から選ばれた人間のひとりだ”
ニヤニヤと自分を見詰めていた男のセリフが、三年間ずっと頭から離れない。
それと同時に、さっきの先輩のどこか腑に落ちないような態度が思い出される。
――――先輩も『惑星再生計画』の全容がわからないのかな。どのくらい“上”の人間になれば、世界の状況を把握できるんだろう?
“自分は惑星を救うための人材”
そう思って研究に明け暮れているのに、最近は何故か空回りしているような感覚に襲われる時がある。
「選ばれたのに、実感がわかないのよ…………いや、そんなこと思っちゃダメね」
――――気にしない……気にしない……私は私で、研究を進めるだけなんだから。それがきっと、惑星のためになるんだ。
…………カラン。
ポケットの中の薬瓶を握り締めながら、彼女はケージに入った生物を眺めた。
「大丈夫よ。あなたにだって、生まれてきた理由がある…………」
その囁きは自分に言っているようだ。
彼女はできるだけ、余計な事を考えないようにしながら農場へと足を早めた。
…………………………
………………
いつもとは違う通路を通って『栽培区』を通り過ぎ、彼女は動物を管理する『飼育区』へとやってきた。
「あれ? おねぇちゃん?」
「あら……あなたは…………」
いくつかの飼育スペースがある屋根付きの建物に到着すると、そこには『栽培区』でよく会う少女がいた。
「こっ、こんにちはっ……おねぇちゃん、きょうはどうしたの?」
どことなく、少女から焦りを感じる。何かまずいものを見られたような態度に見える。
しかし、少女はいるだけで特に何もしていないように思えた。
――――『栽培区』と隣なんだから、いても不思議じゃないけど…………どうしたのかしら?
「こんにちは。ここで何してるの?」
「え、えっと…………どうぶつさんをみにきてたの」
「そう。私、あんまりここに来ないから、この施設内のことよくわからないのよ。飼育員さん、どこにいるかしら?」
「…………おねぇちゃん、『しいくいん』さん、見たことないの?」
「え? えぇ、そうね」
「そっか、あったことないんだ。『しいくいん』さんはこっちだよ!」
「…………うん」
少女が一瞬、ホッとしたような表情になったのを彼女は見逃さなかった。
実際に『飼育員』のプログラムには会ったことはない。しかし、彼女はこの施設のチーフであるため、職員と研究員、そしてプログラムの顔は覚えている。
――――ここの『飼育員』は、ちょっと小肥りの“中年男性”だったはず……。
真実を心の内に押し込め、彼女は少女の後についていく。
「おねぇちゃんがもってるの、なかになにがいるの?」
「キツネさん……かな。今は怖がっているから、触っちゃダメよ?」
「わかった!」
少女はキラキラした目でケージの中を覗いていた。
やがて、少女は飼育スペースの屋根から、離れた場所にある納屋を指差す。
「『しいくいん』さんをよんでくるから、おねぇちゃんはここでまってて!」
「ありがとう、お願いね」
彼女がスーツ無しでは陽の光に晒されるのはキツい。それを知っている少女は、自分だけ納屋に向かった。
「『しいくいん』さーん! けんきゅうとうから、けんきゅうのおねぇちゃんが、ごようじだってー!!」
少女は陽向を納屋まで走り抜け、扉を開けて声を掛けている。
しばらくして納屋の入口に人影が見えて、少女と一緒に彼女の元へと歩いてきた。
「…………………………」
彼女は眉をしかめる。
少女に手を引かれてきた『飼育員』は帽子とツナギを着た“若い男性”だった。
背が高く細身ではあるが筋肉質。帽子から見えるのは短い黒っぽい髪の毛。
間近で見る顔は、どう見ても二十代前半である。
――――違う。ここの『飼育員』じゃない。この人、誰?
喉元まで出かけた言葉を飲み込み、彼女は『飼育員』ににっこりと微笑んだ。
「…………『飼育員』ね。さっそくなんだけど、この子のお世話をお願いしたいの」
「あ、はい…………」
目が合うと『飼育員』は帽子を目深にかぶり直す。
キツネのケージを受け取り、無言でぺこりと頭を下げると『飼育員』はすぐにどこかへ行ってしまった。
「『飼育員』さん、忙しいのね?」
「うん。ひとりでみんなをおせわしてるから」
「いつもいるの?」
「まいにちいるよ。おひるやすみだけ、いなくなるけど」
「ふぅん……?」
彼女が不審がっているなどわからない少女は、簡単に『飼育員』の情報を教える。
「じゃあ、私は帰るね。あのキツネさんとも仲良くしてね」
「うん。なかよくする!」
少女に笑顔で手を振り、彼女は研究棟へ向かう廊下へ歩いていく。ゲートが閉まり、少女から完全に見えなくなったのを確認すると、彼女は全力疾走で『特別管理室』へ向かった。
――――農場のプログラムが可笑しい! もし、私の推測が正しければ…………
部屋に入るとすぐに、研究施設にいる全てのプログラムの情報画面を呼び出して、比較するようにモニターの横に並べた。
「やっぱり違う……!」
やはり『飼育区』のプログラム『飼育員』は、彼女が覚えていた通りの中年男性であった。
そして、農場の『飼育区』の監視モニターにも中年男性が写っているのだ。
モニターに映る姿を変えて、子供たちの前だけに姿を現す。
「この『飼育員』は『先生』と同じ系統のプログラムだ……」
おそらく、彼女はほとんど『飼育区』に来なかったので、出現していたのに油断してゲートに施錠を掛けていなかったのだ。
――――政府のプログラムは完全な機械だから、設定さえしていれば施設の防犯センサーを駆使して、私が来るのを事前に把握できるはず。油断なんて“機械”がするはずがない………………『普通』なら。
彼女は目を閉じて『先生』を想像してみる。
子供たちと打ち解け秘密を共有し、物理的な手段を用いても、研究員の彼女が来ることを拒むくらいのずる賢さがある。
しかしその一方で、自分に繋がる仲間がいるのに油断してしまうというヘマをした。
「まるで…………私たち『人間』みたい」
頭に浮かんだある可能性。
それを聞くには『先生』に直接、会ってみなければならない。
「…………私と『先生』の知恵比べね。望むところよ」
彼女は並んだモニターを睨み付けた。
…………………………
………………
数日が経った。
あの日以来、彼女は農場に行っても『栽培区』だけに顔を出していた。気にはなるが急に『飼育区』に出入りし始めれば警戒されると踏んだからだ。
そして、さらに解ったことがある。
『キャンキャウン!』
「あははっ! “スイちゃん”おいでー!」
「“スイちゃん”かわいいー!」
子供たちと楽しそうに追いかけっこをしている“スイちゃん”とは、あの日『飼育員』に預けたキツネだ。
すっかり普通の犬のように、子供たちに懐いて広場を駆け回っている。先輩研究員が『気候変化に強くした』と言うだけあって、太陽の下でも元気いっぱいだ。
散々走り回った後、キツネを抱っこして日陰に戻ってきた少女に彼女は尋ねた。
「ねぇ、なんで“スイちゃん”なの?」
「え〜と、このこのひとみが“すいぎょく”とおんなじいろだから…………だよ!」
「へぇ……“翠玉”かぁ。確かに緑色の眼ね。難しい言葉を知ってるのね?」
「へ? え〜と、うんと……うん!!」
「ふふ……」
――――たぶん、名前を考えたのは『先生』ね。ずいぶんと、スイちゃんも懐いてたもの。
ここ数日、彼女は仕事の合間に農場の観察を徹底した。
農場で放し飼いにされ、昼夜問わずに走り回るスイちゃん。
わかったのは、子供だけでなくキツネのスイちゃんも『先生』にとても懐いていること。
いつも彼女が来ると吠えてくるスイちゃんは、『先生』に対しては甘えるような仕草を見せていた。逆に『教師』には吠えるという、彼女にとってはわかりやすいが複雑な状況が確認できた。
おかげで、子供たちが寝静まった時に畑を見回るのが『教師』か『先生』かの見分けがつくようになった。
――――『先生』は、夜にはほぼ毎日来ている。そこを捕まえられないかしら…………私には思いつかないことも試してみるとか……。
そう思った彼女は、普段は息抜きでもあまりしない、政府公認のゲームのコミュニティを覗いてみることにした。
彼女は仕事を終えると、久しぶりにゲームに意識を落とし込む準備を始める。
アクセスしたのは古代の都市を模した“ファンタジー”という分類のRPGであり、そのゲームの攻略を相談するスペースだった。
このゲームを利用しているのは『生活空間』と呼ばれる閉鎖空間の住民であり、惑星の人口増加のために存在する【細胞の提供者】がほとんどだ。
“上級”と呼ばれる者は毎日仕事をしているが、“中級”は一日の大半をゲームや健康維持に使う。仕事を持つことは、現代の人間のステータスであった。
正直、彼女にとっては普段は下に見ている人種だ。
――――でも、普段からゲームのために作戦を練っているんだから、私とは違う思い付きもあるかもしれない……。
“上級”ということを隠して、仮想空間の中でコメントを書き込んで待つことにする。
ちなみに、彼女のゲームでの姿は『魔法使い』で、あまり育てることがなくレベルは弱いままだ。
“なかなか接近できない相手の懐に、どうやって入ったらいいと思う?”
ゲームの攻略を聞くように尋ねる。
しばらくすると、コメントを見たであろう一人の男性プレイヤーが彼女に近付いてきた。パッと見、中堅クラスの『剣士』というところだ。
「こんにちは。接近できないって、どんな状況?」
「こんにちは。私がいると出現もしなくなるの。どこかで私が来ているのをわかってるみたい」
「相手を見たことは?」
「離れた場所でモニター越しに。同じ空間では会ったことがないの」
「……じゃあ、隠れて待ち伏せれば?」
「どうやって? 前もって行っても逃げるのに……」
「そうだね、独りじゃ難しいなら……」
その後、そのプレイヤーは自分が知っている大昔の物語の作戦や、突拍子もない人間の行動などの話をする。
彼はやはり『生活空間』の人間のようだ。しかし、閉ざされた生活の割には色々なことを勉強していて、“上級”にいても遜色ない知識量であった。
「……知ってるのはこれくらいかな」
「面白いね。ちょっとやってみようかな…………でも、あなたどこでそんなに覚えたの?」
「オレのプログラムの『子守り』が、よく昔の本を読むことを勧めてくれていたから……」
生活をプログラムに任せっきりの“中級”の人間は堕落する者が多い。
この男性のように自主的に知識を蓄えるのは、本人とプログラムが対等に話をしていることでもある。
「そうなの、良いプログラムね。参考にするわ。ありがとう」
「うん。頑張ってね」
男性プレイヤーと別れ、彼女は現実に意識を戻した。
「…………ふぅ」
彼女は一息つくとニヤリとする。
――――次こそは絶対に『先生』を捕まえてやるんだから!
次の日の仕事中。彼女は『先生』のことで頭がいっぱいになってしまった。