第二話
――――暑い……具合悪い……。
ジリジリと照り付ける太陽の光は、何重にもなったガラスと“耐光性スーツ”を通してきてもなお強烈に感じた。
この日、彼女は数人の研究者を連れて『栽培区』の“農場”へやって来た。
農場への訪問は定期的に行っているもので、彼女がこの研究施設のチーフになってから三回目である。
普段、研究施設の建物から出ずにいる研究者たちには、たまに訪れなければならない農場の視察は苦痛であった。
なぜなら研究者たちは全員、頭から足までを覆う潜水服のような白いスーツを着用するのが必須だったからだ。
農場は『研究施設』の敷地内ではあるが、天井がドーム型のガラス張りの“模擬屋外”と呼ばれる場所だった。
室内の空調は常に変化し、地面は惑星の土を洗浄したものを敷き詰めている。
そして、整備され土は植物を育てるための実験用の畑になっているのだ。
畑にはごく小さな植物が生えているが、あまり元気よく育っているようには見えない。
――――これで、惑星の気候…………屋外を30%再現か。昼間が30でこんなに暑いんじゃ、実際の外界は生きていけない土地だって思い知らされるわ……。
天井のガラスは人間に害にならない程度で太陽光を和らげ、室内の空気は温度を調節した外気を強弱を変えて取り入れられており、屋内にあって自然界の『風』が再現されていた。
それによって、空気の循環により敷地内の熱を溜めずに、実際の外の暑さや寒さを直接与えないようになっている。
しかし、研究棟に住む者たちは“耐光性スーツ”を着用しないと、数分で全身に日焼けとして軽度の火傷を負ってしまう。それくらい、現代の人間は日光に対して弱くなっていた。
「抑えているのに、ずいぶんと暑いわね……スーツも温度調節付きなのに……」
「そうね。冷却装置がなかったら、すぐに熱中症になるところよ」
「…………“あの子たち”は元気だけどね」
「それこそ、慣れ…………ってやつ。最近は私たちを見ても怖がったりしないし、物分りが良くて助かっているわ」
研究員たちの目の前には、軽装でスーツもなく走り回る子供たちがいた。いずれも五才から十才未満の子供たちだ。
畑の間の道やそれの延長にある広場を、それは元気に追いかけっこをしていた。
この子たちと畑の植物は、ある程度の整えられた環境で段階を経て生活し、徐々に日光に耐えられるように薬を投与されている。この農場の環境に慣れさせられて、日光の強さが人間に及ぼす影響を調べるための存在だった。
良い言い方をすれば“モデル”
悪い言い方をすれは“モルモット”
どちらにせよ、子供たちも研究の“材料”のひとつであって、彼女にとっては最も“情を移してはいけない存在”だ。
『はいはい、みんな! 研究員の人たちがいらしたから、きちんと挨拶をしましょう!』
両手を打ち鳴らして、子供たちを一箇所に呼ぶ男性がいた。
男性は子供たちと同じく軽装であり、痩せて貧相な手足が服の隙間から覗いている。この暑さにも顔色一つ変えずに動いていた。
男性は人間ではない。施設を動かすシステムが作り出した『プログラム』であり、実体化して与えられた役割を演じる者だ。
この男性の役割は『教師』である。
子供たちの農場での指導役と、彼らの健康管理をして研究室へ報告を入れてくるプログラムだった。
「はい……」
「はーい…………」
『教師』の呼び掛けに、子供たちは渋々といった感じで彼女たち研究員の前に並んだ。
子供たちが並び終わると、『教師』は研究員たちに向かってそろって一礼をする。その動きはどことなく事務的で、さっきまで楽しく走っていた姿とは掛け離れたものだった。
挨拶が終わると『教師』は子供たちをそのままに、研究員たちへ普段の農場の説明を始めた。
――――あまり『教師』との仲は良くないみたいね。前の視察の時も、子供たちはこの男性『教師』に対して暗い顔をしていたし…………。
『教師』の説明は事前に研究室へ渡されていた報告書通りだったので、それを覚えていた彼女は『教師』の話を聞かずに子供たちを観察した。
子供たちは俯き、決して『教師』のことを見ることはしない。じっと、まるで痛みを我慢するように押し黙っている。
『……で、ここの畑の手入れは…………』
「……………………」
彼女は『教師』の説明を聞く研究員の群れから離れて、並んで立っている子供たちの中で一番小さい女の子に話し掛けた。
「…………ねぇ、普段あなたは農場で何の仕事をしているの?」
「えっ? あ、そのっ…………」
突然話し掛けられた少女は、彼女の質問にしどろもどろになってしまう。まさか自分が声を掛けられるとは思ってなかったようだ。
『あ、チーフ! その子に説明は無理ですので、私が代わりにお話します!』
「大丈夫よ。ゆっくり聞くから、下がっててくれる?」
『は、はい…………』
何故か慌てて、少女との間に割り込んできた『教師』に、彼女は少しの苛立ちを覚えた。
「……いつも、畑のお世話をしてくれているのよね?」
子供の扱いはよく分からなかったが、彼女はできるだけゆっくり、スーツのヘルメット越しでも分かるように笑って質問する。
「いつも、イチゴさんにお水をあげてます…………」
「そうなの。イチゴさんは元気?」
「ちょっとだけ、おおきくなるけど……イチゴができるまえにかれちゃうの…………」
「じゃあ、次はうまくいくように、お姉ちゃんも考えてくるね」
「ほんと?」
「うん。それを考えるのが、お姉ちゃんのお仕事だから。一緒に頑張ろうね」
「うん!」
――――やっぱり、枯れてたか…………視察前に畑に新しい苗を植えたってことか。
彼女の視察の時。畑にはいつも植物が生えていたが、それが大きく育って収穫された様子がなかった。
彼女が『教師』の方を向くと、一瞬だけ彼の顔が強ばったように見えた。
――――…………何?
少し疑問に思ったが、特に指摘することでもないので、『教師』に対して研究員として接することにした。
「……次に私が来る時、枯れた苗も廃棄せずに冷凍保存しててくれる? 失敗した原因は気候だけじゃないかもしれないから」
『はい。わかりました……』
頭を下げる『教師』に彼女は眉をひそめた。
やはり何かあるのか…………と彼女が密かに思った時、
ピピピ、ピピピ、ピピピ…………
部下の女性が持っていたアラームが鳴る。
「チーフ、そろそろ活動限界時間なので引き上げないと……」
「わかったわ。では引き続き、こちらのメニュー通りの育成実験を続けてください」
『はい』
頭を下げる『教師』とその後ろの子供たちを眺めてから、彼女は仲間たちと一緒に研究施設の建物へと帰っていった。
…………………………
………………
チーフである彼女とその部下の女性は、専用の執務室で早速仕事に取り掛かり、過去の植物の育成データの選別をして、新たに成功例と失敗例を比べて洗い直した。
――――もっと観察する機会を増やさないとダメね。
彼女は“現場百編”という言葉を、何かで聞いたことがある。報告書に頼るよりも、実際の現場を見る方が大事だと考えた。
自分のデスクから少し離れた所にいる部下を呼ぶ。
「ねぇ、これから『栽培区』の観察を増やすことはできる?」
「できますよ。でも、現地視察を増やす前に、カメラモニターを増やす方が早いかもしれません」
「カメラねぇ……今はどれくらいの数を付けているの?」
「全部で五つです。ご覧になります?」
部下の女性はモニターを宙に写し、彼女から見える位置へ移動させた。次々と映し出された画面は、全て畑や花壇の様子だった。
「植えるか枯れるか。記録を撮っていても、あまり変わり映えのない映像ですね」
「…………畑だけ? あの子たちが遊んでいた広場の様子とかは?」
「え? ここは『栽培区』ですよ。『飼育区』じゃありませんので、人間の生活に関する映像は撮っていません」
「…………それじゃ足りないわよ。人間に及ぼす影響と併せて、植物の育成を観ないといけないんじゃない?」
彼女がこの研究施設へ来たのは二年前だが、チーフになって直接研究に口を出せるようになって半年しか経っていない。
実のところ、彼女はここへ来た時からずっと疑問に思っていたことがある。
「私はここに二年いたけど……一年半は現場へは一度も行けなかった。やっと行けるようになって、気になったことがあるの。それは『人間の観察』よ」
この部屋には二人しかいないが、彼女は声を潜めて部下の女性に伝えた。女性は苦しいような顔で彼女の方を見つめる。
「失礼ですが…………あの子供たちは……」
「解ってる。あの子たちは“不適合者”なんでしょ?」
“不適合者”
惑星を救うための【未来の開拓者】や、人口増加のための【細胞の提供者】に該当しなかった人間のこと。
人間が生まれてから、育つ経緯で知能や運動機能を測定し、他と比べて劣っていると判断された者たち。それは『育児機関』の独自の判断で決定され、毎年十才を待たずに数名が“実験体”として施設などへ送られていた。
「……一部以外には極秘の内容です。“上級”の一般市民や『生活空間』の大多数には“不適合者”を差別の被害者と捉えていますから」
「惑星を救うための尊い犠牲…………それを被害者って言うんじゃないのかしら……?」
「それは…………」
彼女の言葉に、部下の女性は口ごもる。しかし、彼女は苦笑して女性の肩を叩いた。
「あの子たちを被害者にしたくない。私は『栽培区』の実験を成功させて、あの子たちをその“功労者”として仲間に入れてあげたいの」
「確かに。実験を成功させれば、あの子たちも生き延びられますね」
――――それだけじゃない。気になることはたくさんある。そのために、あの子たちに影響するものは全て調べるのよ。
思い出したのは、暗い表情で並ぶ子供たち。
「……『栽培区』の監視用カメラを倍に増やして。他の職員や研究員には内緒で……」
「わかったわ。あなたの頼みなら、あたしもひと肌ぬいであげる。カメラの業者に知り合いがいるから、ちょっと【中央都市】に連絡してみるわ」
「…………お願いね」
部下の女性は愉しそうに頷くと、早速と言わんばかりに部屋から足早に出ていく。
「………………ふぅ」
彼女は大きく息を吐くと机からカップを取り出し、部屋に備え付けられているドリンクポットから水を精製して注ぐ。
カラン。
ポケットの瓶が鳴って、思わずそれを取り出しそうになるがその衝動を抑えて水だけを飲み干す。
元は同じ人間。
同じ惑星にいるのに、この不平等はなんなのか?
「私は恵まれている…………私は世界を救える…………私は戦える…………」
まるで呪文のように、彼女はしばらくの間呟き続けた。