第十七話
※残酷な描写があります。ご注意ください。
「あははっ! スイちゃんこっちー!」
「おねぇちゃんもこっち!」
「ちょっ……ちょっと待って……休憩」
追いかけっこをする子供たちに引っ張られ、彼女も広場で走り回った。しかし、普段走り慣れていない彼女は、すぐにバテて日陰で休憩を入れる。
『はい、お水』
「ありがと……」
水の入ったコップをもらってひと息ついた。
『顔とか腕とか、かなり真っ赤だけど平気?』
「これが日焼けってやつね。光に当たったのは少しだけなのに、もうこんなになるなんて……太陽を甘くみてたわ」
『言っておくけど、日焼けも火傷の一種だから。子供たちに合わせると、スーツ無しの君は全身火傷になるからね?』
「はぁ…………みんな、元気だなぁ」
いくら外の世界よりも陽射しが弱くなっているとはいえ、子供たちは日焼けなど気にせずに毎日遊んでいたのだ。
「遊ぶのって難しい……」
『研究者の君には無理だよね』
「あなただって、いつもあんまり動いてないじゃない。本読んだり、眺めてるだけだったり……」
『そりゃ、いつもは監視されてたから“教師”のフリしてたよ。でも今日は自分も思いっ切り遊べるんだ』
そう言うと『先生』は本の上に手をかざす。
本の表面が光った瞬間、彼の手には木の骨組みに紙を貼り合わせた小さな『グライダー』が乗っていた。
『ほら、ここって人工だけどいい風がきているだろ? 一度でいいから思う存分、飛行機のおもちゃとか飛ばしてみたかったんだ』
「そ、そうなの……」
ニカッと音が付きそうなくらいのいい笑顔だ。
『先生』のこんなに子供のような顔を、彼女は見たことがなかった。
『おーいっ! みんなー、コレ飛ばすよー!!』
「えっ! なにそれ!」
「それやりたーい!」
もの珍しかったようで、子供たちはすぐに集まってくる。
『はい、じゃあ記念すべき一投目は君がやってね』
「え? ちょっ……コレどうやるのよ!?」
『はい。手を押さえるからこうして……』
「えぅっ……あ、こ、こうねっ……!!」
『はい。投げてー』
「やぁっ!」
ヒュッ…………スットンッ!
「うわっ……」
彼女が空に向かって投げたグライダーは、直角に曲がって地面に墜落した。
『あははっ、下っ手くそーっ!』
「へたー!」
「おちたー!」
「う、うるさいっ!! 私、飛ばすの初めてだもん!!」
子供たちと一緒になってケラケラと笑う『先生』に、怒りよりも恥ずかしさで睨みつける。
「つぎ、わたしー!!」
「ぼくもーっ!!」
『はいはい、みんなの分作ってあげるから並んでー』
あっという間に、広場の上空はグライダーだらけになった。彼女も休み休み、子供たちと一緒になって飛ばし続ける。
…………ドォン……
時折、小さく聞こえてくる爆発音に、夢中で遊んでいる子供たちは誰一人気付いていない。
――――せめて太陽が沈むまで…………それまでは、ここには何も来ませんように。
彼女の願いもあってか、火災が広がり紅くなった空は夕陽の色と同化した。
…………………………
………………
陽が沈むのに東の空が明るいのはおかしいので、彼女と『先生』は、完全に夜になる前に子供たちを食堂へと移動させる。
『家政婦』が子供たちの夕飯まで作っていたようだ。
その食事を子供たちに与え、彼女と『先生』は少し離れた部屋の端に座ってそれを眺めた。
彼女の背後にはカーテンが閉められた窓がある。
普通のガラス一枚向こうでは、爆発音が徐々に大きくなりつつあった。おそらく、あと一時間もしないうちにもっと大きな音で異常事態に気付かれてしまうだろう。
「せめて、この子たちが……眠るまで……」
彼女はブツブツと祈るように呟いた。
「はい。どーぞ」
「ありがとう!」
「ぼくにもちょうだい!」
彼女は食後のジュースを子供たちへ注いでまわる。
「みんなー、全部飲むんだよー!」
「「「はーい!」」」
誰一人欠けることなく、彼女からコップを受け取りジュースを飲み始めた。
再び部屋の端へ行き、彼女は『先生』の隣りへ座る。
「ねぇ……あなたは、もう逃げないとダメなんじゃないの? 私たちはここまでだけど、あなたは何処へでも行ける」
『…………自分だけ逃げる訳ないだろ?』
「良いんだよ…………私たちはもう…………」
『居るよ。君たちが眠るまで……』
「じゃあ、そろそろだ」
『え?』
ガシャンガシャンガシャン!
パリン! パリンッ!
『…………っ!?』
『キャンキャン!』
お行儀良く座ってジュースを飲んでいた子供たちの手から、次々とコップが床へと消えていく。
子供たちはテーブルに突っ伏し、一斉に動かなくなった。
『みんなっ!? なんで……』
………………カラン。
彼女は白衣のポケットから取り出した薬瓶を眺める。
『今のジュースに?』
「うん……私が飲んでいる睡眠剤。なるほど、普通の人はこんなに早いんだ。私はもう…………何錠飲んでも効かないのに…………」
二人は眠った子供たち全員を床へ並べて寝かせた。
みんな、何も感じていない安らかな表情だ。どうやら眠気を感じる暇なく眠りにおちたようだ。
「この子たちなら“丸一日”は起きられない……」
『……………………』
丸一日、それだけ有れば全て終わる。
彼女はカーテンと窓を開けてふらふらと外へ出た。
「あなたも外へ来て。散歩くらいできるでしょ?」
『…………うん』
『クゥン……』
二人と一匹は広場から畑の方へと歩いていく。
外はすっかり夜になっていた。
久しぶりの星空が見えていたが、火災による光は空まで届いている。
「……贅沢を言うなら、星だけ光っている夜空が良かったなぁ」
『それでも、今日はキレイに見えるね』
「えぇ………………あ、イチゴ! イチゴに花がついてる!!」
上を見上げていたかと思うと、彼女はしゃがんで畑のイチゴの苗に視線を移した。
見ると、今にもしおれそうな苗に一輪だけ花が咲いていた。
『咲いてるねー。みんな頑張ってお世話してたから』
「…………頑張れば、惑星の土でもちゃんと育つのにね。みんな我慢できなかったのかな……」
『……そうだねぇ、君は頑張ったね。エライエライ』
彼女の頭をポンポンと撫でるが、下を向いたまま動かない。いつもは子供扱いに腹を立てるはずなのに。
「ねぇ、前に“研究の成果を見せたい人がいる”って言ったでしょ?」
『うん』
「私ね、同じ『育児施設』にいた子たちに、緑いっぱいの土地を見せたかったの」
彼らがよく持っていたのは、“絵本”“ぬいぐるみ”“クレヨン”だった。
「あの子たち、いつもたくさんの花や木の絵本を読んでて、可愛い動物のぬいぐるみを持ってて、クレヨンでお花ばっかり描いてたの。外にはそれがあると信じてた」
『それを君が叶えてあげる義理はないよね?』
「義理じゃない、使命だと思ったの。だって、私は“難しい本”を選んだから」
まだ『育児施設』でも幼かったある日、彼女はある子供が“難しい本”を読んでいたため、大人たちに“上級”の人間として連れていかれることに気付いた。
“じょうきゅうのひとって、いいひとなの?”
そこにいた『保育士』のプログラムに尋ねる。
“凄いよ。惑星を救う人間になれるのよ”
いまいちピンとこなかったが、とても良いことだと思って、その日から“難しい本”を手に勉強を始めた。
大人や『プログラム』たちは、どんどん彼女を褒めてくれる。
しかし、
“あんたのはなし、つまんない”
“ほめられるからって、いいきになんないでよね!”
“いっしょにあそばないなら、こっちくるな!”
他の子供たちには彼女のやる事が理解できなかった。
「……だからね、あの子らにもわかりやすく、惑星を救ってやろうと思った。どこにいても、草木が増えたらわかるように」
『君はちょっと大人になるの、早かったんだねぇ』
彼女は彼の言葉にくすくすと笑う。
「そうね、そういうことよ。だから私は、あの子たちのことは嫌いじゃない。でも、せっかく“上級”になったのに、惑星を救えなかったのは悔しいわ」
ドドォンッ……!!
近くで大きな爆発があった。
「『先生』、早く逃げなさいよ。今は助かるんでしょ?」
『今だけ。自分たちも永遠じゃない』
「いつか“巡る”時がくる?」
『…………それをどこで?』
「『リリ』が言ってた。もしかしたら“浄化”が終わった世界って、あなたたちの“巡る”が始まる時なんじゃないの?」
世界の“浄化”が終わったら、新しく“生命”を創り出すのが『惑星再生計画』だと理解した。
「『リリ』が“物質を理解すれば具現化”できるって…………あなたもさっき、グライダーを作ってたし」
何も無くなった世界で、惑星が“生命を具現化”するのと同じではないか。
「どんな世界になるか、この目で見られないのが残念で仕方ないわ」
『自分だって…………惑星が新しい世界を創る時は、もう生きてはいない。遅いか早いかの違い……』
「でも、私はここで終わりなの……」
ズドドドッ!! ガラガラガラッ!!
研究棟とこちらを繋ぐ通路が焼け落ちたのが見えた。
「時間切れね。本当は…………もう少し話したかったけど…………もう、これでいいや」
『……っ!?』
細い両腕が彼の首に重みを掛ける。
顔に吐息がかかると同時に、柔らかい感触が押し付けられた。
しかしそれは一瞬で離れて、彼の目の前には満面の笑みを浮かべる彼女がいる。
「………………よし!」
『……………………………………あ……』
「何よ、少しは喜びなさい。それと、あなたは“巡っても”絶対モテないから、私が今から予約しててあげる」
『………………あ、うん……え? 予約?』
「そう、予約。じゃあ、私も行くわ……」
…………カサッ。
彼女は手のひらに何かを乗せている。それは、あのサプリメントだった。
『あ……それ……』
「私はもう、瓶の薬は効かないのよ。でも、このサプリメント? は効くはずよね?」
『…………うん』
「結局、これは……何?」
サプリメントを見つめ、彼は苦々しく口を開く。
『惑星が作った、時限爆弾みたいなもの…………時間がきたら体内から人間を眠らせる…………小さな“ウィルス”のプログラムだ』
「いっそ毒薬ならよかったのに……」
サプリメントの包みを指先で撫でてから、彼女はそれを取り出して簡単に口に放り込む。
『あ…………』
「ふぅ…………案外、怖くないわね」
『…………………………』
「そんな顔しないで。眠るだけなんだし」
辺りに焼ける匂いが満ち始め、空気が一段と熱くなってきた。
「私が眠ったら、あんまり寝顔見ないでね。かっこ悪い顔…………見せたくないの…………」
『…………うん』
うっかり寝てしまった時に、子供たちに寝顔を見られてかなり恥ずかしかったようだ。
「ふふ……あー、新しい世界か……楽しみ…………」
『…………うん。そうだねぇ』
「新しい世界でも…………ちゃんと見付けてね……」
『わかった。見付けるから』
「……約束ね…………ありがとう……」
『……………………うん』
しばらくすると、彼女の体が傾いて彼に寄りかかり、スウスウと穏やかな寝息が聞こえてくる。
もう彼女が起きることはない。
彼女をイチゴの苗の横に寝かせて立ち尽くす。
小さな一輪だけの花が揺れている。
『花束くらい、出せば良かったのかなぁ……』
いや、きっと出したら出したで、彼女は『嫌味なの?』って怒ったはずだ。想像して苦笑する。
その時、彼の足元に温かい感触があった。
『キュウウン……』
『あぁ、スイ…………』
スイが彼にスリスリと頭を押し付けたあと、寝ている彼女の白衣に顔を突っ込んだ。
スイが頭を上げると、口に薬瓶を咥えている。
『…………キュウ……』
『彼女と一緒にいてくれる?』
『ヒャン!』
瓶から薬を取り出し手のひらに乗せると、スイはすぐにそれを口に含む。
『ありがとう。スイも、またね』
『キュ……』
彼女のお腹に頭を乗せて、スイもゆっくり目を閉じた。
『…………………………』
背後で大きな爆発音が聞こえる。
それでも、彼はしばらくその場から動けなかった。
…………………………
………………
《惑星浄化計画 地上3%完了 海域0%完了 汚染物質ノ消去マデ 時間 算出中…………》
次の話で最終回です。




