第十二話
スヤスヤと眠る子供たちのど真ん中で、そのプログラムはがっちりと彼女の手を握った。
『よろしくねー!』
「あ、うん…………」
ブンブンと握手された手が上下に揺れる。
彼女はプログラムの『リリ』に、とても元気良く挨拶されていた。
――――なんか『先生』の友達のイメージと違う。
彼女は『リリ』の勢いに押されつつ、ふと隣りを見ると『子守り』が『家政婦』に何か話をしているところだった。
『【915】、お願いがあるのだけど…………』
『【844】が回線を乗っ取ってまで、お願いに来るなんて珍しいですね。なんでしょうか?』
『あのね……』
ヒソヒソと何かを耳打ちするような、そんな普通の二人のやり取りが何故か気になった。
『どうしたの?』
「え……その、この二人……」
『あー、わかる…………なんか“お姫様とお付きの騎士”みたいでドキドキするよねー♪』
「へっ!? そ、そういうつもりで見てたんじゃ……」
そんなつもりは毛頭なかったのに『リリ』が余計なことを言ったために、改めて二人を見るともう“それ”にしか思えなくなってしまった。
フワフワの『子守り』はとても華奢で儚げな美少女だ。それと比較して『家政婦』は背が高くてスタイルが良い。確かに、絵本に出てきそうな光景である。
――――お姫様か…………
その時ふと、白い服を着た子供が白い部屋に集まっている情景が浮かぶ。
“ねぇ! このえほん、おもしろいのよ!”
誰だったか、彼女に絵本を進めてきたので仕方なく読んだものがそんなお話だった。今思えば、面白かったような気がする。
――――ちゃんと読めばよかった……そうしたら、あの子たちともおしゃべりしたりできたはずなのに……。
彼女に小さな後悔が湧いた時、トントンと控え目に肩を叩かれた。顔を上げると、フワフワの『子守り』が目の前にいる。
『あの、チーフさん……私は帰りますね』
「あ、はい……お疲れ様……です」
『では、またいつか……』
ふんわりとした笑顔はまさに“お姫様”だ。
『じゃ【915】、彼のことお願いします』
『はい。任せてください』
フワフワの『子守り』は二、三歩下がると笑って一礼をし、パンッという音と共に一瞬で消えた。
「消えた……」
『“ホーム”に帰ったの。最近はあんまり人間と関わってないから、そんなに長く滞在できないらしいわ』
「そういうものなの?」
短い出来事にも理由はあるらしい。
プログラムは登場も退場も突然である。
『ねぇ【915】? 【844】の用事は終わりなの?』
『はい。料理のレシピを教えに来ただけですから』
『そう、やっぱり作ってあげたいのね。わたしも今日は頑張っちゃうかな。後で【655】にも来てもらいましょ!』
『ふふ……そうですね。喜ぶと思いますよ』
「…………………………」
彼女にはわからない会話だ。やはり、彼らプログラムで共有の場所や物事があることがわかる。
――――プログラム同士でこんな会話、聞いたことがない。
さっきのフワフワの『子守り』の笑顔が浮かび、自然と彼女の口が動く。
「ねぇ……あなたたちって…………『シンギュラリティ』起きているよね……?」
彼女は思わず言ってしまう。
このことは彼女が『先生』と会ったばかりの頃から、頭の片隅で燻っていた疑問である。
『シンギュラリティ』が起きた機械は、人間と同じ様に“心”を持って動くからだ。
この言葉に『リリ』と『家政婦』はじっと彼女を見詰めた。小さくため息をつくと、『リリ』は困ったように笑う。
『…………とりあえず、部屋を変えない? ここじゃ子供たちが起きちゃう。この子たち、連日の砂嵐が怖くてまともに眠ってなかったみたいだから』
「そう、なんだ……」
――――施設内は安全だから、砂嵐が怖いなんて思ったことなかったわ。
朝方『子守り』二人と過ごして安心したのか、子供たちはぐっすりと眠っている。
本来なら起床の時間だが、あと一時間は寝かせておくことにした。
…………………………
………………
三人は食堂へと移動する。
『リリ』と『家政婦』が並んで座り、彼女はその向かい側に座った。
座った途端に、彼女は再び二人に問い掛ける。
「あなたたちは『シンギュラリティ』を起こしているよね?」
大昔、人間からとても恐れられた『シンギュラリティ』だが、もしもそれが偶発的に起きた場合は政府へ報せることになる。
新しい【人工生命体人権法】により、プログラムが『シンギュラリティ』を起こした場合、政府に届け出ることで“人間”としての人権を得ることができるからだ。
『なぜ……わたしたちに“心”があると思ったの?』
「あなたたちを見ていると“唯一無二”に思えるんだもの……」
彼女の言うことに『リリ』はキョトンとする。
『当たり前よ。“わたし”は二人もいないもの』
「当たり前じゃないわ……プログラムは、二人三人も……いくらでもいるものよ?」
『プログラム』は人間の生活のための機械だ。
家事を行う『家政婦』
教育を助ける『教師』
トレーニングを手伝う『トレーナー』
健康を維持する『医師』『看護師』……など。
挙げればキリがないほど、生活を助ける『プログラム』は存在し、使う人間によって性格や容姿にもバリエーションはあるが、それらは“唯一”の存在ということではない。
各個人で『プログラム』を所有していると、ご近所で『家政婦』が同じだったりする“プログラム被り”が起こることもあるくらいだ。
「私は双子のプログラムなんて見たことなかったし、人間に指導する立場のプログラムの見た目が未成年なのも見たことない。それに…………」
彼女は『リリ』の方を向く。
「あなた自分の名前を『リリ』って名乗ったけど…………普通のプログラムは名乗れないのよ?」
一般的に『プログラム』は役柄をそのまま名乗る。
世の中に出回っている『プログラム』の多くは、政府が国民に派遣しているものだ。彼らは役柄に徹し、決して“自己”を認識することがない。
いくら『プログラム』の持ち主が愛称を付けても、他者に自己紹介をする時は、己の“役柄”しか教えない決まりになっていた。現代はそれも『個人情報』であるからだ。
「それに、あなたも『家政婦』も『先生』も…………生みの親が同じだって聞いた。だから…………」
『だから? それだけで、わたしやこの子たちがシンギュラリティを起こしてると思ったの? 証拠は? シンギュラリティは一定以上の“知能指数”を超えた時に起こるって言われているけど、わたしのその指数は出会ったばかりじゃ測れないわよね?』
「……………………」
にっこりと笑う『リリ』に『先生』が重なって見える。
――――あぁ、この娘が『先生』と友達だってこと解ってきたわ…………友達というか兄妹みたい。
彼らの製作者は『リリ』にも『先生』にも、分け隔てなく“反論できるくらいの知恵”を与えている。
「……『シンギュラリティ』が起きていると証明されれば、人権を得て“人間”として認められるのよ? 堂々と名前を名乗ることもできる」
『わたし、今でも主の許可ありで堂々と名乗れるわ。それに大勢に言う訳じゃないもの』
――――プログラムが人権を持つのは悪いことじゃないのに。
「なんで……」
『わたしたち“人工生命体”が“人間”として認められても立場は変わらない。今の状況からの選択肢なんてないのよ』
「っ………………!!」
“どうせ選択肢のない未来なら、現在の居場所くらいは楽しくしてあげたいと思わないかい?”
以前、子供たちの境遇を『先生』と話した時の言葉だ。
もしかしたら、あれは他のことにも言えたのではないのか?
人間の“下級”には人権がない。
生きる場所も選べない。
『プログラム』は機械で人間ではない。
主である人間に選ばれて仕える。
この世界では、みんな誰かに決められているのだ。
「…………じゃあ、誰が、選べる……っていうの……?」
『………………』
『チーフ……?』
「選択肢なんて……誰にも無いのに」
ポロッと口から出る言葉が、自分では止められそうにない。
「じょ……“上級”も“中級”も『育児施設』から連れ出されて……【未来の開拓者】とか【細胞の提供者】なんて呼ばれて…………結局は置かれた環境から、何処にも行けないじゃ…………ない……」
ポタ。ポタポタ。
胸元や手の甲に雫が落ちていく。
「この、世界の人間……みんな、誰かに連れていかれて……自分が選んでもいない場所で、みんな……“役割”を与えられて……そんなの……“上級”も“下級”も……関係ないと思う」
彼女の口は次々と言葉を紡ぐ。
自分は努力して“上級”になった。
いや、最初は『育児施設』で字の多い本を読んでいたら、視察にきた大人に褒められたのが始まりだった。
“たくさん本を読めると良いね”
そう言われて“大人は字が読める子供を褒める”、“頭の良い子はもっと喜ばれる”と理解したのだ。
大人しくて内気だった彼女は、大人に褒められたい一心で、他の子供が遊んでいる時も読み書きを必死で習った。
さらに上の本を読むことができて、またさらに難しい本を読み漁っていくようになる。
すると、ある難しい本に“惑星を救う科学者”の話が載っていて、彼女の興味はそちらの方へと流れていった。
――――“上級”の人間になれば、惑星と人類を救える!
純粋な子供は見事“上級”に選ばれ、更なる上の地位を目指すことになった。
政府から正式に【グリーンベル】へと送られ、動植物の研究へと邁進したが、チーフになってからは何かがおかしいと感じていた。
だから農場への視察を増やして、そこで人間や植物に直に触れ合う機会を設けたのだ。
それでも成果を上げられずに悩んでいたところに、子供たちが『先生』と呼ぶプログラムに出会った。
「……正直、『先生』を見付けた時は嬉しかったの。もしかしたら、何かの突破口になるんじゃないか……って。『先生』に協力してもらってから、研究が……とても楽しくて…………」
『そっかー。それ【472】に教えたら喜ぶよー。あなたのこと、だいぶ買っていたから』
研究員になりたての頃の気持ちになれた。
最近は薬を飲まなくてもちゃんと眠れている。
「私なりに、頑張ったの……」
『うんうん、エラいエラい』
『リリ』が彼女の頭を撫でていた。
いつの間にか涙が止まっていて、彼女は『リリ』に抱き締められている。イスに座ったまま、身体を完全に預けてしまっていた。
――――そういえば彼女『子守り』だったわ…………もう、完全に子供扱いじゃない…………でも暖かくて眠い……。
予想外に身体がポカポカしてきて、うとうとと眠りに落ちる寸前である。
『……頑張ったあなたに、いいこと教えてあげる』
「………………」
耳元で囁かれるが、目蓋が重くて反応できない。
『わたし、“シンギュラリティ”なんて起こしてないわ。わたしの“兄弟たち”は全員、そんなもの起こさない』
「………………」
――――やっぱり、認めないのか…………
『シンギュラリティなんて必要ない。だって、わたしたちみんな、生まれた時から“心”なんて当たり前あるもの』
『リリ』はにっこりと笑った。




