第十一話
今日は休日であり、遅めの朝食が終わった昼のゆったりとした時間。
『はぁ〜〜〜いっ!! みんな、元気かな〜!!』
「「「は〜〜〜いっ!!」」」
『じゃあ、大きな声であいさつをしてみよーっ!! こ〜〜〜んに〜ちは〜〜〜!!』
「「「こんにちは〜〜〜っ!!!!」」」
――――これは……目の前で起きている事は一体なにかしら???
彼女は元気に叫ぶ子供たちの後ろで、今起きていることを整理しようとしていた。
…………………………
………………
少し遡って七時間前の早朝。
農場の畑は陽が昇ると気温が一気に上昇する。
しかしここ三日間、外の世界では酷い砂嵐が巻き起こっているため、太陽は隠れて特殊ガラスの向こうの空はどんよりと曇って畑も寒々しい。
外の気温を30%再現している農場では、連日の寒さの影響をもろに受けてしまう。
「おはよう。何か手伝おうか?」
『おはようございます。はい、後ほど皿を並べるのをお願いしてもよろしいですか?』
彼女が朝食を手伝おうと顔を出した時、キッチンでは『家政婦』が鍋をかき混ぜていた。
「今日はもう一つの出現場所はお休みなんだっけ?」
『はい。あちらの方が、休日は自分で家事をするから……と言っているので』
「ふぅん。『生活空間』にも、自立心のある人がいるものね」
とりとめのない会話をしながら、『家政婦』の仕事を覗く。
煮込まれている大鍋から、ふわりと良い香りが漂ってきた。
「あ、今日はポトフにするのね」
『こうも薄寒い日が続くと、皆さん気落ちしてしまいますので、朝に少しでも温かいものをと。子供たちも好きなメニューですし』
「いいわね。私も朝は寒くて仕方ないから嬉しいわ」
彼女は『家政婦』の邪魔にならないように、少し離れたイスに座って話し掛ける。
「今日来る『先生』のお友達って知ってる?」
『はい。彼女のことはわたしも存じています。とても明るくて元気な方ですよ』
「やっぱり、作者が同じプログラム? たまに会ったりするの?」
質問に『家政婦』は少しだけ間を置く。返答を考えているようだった。
『会いますね。わたしたちにも帰る場所……“ホーム”があります。何かあった時や休みたい時、役目を終えた時などに集まる場所です。彼女とは生まれた時からそこで一緒でした』
「なんか、私たちが育った『育成施設』みたい…………」
くつくつ、くつくつ…………
鍋から煮込まれる小さな音が続く。
その音を聴きながら、彼女の脳裏には10才まで過ごした光景が浮かんできた。
同じような服。
同じような髪型。
男女で扱いの違いはほとんどなく、同じ時間勉強して、自由時間もみんな同じだった。
手にはそれぞれお気に入りの――――
『『『ずるい……!』』』
「っっっ!?」
ヒュッと短い呼吸で彼女は顔を上げる。
誰かに頭を叩かれたような、急に現実に帰って来た感覚だ。ドクドクと鼓動が早い。
イスからずり落ちそうになったのを視界の隅に入れたのか、『家政婦』が心配そうに彼女の方を向いた。
『…………チーフ? 大丈夫ですか、どうかしましたか?』
「だ、大丈夫……ちょっと、うとうとしてたみたい……」
『あ……少し顔色が悪いですね。今、温かい飲み物をご用意しますから、あちらのテーブルの方へどうぞ』
「ごめんなさい、ありがとう……」
立ち上がると、身体がぶるっと震える。
彼女が思った以上にキッチンは寒かったようだ。
――――はぁ、ココアが美味しい。
彼女はテーブルの席に座り、淹れられた温かいココアを飲みながら『家政婦』が調理を終えるまでキッチンの方を眺める。まだもう少し掛かりそうだ。
反対側の窓の外は畑が見えるが、その更に向こうには砂嵐で真っ暗な外の世界が広がっている。
人工の風がそよそよと吹く内側。
自然の風が荒れ狂っている外側。
それらを同時に見詰めていると、彼女にはそのどちらも別の世界の出来事に思えてきた。
「明日は天気が良いといいなぁ……」
たぶん、この砂嵐は一ヶ月は続くはずだ。
彼女は自室から毎日、本当の外の世界を眺めて“自然にもパターンがある”と学んでいた。
――――緑を増やしたくらいじゃ、もうこの惑星は再生しない。解ってはいたけど、改めて聞くとショックだわ……。
先日、【中央都市】の研究所から伝えられた『惑星再生計画』の実行案は、彼女を含めた【グリーンベル】の研究者たちに衝撃を与えた。
“世界をすべて壊して、世界のすべてを創り直す”
『惑星再生計画』とは、惑星の中心である“マントル”に『自己再生システム』を組み込んだ機械を埋めて、惑星そのものに世界の立て直しを託すものである。
惑星が自らの治癒を内部から行い、人間はそれを手助けする形だ。
しかしそれには、現在惑星を覆う汚染された全てを取り除かなければならない。
――――元々、惑星には自己再生の力があったものを、人間が壊してしまった。大量に作られた“汚染物質”は惑星の力だけではどうしようもない。
“まずは人類を一箇所に集め、その区域以外を『浄化』していく。もちろん、大地だけではなく海や大気も『浄化』に含まれる”
一箇所というのは、おそらく【中央都市】のことだろう。
この【グリーンベル】の土地は『浄化』とやらの対象になり施設ごと壊されるはずだ。
「……………………」
軽く目眩を覚えながら、彼女は先日の『惑星再生計画』の説明を反芻する。
“惑星自身が行った『浄化』によって再生された大地は、今までよりも動植物が生きるのに適したものになる予定である”
――――つまり、今やっている現在の惑星に植物を育てるのは…………無駄になるってこと?
新しい土、新しい水、新しい空気…………それらが揃えば黙っていても自然は復活するだろう。
――――私たちは黙ってそれを見守り、その後の『浄化』された世界に住まいを移していく。私の研究者としての仕事は、『浄化』中に何年か後を見据えての研究になるんだわ……。
「…………本当に上手くいくのかしら……?」
『大丈夫ですか?』
「へ?」
彼女が顔を上げると、正面に『家政婦』が座っていた。朝食の準備が終わり、話し相手として彼女の傍に来たのだ。
『何か、思い詰めた顔をしてらっしゃるので……』
「特に思い詰めてなんて………………ねぇ、聞いてもいい?」
『なんでしょう?』
「もしも、今まで人間がやってきたことを捨てて、機械で全てを創り直すと言われたら…………それは素直に受け取って良いものだと思う?」
『惑星再生計画』の話を聞いてから、彼女が疑問に思っていたことだ。
惑星の自然を取り戻すことは大事だ。
しかし、人間は惑星を『機械化』させて再生しようとしている。それは自然というのだろうか?
「善いこと? 悪いこと?」
『……人間の倫理観からの視点での“善悪”の意味でしょうか?』
「あなたたち『プログラム』からはどう思うの? 惑星そのものが『機械』になることは?」
『わたしたちの視点で…………』
「惑星を『機械化』して世界を創り直すことに、善悪はあると思う?」
目の前にいる『家政婦』は機械だ。
これは『家政婦』に“お前は善か? 悪か?”と問いていることになる。きっと“機械は使う主次第であり、善にも悪にもなる”という、模範解答を言ってくることが予想された。
そう思っているのに、彼女は『家政婦』を見て何故かその答えを聞いてみたくなった。
『…………………………』
「…………………………」
しばらく沈黙が続く。
『家政婦』は無表情で真っ直ぐに彼女を見詰めたままだ。
――――この質問は『家政婦』のシステム的には答えられない範囲だったかな?
彼女は『家政婦』に“答えなくてもいい”と言おうとした。その時、
『…………もしも世界を創れても、そこに“大事な人”がいなければ、わたしにとって世界には善も悪もありません』
やっと聴こえるくらいの声で『家政婦』が答えた。
彼女を見据えていた目は伏せられ、両手は祈るように組まれてテーブルに置かれていた。
「どういう意味…………?」
『……………………………………』
意外な返答に、彼女は思わず聞き返してしまう。
“大事な人”という言葉を言った時、『家政婦』の肩が震えたように見えた。
「あなたたちって…………シ……」
ピピピ、ピピピ…………
会話を遮るように、けたたましいアラームが鳴る。
「あ……」
『さて、もう7時になりましたね。子供たちがまだ起きてこないので、一度様子を見てきます』
「…………わ、私も行くわっ!」
まるでアラームの音で切り替わったように、『家政婦』はいつもの真面目な面持ちで席を立って食堂から出ていく。彼女は一瞬だけ呆けたが、慌ててその後ろを追っていった。
…………………………
………………
子供たちの寝室は建物の一番奥にあった。
とても大きな部屋で、壁際には小さな滑り台やジャングルジム、ままごとのキッチンカウンターなどもあって、彼女には『育児機関』を思い出させるような部屋だった。
その部屋の真ん中で、ベッドではなくいくつもの床に敷く布団が集められている。いわゆる雑魚寝のように、子供たち全員が転がって眠っているのだが…………
――――…………何? 誰?
床敷の布団に転がる子供たちに囲まれ、二人の金髪の少女がお互いに向き合う形でスヤスヤと眠っている。
「えっと…………この女の子たちは? 『家政婦』の知り合い?」
『わたしの仲間です。分類としては……二人とも“子守り”のプログラムですね』
基本的に子供が多いところには『子守り』のプログラムが適任だ。
『子守り』の特徴は子供好きで世話好き。
子供にストレスが掛からないように配慮し、子供の安全と健康を第一に考える。必要とあれば、彼らは教師にも家政婦にも役割を変えることができた。
――――だから“実験体”であるここの子供たちには『子守り』が付けられなかった。ストレスの掛かる環境なのはわかりきっていたし……。
目の前で眠る子供たちの安心しきった顔に、この世界での人間の在り方を考えさせられる。
『さすがに起こしますか…………二人とも、起きてください』
『ふむ〜ん……んん〜……』
『うぅ……ん……』
二人の少女が身体を伸ばしながら起きた。
『ふわぁ……あー、おはよー!』
『……おはよう……ございます』
目を開けてこちらを見る少女たちは、同じ歳頃に金髪にだが、その表情や仕草から性格は明らかに異なっていた。
一人は、背中までのストレートの金髪を所々リボンで縛り、パッチリとした青い目はとても元気の良さそうな印象を受ける。
もう一人は、腰まで伸びたウェーブの掛かったフワフワの淡い金髪。まだ夢の中にいるようなおっとりした雰囲気が漂っている。
彼女から見て二人ともとても可愛いが、どちらかと言うと、フワフワの『子守り』の方が“守ってあげたい美少女”と言われるだろうと思った。
『今日は【827】だけかと思いましたが、まさか【844】まで来るとは…………』
『あ、【915】! 久しぶり!』
『ご無沙汰してます【915】。大丈夫、私はすぐ帰ります。今朝【655】に回線を借りただけなので……』
「え…………?」
『家政婦』と彼女たちがお互いを【数字】で呼ぶ。
『家政婦』は【915】
リボンの『子守り』は【827】
フワフワの『子守り』は【844】
その【827】こと、リボンの『子守り』が彼女の方を向く。
『なるほど。あなたが【472】……“先生”のお友達ね?』
「え? えぇ……まぁ……」
今の話だと『先生』は【472】のようだ。
では【655】は誰だろう……と彼女が首を傾げていると、リボンの『子守り』は立ち上がって右手を差し出す。
『はじめまして。今日は“先生”の紹介で来たの。わたしのことは“リリ”って呼んでね!』
「『リリ』? あなた、名前持ちなの?」
『うん! よろしくね!』
「えぇ、よろしく……」
彼女が恐る恐る出した手を『リリ』は両手で握り、元気よく上下に振る。
――――無駄に元気な娘ね…………面白いけど、まさかこのプログラムも……?
彼女は『リリ』に対して少し愉快な気持ちになったが、先ほど聞けなかった『家政婦』への疑問が膨らんでいくのを感じた。




