第四話
――――『先生』。『教師』じゃなくて『先生』。これの違いを見付けて、直接農場で確かめてみたい。
彼女は『特別管理室』のベッドに横になり、『栽培区』の広場を映したモニターを眺めていた。
昨日の昼間、彼女が農場に視察に行った際に、子供の一人がうっかりこぼした『先生』というプログラムの呼び名。
研究棟以外の施設には、プログラムが出現できる“回線”が三つある。
まず『栽培区』にある農場には『家政婦』『教師』、そこに併設されている小さな動物の『飼育区』には『飼育員』のプログラムがいる。
出現しているプログラムを呼ぶ時は、その役割りそのままで呼ぶのが一般的だった。だから視察をしている時も、子供たちの多くは目の前にいるプログラムのことを『教師』と呼んでいる。
正しい呼び方をしないと、プログラムは反応してくれない。
少し不便な気もするが、プログラムの方もそれで教えたり、従うべき人間を認識して行動しているのだ。理由は、あまり人工知能を万能に設定すると、色々な事に対して過敏に動き過ぎてしまうという、プログラムの過去の事例に則ったためである。
だから、彼女は試しに『教師』に対して“先生”と呼び掛けてみたのだが、その言葉に『教師』は特に反応もせずに行動していた。
一般の人間が単純な作業にプログラムを使うなら、簡単な型にはまった命令しか聞かないようにすれば良い……という、プログラムを統括する政府の機関の考えだ。
――――大昔“シンギュラリティ”が起きた。そのことによる、プログラムの人間への反乱対策だったはず。プログラムをわざと“馬鹿”にして、人間を超えないようにしたいって……。
知識増加で起こる“シンギュラリティ”。それによるプログラムの自我確立や人間への反抗は、大昔はとても恐れられていた。
しかし生活に根付くプログラムは、人口が少なくなった現代人にとっては生きるうえで欠かせない存在である。だから彼らを人間に近付ける必要があったし、場面によって独自に行動する人工知能を増やしたいという都合もあった。
その一番の方法が、彼らに『役割り』を付けることだったのだ。
『家政婦』『教師』『掃除員』『インストラクター』『シェフ』『子守り』…………様々な場面や、仕える人間によって彼らは姿や能力を変える。
――――同じ役割りなのに、『教師』の他に『先生』がいるのは何故?
子供たちが『教師』には懐かず、『先生』には懐く理由。
まずは『先生』の正体を探り、接触を試みないといけない。
「ここの責任者の私に隠れて、コソコソと出てくるなんて…………絶対に首根っこ掴んでやる……ふふふ……」
この時の彼女のイメージとしては、イタズラ猫を捕まえる気分だった。
次の日から、彼女は『先生』探しを徹底した。
最初は視察の回数を多くしようと思ったが、『視察』という形では事前に連絡することになる。すると訪問する時間は決められてしまい、必ず朝から行くことになるので『先生』は出てこないのが予想された。
次に『教師』が出現した後の時間に行こうと思った。しかし、それも失敗に終わる。
『教師』が農場にいるのを確認してすぐに向かおうと思ったが、そこへ続く研究棟との接続ゲートに施錠が掛かっていた。
普段、農場から研究棟へ戻る時は何もないのに、この日に限ってなかなか解除ができなかったのだ。
仕方なくその日は農場に行くのは諦めた。だが、後で録画していた農場の様子を見ると、子供たちが『教師』と戯れているのが確認された。
「……今日は『先生』が来てたんだ」
そうなると、ゲートは故意に閉められていた疑いが出てくる。
また別の日、この間と同じように『教師』が出てくる時間を狙ってゲートに手を掛けると、通路はすんなりと通れた。
彼女が仲の良い女の子にそれとなく聞くと、この日は朝から『教師』だったらしい。
つまり『先生』が、自分が来る日は研究員がいないことを確認し、念の為ゲートを閉ざしていることになる。
「ずいぶんと小癪なこと、してくれるじゃないの…………」
彼女は日が経つにつれ、まだ見ぬ『先生』から挑戦状を叩き付けられている気分になった。
そしてまた別の日もさらに別の日も、彼女がどんなに早く駆け付けたり、訪問する時間を変更したり、ついには予告無しで行ったりしても、『先生』の姿はおろか痕跡も見つからない。
普段は仲の良い子供たちも、ここだけは『先生』の味方をしているので、後手に回ることの多い彼女には完全に不利だった。
ある日の昼。
休憩を取りながら、彼女は疲れた顔でテーブルに突っ伏した。
「………………もう、やだ。疲れた」
『先生』とのモグラ叩きのような日々に、彼女は部下の女性の前で思わず弱音を吐いてしまう。
「だったら諦めれば? 特に『先生』でも『教師』でも、農場には支障はないのでしょう?」
「確かに農場は、直接的には……ね。でも、子供たちの精神的な面ではかなり違ってきてるはずよ。これはちゃんとデータとして残して、違いを比べないといけないの!」
「う〜ん……でも乱暴に言ってしまうと、そこまで細かいデータに拘らなくても、農場が上手くいくならいいんじゃ…………」
「良くないわっ! あ〜っ!! 会ったこともないのに『先生』に腹が立つっ!!」
ガシガシと髪の毛を掻きむしり、目の前に置いた皿からサンドイッチを乱暴に掴んで頬張った。
「ふふっ……でも、最近のチーフはなんか生き生きしてますよ。まるで“片想いの人”を追っ掛けているみたい」
「なっ……!? そ、そんなんじゃないわよ! もうっ……」
自分でもムキになっていると自覚しているので、彼女は部下の女性に強く否定できない。
――――まぁ、確かに“片想い”よね。私ばっかり会いたくなっているんだもの。
「片想いは置いといて…………どうにか、『先生』が来るタイミングを把握できないかなぁ」
「ふぅん……そうねぇ」
二人はため息をついてイスにもたれる。
モニターで『先生』を確認できるのは、昼間に子供たちと過ごしている時のみだ。
しかし、子供たちは何故か『先生』を隠したがっている。
子供たちに邪魔されないのは夜間。
夜に出現して畑の見回りをしているところを、彼女が捕まえればいいが、それが『教師』なのか『先生』なのかは判別がつかない。
「できれば夜…………子供たちがいない時に来ているのが分かれば……」
「でも、それが判っても、昼間のようにゲートが閉じられてしまうんじゃない?」
「うぅ…………じゃあ、どうすればいいのよ……」
現場に行けば出現せず、モニターで確認してから行こうとしても路を閉じられる。
「「う〜ん……」」
「二人とも……どうした? 何か悩みか?」
テーブルに同じように頬杖をついて悩む二人に、一人の人物が声を掛けてきた。
年齢は二十歳前後、細身で長い髪を一本にしばった中性的な男性だ。白衣を着ているので研究者だとわかった。
「あ……先輩。お久しぶりです」
「今はチーフだっけ? 大したもんだよ」
「はい。おかげさまで……先輩はいつこちらに?」
「たった今だ。ちょっとこっちの用があってな」
気さくに彼女に話し掛ける男性に、部下の女性はぽーっと頬を赤らめている。
彼女と目が合うと、ハッとしたような顔をして小さな声で彼女に詰め寄ってきた。
「ち、チーフ! ちょっといいですか……」
「何?」
「このイケメンは誰です……!?」
「あぁ、私の【中央都市】での指導員よ。いつもはあっちの研究所に居るの」
「はぁ、ステキ……目の保養……」
「………………………………」
――――彼女、確か伴侶がいたはずなよね……まぁ、確かに先輩は顔が良いな。私は興味ないけど。
既婚者でも年上でも、イケメンは目の保養になるらしいが、彼女はその気持ちがよく分からなかった。
「…………で、先輩はどうして【グリーンベル】へ?」
「うん? 実は…………こっちでコレの飼育を、そっちの『飼育区』でお願いしたくて……」
「これって……」
男性は片手に、移動時に小動物を入れるケージを持っていた。
「わぁ、何の動物ですか?」
「あ、手を出さない方がいいよ」
ガタガタガタガタッ!!
「キャッ!?」
「え!? 何っ……暴れてる!?」
「あぁ、ごめんごめん。ちょっと移動したせいか気が荒くなってる。ほら、ジャーキーやるから……」
『フーッ!!』
男性はケージの網越しに餌をねじ込む。
ガタガタと揺れていたケージは途端に静かになった。
「あの……これは?」
「うん、うちの研究チームが“どんな過酷な気候でも耐える生物”を造ろうとしてて、その産物がこの子」
『キュー……』
網の向こう、ケージの中では小さな生き物が丸くなっていた。
「基礎がキツネで、知能はイルカと同じくらいだな。人間の言うことはだいたい解るようになる予定……だった」
「だった?」
「うん。それが、急にうちの実験が取り止めになってさ。環境のデータだけでいいって……」
「取り止めって……先輩たちのグループは『惑星再生計画』の一端を担ってたじゃないですか?」
「…………まぁ、そうだったけど……なんか、最近はちょっと、な……」
「…………?」
先輩の何かが喉に引っ掛かったような物言いが気になる。しかし【中央都市】は政府の中枢がある場所。下手に追求できないことを彼女はよく解っていた。
――――政府は『惑星再生計画』に乗り気じゃない……? いや、まさかそんなことはないか。
疑念を抱くが、それを口にすれば自分の今の立場や、行動理念が失われることを知っている。
「……じゃあ、一週間ごとのデータを送って貰えるか?」
「わかりました。この子、心拍計なんかの計測チップはもう埋めてあるんですよね?」
「あぁ、それから数値を計るだけでいいから」
「では、お預かりします」
昼休みの終わり。彼女が小動物のケージを受け取ると、先輩は他の人間とも挨拶をしてからすぐに、帰りの外界移動用の飛行艇に乗って帰っていった。
先輩の乗った艇を窓から見送ったあと、彼女は抱えたケージを見てため息をつく。
「ふぅ……さて、お前を『飼育区』にお願いしないとね」
『キャウンッ! キュウウウッ!!』
「あー、もう! 静かにして!」
『栽培区』の隣りの動物専用の飼育施設がある『飼育区』に、預かったキツネ(?)の飼育と観察を頼むため、彼女はケージを持って農場へ向かった。