第十六話
※残酷な描写があります。ご注意ください。
自分に迫る刃物の恐怖に思わず目を瞑った一瞬、彼女の体が横から掴まれて強く引っ張られた。
「……っ!!」
『キャンキャンっ!!』
『ギャアアッ!!』
鳴き声と悲鳴が順番に聞こえて、彼女は恐る恐る目を開けた。
『大丈夫? 動いている人間を感知したら、君がいたんで驚いたよ』
「あ………………」
彼女のすぐ目の前に、見慣れた眼鏡の顔がある。
『グルルルルッ!!』
『ギャッ!! グッ!!』
すぐ側ではキツネのスイちゃんが、刃物を持った『医師』へ飛び掛っていた。
どうやらその隙に、襲われそうになった彼女を『先生』が強引に引っ張って引き寄せたようだ。
『ギャアアアアアアアア!!』
一際大きな悲鳴が響く。
スイちゃんが『医師』の両眼を牙で潰した。
『スイ、もういい! 戻っておいで!』
『ヒャンッ!』
スイちゃんが『先生』隣りに素早く戻ってくる。
『医師』は顔を両手で押さえながら、めちゃくちゃに動き回っていた。
『あ、ちょっとゴメン』
「う、うん」
『先生』は彼女を床に座らせ、自分は静かに『医師』へと近付く。『先生』の手元が一瞬光り、そこにはいつも持っている分厚い本があった。
「え? それで何を―――」
『せーの………………喰らえーーーっ!!』
ゴッッッ!!
分厚い本の角が、思いっ切り『医師』の頭に振り下ろされる。
「ヒッ……!?」
『キュウッ……』
『――――ガッ、アアア……ッ!』
まるで光る砂が崩れるように、本をぶつけられた箇所から『医師』はサラサラと形を失っていった。
『ふぅ……自分、“医師”とは腕力より口論で戦いたかったなぁ………………って、どうしたのふたりとも…………』
「ううん……なんか、心臓がキュッてなっただけ……」
『キュ〜…………』
自分が殴られた訳ではないのに、彼女とスイちゃんは『先生』の本を見詰めて微妙な反応をする。
「まさか、本で殴り倒すとは思わなかったから…………」
『別に“物理”で殴ったわけじゃなく、エネルギーをぶつけて四散させたんだ。この本は情報を詰め込んで圧縮し、さらに具現化した“高エネルギー体”なんだ。だからこれによる打撃は、元々エネルギーを具現化している“プログラム”には有効な攻撃手段で……』
「ストップ!! あれ! 別のが来た!!」
先ほど人間を引きずっていった『清掃員』が三人、元の場所へ戻ってきたのだ。
やはり、どの個体も『医師』と同じ様にぼんやりとした表情をして、手には各々鉄パイプを握っている。
「三人もいる!? ほら、さっきみたいにやっつけて!!」
『あ、無理無理。自分、アタッカーじゃないから三人は絶対無理』
ぐるんっ! と三人の『清掃員』は彼女たちの方を向いた。
「きゃああーーーっ!! 来るーーーっ!!」
『あぁ、大丈夫だよ。こっちも来たから』
「へっ?」
『先生』がそう言ったと時、シャンッと金属の擦れる音がした。
『『『ッッッ!!』』』
「あっ……!!」
彼女たちの後ろから横を抜けて、何かが『清掃員』へ向かって駆けていく。
ズッ! シュッ!
電子音に似た風切り音と共に、三人の『清掃員』が次々に光りながら崩れた。ガランッと音を立てて、彼らが握っていた鉄パイプが床に転がる。
『ご無事でしたか、チーフ』
「か……『家政婦』……?」
鉄パイプを通路の端に退けていたのは、いつものエプロン姿の『家政婦』だった。しかし、その手にはサーベルのような刀が握られていた。
「その……武器は……?」
『わたしと兄は普段“家政婦”や“飼育員”が主な役割りですが、有事の際には他の“プログラム”を補佐する役になります』
『二人とも、いざという時の戦闘能力は高めに設定されているんだよね』
「そうなの……」
――――本当にお付きの騎士みたいになってる……。
彼女がボーッと『家政婦』を眺めていると、苦笑いしてサーベルを腰の鞘に納める。するとサーベルはパッと消えた。
「ねぇ……ここで、一体何が起きてるの?」
『施設の各種システム、及び“プログラム”が暴走したようです。政府の回線を使っていますが、原因は断定できません。わたしと“先生”は今朝から暴走した“プログラム”を消していました』
「…………まだ、あんなのがいるの? さっき、起きてた人もいたんだけど……捜した方がいい?」
さっき聞いた悲鳴を思い出して身震いする。
『暴走した政府の“プログラム”はこれで全部です。あと……起きている方は何人か残っているようですが、あちこち隠れてしまっていますね。それを一人一人捜すのは難しいでしょう……』
「……………………そう、ね……」
それは今生きている者を見捨てるということだ。
しかし、その者たちを捜して集めても、結果は変わらないということに彼女は気付いてしまった。
『とりあえず、農場に移動してから話そう』
「っ……みんなは、無事なの!?」
『無事だよ。ゲートも防火シャッターも閉めているし。あそこには政府のプログラムは入れない』
「そう…………良かった」
それが本当に良かったのかどうかは分からないが、床の血溜まりを見て、こんな終わりは嫌だと思った。
…………………………
………………
研究棟を移動すると、やはりあちこちで人間が倒れている。念の為、見掛けた者を起こそうとしてみるが、やはり深く眠っていて起きようとはしなかった。
「みんな、眠ってるのね……」
『眠ってない人間もいるよ。君みたいに』
「何で、私は起きてるのかな」
『わからない』
「……………………」
ここで倒れている人間のほとんどは、先日の政府からの名簿で弾かれた者だ。
「そうだ…………ねぇ、農場の前にちょっと寄ってほしいの」
『ん? 何処に?』
「すぐそこの部屋…………」
少し行くと、研究棟の生活区域になる。
彼女にはどうしても気になることがあった。
ある部屋の前で彼女は足を止める。
入り口で呼び鈴を鳴らすが、部屋からの応答が無い。しかしその部屋には鍵が掛かっておらず、扉はすんなりと開いて彼女は中へと入っていく。
「お邪魔します…………」
『勝手に入っていいの?』
「…………………………」
部屋の中は静まり返っていた。
どんどん奥へと進み、突き当たりの一室へと踏み込む。そこは寝室で、小綺麗な部屋の中央にはダブルベッドが置かれている。
彼女はベッドの端に座る。
「…………良かった。あなたは部屋から出ていなかったのね。外は酷い有り様だったわ」
『…………………………』
「政府なんかに期待しなければ良かった……」
彼女がベッドに向かって話し掛けているが、そこに横たわっている人物はそれには応えようとはしない。応えはないのに、彼女はベッドにいる人物に話し続けた。
少し離れた場所から『先生』と『家政婦』は彼女の様子を見ている。
『あの、【472】……チーフは……』
『………………うん……』
『先生』がチラッと、ベッドサイドにあるテーブルへ視線を移すと、そこには大量の空瓶が置かれていた。
それを見て、スゥッと目を細める。
『彼女が話し掛けてるベッドの二人は、先に決断したみたいだね』
『…………………………』
しばらくすると、彼女は黙ってその部屋から出た。二人と一匹も彼女に従って歩く。
角を曲がって部屋が見えなくなると、彼女は大きなため息をついて苦笑いした。
「…………ごめんね。最後にどうしても、彼女たちの様子がみたかったの。とてもお世話になった人だから」
『もう……よろしいのですか?』
「うん。私も覚悟が決まった…………農場へ行きましょう」
再び歩き出そうとした時、『先生』が何かを思い出したかのように彼女を引き止める。
『あ、ちょっと待って』
「ん?」
『最近、政府から配られた“薬”はある?』
「な、何言ってるのよ! そんなのある訳……」
『有れば、みんなが寝てる理由がつく』
「………………え……」
一瞬、『先生』の言った意味が解らず、先ほどの気分を害されたと思ったが違うようだ。
「薬…………ねぇ」
『この施設内の全員に配られたようなやつ。日々の精神安定剤とか、安眠効果があるとか言われて…………』
「みんなに、薬…………いえ、サプリメント……?」
『え?』
「少し前に【中央都市】から新作のサプリメントは送られてきたけど……無料だって、みんなに配られていた…………」
『それは?』
「確か、食堂に置いてあったかな……“自由にお取りください”って…………私は効き目が疑わしくて飲まなかった」
『『……………………』』
『先生』と『家政婦』が顔を見合わせる。
すると『家政婦』がエプロンのポケットから何かを取り出して彼女へ差し出した。
『チーフ、そのサプリメントとは…………コレですか?』
いつか部下の女性から貰ったものと同じもの。
「ええ、そうよ」
『やっぱり……』
『そっか。よく解った……』
「え……?」
彼女は『家政婦』からサプリメントを受け取る。
プログラム二人は何かが解ったようだが、それ以上言わずに『栽培区』の方向へ歩き続けた。
とうとう『栽培区』への廊下へ辿り着くと、通路には大きなシャッターが閉められていた。
『特に異常はありませんね。子供たちは無事だと思います』
「そう、ひとまず良かった……まだ、こっちまで火災も来てないしね」
喜べる状況ではないが、子供たちが無事だということは嬉しかった。
『さぁ、農場へ』
『わかった。行こう』
「うん……」
農場への通路の防火シャッターが開けられる。
彼女と『先生』がそれをくぐったが、『家政婦』はその場から動かずにいた。
「……『家政婦』は来ないの?」
『惑星の“浄化”が始まる前に、別の施設へ行かなければなりません。兄もわたしも、上からの命令で動いてますので……』
「『飼育員』もか…………そういえば『リリ』が来た時くらいしか、ちゃんと話せなかったな…………『飼育区』の仕事をしてくれて、ありがとう……って伝えてくれる?」
『わかりました。兄も喜びます……』
「……じゃあ………………」
『………………はい……』
防火シャッターが閉まり始めた。
お互いが見えなくなる前に、彼女と『家政婦』は無言で頭を下げた。
ガシャンという音がして、シャッターは完全に通路を分断した。
「…………行こう」
『うん』
『ヒャン!』
『先生』とスイちゃんと共に、彼女は農場へと急いだ。
…………………………
………………
『栽培区』はいつも通りだった。
農場には人工の穏やかな風が吹き、広場では子供たちが何の不安もなく無邪気に遊んでいた。
ガラス越しの空は雲ひとつ無く、昨日まで砂嵐が起きていたのが嘘のように澄んだ青空に見える。
「あー、ここはまだエネルギー通ってて良かった。まだ施設内も涼しいし、快適に過ごせる気温だわ」
『ここは供給が独立型だから、今日一日はもつはずだよ』
「たぶん、エネルギーがストップしたら、今の人間は生きるの難しいよね。あははは……」
『…………………………』
何処かを見て笑う彼女の横顔を『先生』は黙って見詰めた。
そのうち、子供の一人が『先生』と彼女に気付いて、大きく手を振る。
「『せんせい』ー! あ! おねぇちゃんもいる!」
「おねぇちゃーーーん!!」
彼女の久々の訪問に全員が駆け寄ってきた。
「おねぇちゃん、ずっとまってたよ。どうしてこなかったの?」
「そうだよ。ちゃんとイチゴのせわしてたのにさ!」
「ゴメンね。最近はずっと忙しくて…………」
すっかり自分に懐いた子供たちに囲まれ、彼女は鼻の奥が痛くなってくる。
――――私は、この子たちを見捨てようとしてたんだ…………でも、もう関係ないや。
「今日はたくさん遊ぶよ。みんなが寝る時間まで、ずっと居るから…………」
「あはっ! やったー!」
「なにしてあそぶの? おにごっこ? かくれんぼ?」
彼女の言葉に素直に喜ぶ子供たちを見ていたら、今までの悩みは全てどうでもよくなっていった。




