第十五話
※残酷な描写があります。ご注意ください。
『先生』側のプログラムたちは、この惑星に起きていることを知っていた。
知った上で、彼らは人間の隣りに居続けた。
「…………人間が滅ぶのを、あなたたちは黙って見ているっていうの……?」
『…………………………』
その可能性はずっと昔から、人類に付き纏っていたものだ。だからこそ、その滅びを回避しようと必死にもがいてきた。
「じゃあ……どうして人間の近くに居たの?」
『……………………』
「滅んでも構わないなら、放っておけばいいのに……」
『……………………』
「…………何か言いなさいよ……」
『……………………』
胸元を掴んでいた手を放し、彼女は後ろに数歩下がった。『先生』は口を結び視線を逸らしている。
「もういい。あなたには頼らないっ……!!」
踵を返して、それ以上彼の顔を見ることをせずに走り出した。農場を抜けて、研究棟との連結の廊下を過ぎて、彼女専用の『特別管理室』へと駆け込んだ。
久しぶりに入ったその部屋は暗く、少し埃っぽい空気が漂っている。
最近は農場をこっそり監視することが無くなったので、半分物置きのように使っていた。
「ふふ……何よ……“頼らない”って…………あはははははっ!!」
真っ暗な部屋の中で簡易ベッドの横に座り込むと、急に謎のおかしさがこみ上げて笑い声が止まらなくなる。
ひとしきり笑い転げ、その後は床を見詰めて座り込んだ。
――――私、いつの間に『先生』を頼るようになってたんだろう? 前は自分で何もかも考えていたのに……。
「弱くなってたらダメ。考えろ……考えろ……」
独りで考え込んで、そのまま朝を迎えた。
…………………………
………………
【中央都市】からの迎えが来るまで、彼女は感情を一切出さずに動いた。
身の回りの整理から始まり、研究資料の仕分けや処分を徹底的に行い、次の研究のためと無駄を省く。
また、都市へ移動許可が下りた者に対して『一時的な移動』と偽りの通達をして荷物をまとめさせた。
――――みんなを連れていける方法……ダメだ、まだ思いつかない。
移動できない人間が圧倒的に多い中、彼女は自らの内に全てを抱え込んだ。移動する人間も置いていかれる人間にも普段通りに接した。
「移動まで…………あと何日……?」
この時はまだ時間はあるように思えた。
しかし、こんな日にちなどあっという間に過ぎていく。
幾度も【中央都市】の知り合いへ連絡をしたが、間に入る『受付』のプログラムが様々な理由をつけて取り合ってくれない。
「研究のこと」と嘘をついても無駄だった。
カラン。
彼女はよく眠れずに、再び薬を飲み始めていた。それも、以前よりも量が増えている。
「……ゴホッ! ゴホゴホッ!!」
――――こんなに飲みにくかったっけ? 前はもっとすんなり飲み込んでいたのに……。
瓶に錠剤を補充しようと薬箱を開けた時、前にもらっていたサプリメントを見付けた。
「確か……疲労回復と睡眠…………うん、いらない……」
サプリメントを箱に仕舞う。
錠剤の方が効き目が良いからだ。
それくらい、彼女は眠れなくなっていた。
…………………………
………………
とうとう、迎えが来る前日の夜。
――――結局何も、できなかった……。
静まり返った部屋で、彼女はデスクに突っ伏して自分の無力さを悔やんでいた。
一応、自分の荷物はまとめたが、それをターミナルの預かり所まで持っていく気になれない。
「明日の昼……」
――――農場のみんなは、どうしているだろう……何も知らないなら、いつも通り寝ている時間かな? 『先生』は………………
眼鏡の少年を思い出した時、泣きたい気分になってズキリと胸が痛む。
『先生』と別れた日以来、一度も農場には顔を出していなかった。
ため息をついていると、部屋に部下の女性が入ってきた。その顔は疲れきっていたが、どこかサッパリとした印象だ。
「……チーフ、少しお話があります」
「…………改まってなに?」
「あたしは【グリーンベル】に残ろうと思います。やっぱり、あの人を置いていけません。最後まで離れないと、結婚の時に誓っていますから…………」
「そう…………」
驚きは一切無かった。
こうなることは簡単に予想できていたからだ。
――――彼女はずっと私の右腕でいてくれた。それなら、私も………………
彼女も疲れていた。
ここで終わるのも悪くないと思うほどに。
「私も………………」
「チーフはちゃんと、都市へ行ってくださいね」
「…………へ?」
「あなたまで残ると言ったら、せっかく生き残れる人間が誰も居なくなってしまいます。責任者なのですから、最後まで都市へ連れていく責任を果たしてください」
「…………………………」
部下の女性は、イスに座ったまま黙り込んだ彼女を抱き締めて笑う。
「あなたが来てから楽しかったわ。ありがとう…………」
「………………ごめんなさい……」
「謝らないでちょうだい。また、いつか会いましょう……」
「うん…………」
まるで“いつか”が本当にあるかのように、部下の女性は穏やかな顔で部屋を出ていった。
ごん……。
再びデスクに頭を付ける。
「うぅ……ごめんなさい……ごめん……なさい……」
謝罪の言葉しか、口から出てきてくれなかった。
…………………………
………………
ピピピ、ピピピ…………
「…………………………」
デスクに座った状態で朝が来てしまった。
泣いた痕で顔が引き攣ったので、ノロノロと水道の場所まで移動して顔を洗う。
「あ…………嵐が止んでる……」
ホログラムを映していない部屋の窓から、久しぶりの太陽の光を感じた。覗くと、遠くの岩山や砂漠まで見渡せるくらいの快晴だ。
――――旅立ちには皮肉なくらい良い天気ね。
「………………行くか……」
荷物を引いて行くかと立ち上がった時、
ズズンッ……ズズズズッ…………
「えっ…………地震?」
最初に大きな揺れが来て、次に地鳴りが少しの間続いた。音と振動でかなりの大きさであると感じる。
――――地震…………じゃない。何?
不安に思いながらも部屋の扉を開けたが、あんなに大きな音がしたのに部屋の外は静かである。
「………………?」
この時間はみんな起き出し、食堂やら売店やらへ出掛けるので廊下は賑やかなくらいだ。
それが、恐ろしいまでに静まり返っている。
「…………何かあった?」
彼女は廊下を恐る恐る進んでいく。
【グリーンベル】の共同の休憩スペースまで来た時、この異常な変化が何か理解した。
床に人が倒れている。
それも、何人も。
「ちょっと、どうしたの!?」
すぐに近くで倒れている人間に近寄って脈を取る。
生きていることを確認し、安心したのもつかの間、彼らは彼女がどんなに起こそうとしても目が覚めないのだ。
呼び掛けても、叩いたりもしたが反応がない。
死んではいない。
ただ、とても深い眠りに落ちている。ちょっとやそっとでは起きる気配がしなかった。
「なんで…………」
顔を上げると倒れた人間はもっと、ずっと奥まで続いている。
「……まさか、施設の人間…………全員?」
よろけながらも立ち上がり、施設の他の箇所も見て回ろうと考えた。
何故、自分だけが起きて動いているのか? と疑問を持ったが、考え込むよりも動いた方が早い。
人が集まる場所で考えついたのは、売店やレストラン、生活用品、ブティック、それに各地からの取り寄せストアが集まる市場だ。
――――そこなら、もっと多く人がいるかも……
市場には深夜から通しで営業しているカフェなどもある。そこに避難している者や、起きて状況を見ていた者もいるだろうと考えた。
そしてそこには、都市へ行くための飛空艇の発着ターミナルもある。もしも艇が到着していたら、この異常事態に気付いてくれると思った。
「……誰か、起きてて……!!」
市場とターミナルへの廊下を走り抜ける際にも、点々と人間が倒れており、それらにぶつからないように移動する。
やがて噴水を中心に、沢山の店が並ぶ広場に辿り着いた。
忙しい彼女はあまり来たことはないが、この場所は【グリーンベル】では一番賑やかな処であった。
しかし、その場所のあちこちにも眠った人間が倒れている。その辺の店の中にも人間が倒れていて、普段はカウンターで働いている『店員』のプログラムも見掛けなかった。
「ターミナルは…………何よ、これ……?」
店を覗きながらターミナルへ続く廊下を走ったが、いつもは真っ直ぐ伸びている大きな通路が、防火用のシャッターで固く閉ざされていた。
近付いて見上げると、到底手動では開かないような大きなシャッターだ。
「何で、閉まってるのよ…………っ!! 熱ッ!?」
腹立ちまぎれにシャッターを拳で叩いたが、その表面が熱したフライパンのようになっていた。
「まさか……この向こうで、火災が起きてる……?」
通路の近くにターミナルの様子が見られる、窓付きの場所があったことを思い出し、急いでそちらへ行って現状を確認する。
ターミナルに飛空艇が到着していた。
だが…………
「…………壁が、破られている」
まさに“突っ込んだ”という感じで、ターミナル内はめちゃくちゃだった。
本来なら艇を迎えるゲートが破壊されていたのだ。
開かなかったのか、それとも艇が暴走したのか、外に通じる壁は破られ、爆発したように艇や発着場所は粉々になって炎上している。
ターミナル内で倒れている人間も、遠目から見ても助からないと判断できる有り様だ。
彼女が覗く窓も熱気で窓の縁が溶けかかっていた。
ドンッ!!
「きゃあっ!!」
覗いていた窓の向こうで何かが爆発した。
景色はさらに紅くなっていく。
彼女はその場にへたり込んだ。
迎えの艇はターミナルごと潰れ、炎の中でも倒れて動かない人間たち。
なぜ急にこんな事態になっているのか?
惑星の“浄化”はもう始まってしまったのか?
僅かな人類でも残すというのは嘘だったのか?
この状況を見て彼女は悟る。
「…………終わりだ。少なくとも【グリーンベル】は……………………滅ぶんだ」
自分のやってきたことは全て無駄だった。
この喪失を『絶望』だけでは言い表せない。
――――私も、ここで死ぬんだ。
そう考えた彼女の脳裏には、『栽培区』のみんなの顔が浮かんだ。
「…………農場は……子供たちは……?」
――――『先生』と『家政婦』は……あの子たちと一緒にいるの?
最後に別れた時、まともに『先生』の顔を見なかったことが急に悲しくなってくる。
――――あの時、私が一方的に怒って帰ったから…………
彼は人間ではなく『プログラム』だ。
もしかしたら、彼女に言えない“制限”などがあったのかもしれない。
「せめて、農場に…………最後に…………」
彼女は『栽培区』のある方へと歩き出す。
ここから農場まではだいぶ離れている。ターミナルの火がシェルターを越えてきても、半日は持ち堪えるはずだ。
しばらく歩き、市場を抜けて研究棟へと彼女が戻ってきた時、
「うわぁあああっ!!」
通路一つ向こうで誰かの悲鳴が聞こえた。
「っ!? 誰……誰かいるの!?」
彼女は慌てて通路へ飛び込む。
そこには数人の人影があった。
「良かった……起きてる人が…………でも、今の悲鳴は…………?」
白衣の男性と思わしき後ろ姿へと近付く。しかしそこで、その足元に血溜まりのような広がりを発見して立ち止まった。
「……何、これ…………血……?」
それを認識した瞬間、ドキドキと心臓が早鐘を打つ。
目の前の人物が、ゆっくりと振り返って彼女の顔を見た。
白衣の男性は『医師』のプログラムだった。真っ赤に染まった手には、医療に使うものであろう刃物が握られている。
「っ……!!」
さらに『医師』の後ろには数名の『清掃員』がいて、まるでゴミを片付けるように、血塗れのぐったりとした人間を引きずっていくのが見えた。
「あ、あぁ…………」
『…………起キテイル人間ハ“廃棄”…………』
どこかいつもとは違う『医師』は、ぼんやりとした口調で、後退りを始めた彼女へと刃物を向けて近付いてくる。
「や、やめ…………」
――――いやだ……私は、彼に謝らないと…………
「…………『先生』っ!!」
白い刃が彼女目掛けて迫ってきた。




