第十話
彼女が子供たちと朝食を摂るようになって数週間。
「ごちそうさまでしたー!!」
「でしたー!!」
「あっ、ちょっと待って! 口、口の周りが凄いことにっ……!!」
食べ終わって席から立ち上がる年少の子供たちを呼び止め、彼女は食べカスでベタベタになった顔をキレイなナプキンで拭き取った。
「はい、もういいわ。食器を下げたら、畑のお世話をお願いね?」
「うん! おねぇちゃん、ありがとー!」
「ありがとー!!」
彼女にペコリと頭を下げて、子供たちはキッチンの方へと使い終わった自分の皿を片付けに行く。
「あ! そういえば、今朝は会議があるんだった……」
彼女も自分の皿を急いでキッチンへ持っていき、他の皿とまとめて洗浄機へと入れた。
「え〜と、今から洗って…………うん、充分会議に間に合うわね!」
使用済みの食器を全て片付け、洗浄機を作動させる。これが終わったら棚に戻せば終わりだ。
『君だって忙しいだろうし、あとは自分が片付けておくけど……』
「ダメよ。あなたに任せたら、次に使うお皿が減ってしまうもの!」
『う…………』
子供たちが使ったテーブルを拭きながら、『先生』が彼女に提案をするがすぐに却下されてしまう。
平日の朝、『家政婦』がいない時間は『先生』が子供たちの世話をしていると知って、彼女もできる限り手伝おうとほぼ毎日通って来ている。
「どうして毎回毎回、面白いようにお皿の事故が起きるのかしら? 不思議だわ……」
『…………自分、そんなに言われるまで割ってない』
「『せんせい』、きのうはにまいわった」
「そのまえは、さんまいー!」
「……………………弁明は?」
『ありません……』
いつも知らない知識を教える『先生』だが、実はかなりの不器用だった。
特に家事などに関して『先生』は張り切ってやろうとしてはいるものの、何故か物が壊れたりすることが多い。
――――もう……子供たちの世話をするのに、『先生』は確かに“適任”ではあるけど“適役”ではなかったのよね……。
彼女は二日くらい様子を見て“『先生』はその場にいるだけにして一切手伝わなくていい!”と判断した。
下手に『先生』を片付けに参加させるよりも、子供たちに自分で下膳させて彼女が仕上げをする……という流れが一番安心で効率が良かったのだ。
『掃除くらいはできるけど……』
「細かいところは『家政婦』がやるってことになっているので、あなたは農場の準備だけしててくださいね?」
にっっっこりと微笑んで、無言で『お前は家事に参加するな!』と圧を掛けておく。
『そんなにダメかなぁ……』
『キュウウ……』
しゅんとして食堂のイスに腰掛ける『先生』の足元には、彼を慰めるようにキツネのスイちゃんが擦り寄っている。
「あ! スイちゃんみっけ!」
「あそぼー!」
『クゥウウウン…………』
そのスイちゃんも子供たちに捕まって、外へ連れ出されていった。
子供たち全員が食堂から出ていくと、途端に周りは静けさに包まれた。
ゴゥンゴゥン……と洗浄機の低い音が微かに聞こえる。
あと数分で終わるので、彼女はそのままキッチンの小さいイスに腰掛けてボーッと洗浄機を眺めていた。
突然、その視界に『先生』が入ってくる。
『……ありがとう』
「え……!? な、何よ急に……」
『いや、子供たちのこといつも気にしてくれてるだろ?』
「まぁ…………これは、私の“義務”だからよ。それを言ったら、政府のプログラムじゃないあなたたちが、私たちの“義務”に付き合う“義理”はないんじゃないの?」
『“義理”じゃない。自分たちにも“打算”がある……あの時言ったはずだけど?』
「……………………」
初めて早朝に来た日、『先生』が言ったことが彼女の頭から離れない。
…………………………
………………
“ここが、子供たちにとっての良い最期を迎える場所であるようにするためだよ”
この台詞に、彼女は頭が混乱した。
彼女は今、『先生』に“なぜこんなに早い時間にいるのか?”という質問をしたはずだった。
しかし、返ってきた答えが質問に繋がらない。
「ねぇ…………それはどういう……」
『あ、もう子供たちも起きてきたね。ここから忙しいんだ』
「え……?」
『先生』が顔を向けた先を見ると、ひとりの子供が大きなあくびをしながら顔を出した。
「『せんせい』…………おはよ……おきてもいーい?」
『おはよう、もう朝だから起きてもいいよ。みんなと顔を洗って着替えておいで』
「うん…………」
まだ半分寝ぼけてはいるが、子供はペタペタと奥へ歩いていく。しばらくすると、廊下からザワザワと子供たちの話し声が聞こえてきた。
「まだ6時過ぎだし、もっとゆっくりしてても良いのにね」
早起きは良いことだが、確か子供たちの起床の予定は7時半だったはずだ。
「みんな、ちゃんと起きて偉いわね」
『そりゃあ…………起きたら寝室には居たくないよね』
「ん……?」
『…………前の“家政婦”は、朝の7時半まで子供たちが寝室から出られないように、ドアに鍵を掛けていたんだ』
「えっ!?」
奥の通路からこちらへ近付く明るい声を聞きながら、まるでいつもの世間話の延長のように言う。
『ついでに、外の活動で子供たちが視察に来た研究員に粗相…………あ、この場合は“告げ口”ね……をしないように、“教師”と通じて見張ってた…………おかしな行動を取れば、その日は夕飯が抜きになったみたいだ』
「っっっ…………!?」
信じられない情報も耳に飛び込んでくる。
驚く彼女を置いて、さらにぽつりぽつりと続ける『先生』の横顔からは何も読み取れない。
『だから、子供たちは“教師”と前の“家政婦”を恐れていたんだよ』
「そんなっ……そんなの虐待じゃ……!!」
『“実験体”に人権が与えられないこと…………チーフも知ってるよね?』
「…………………………」
彼女は何も言い返せなくなった。
子供たちの声はすぐ近くまで迫っている。
『自分と“飼育員”が外の回線しか押さえることができなかったから、君が自分を見付けて、政府の回線を切ることに同意してくれたことは本当に感謝してる』
「………………回線……」
農場への政府のプログラムを切ったことで、彼女たちが監視できなかった子供たちの生活棟の『家政婦』を別のプログラムに変えることができたのだ。
『惑星がどんなことになっても、あの子たちは農場で一生を終えることになる。どうせ選択肢のない未来なら、現在の居場所くらいは楽しくしてあげたいと思わないかい?』
「…………………………」
――――ここが、あの子たちの最期の場所なんだ…………“下級”は選択なんてできないもの。
それを理解した彼女の胸に、ズシンと重い何かが投げ込まれた気がした。
わいわい、ガヤガヤと食堂の入り口は騒がしい。
「『せんせい』おはよー!!」
「きょうはおねぇちゃんもいる!」
食堂に顔を出した子供たちは、彼女と『先生』を見付けると嬉しそうに集まってくる。
この日から、子供たちに微笑む度に“自分のやっていることは何?”と、誰かに問われている気がしてならなかった
…………………………
………………
ピピピピ…………
「っ…………」
洗浄機のアラームで彼女は我に返った。
洗浄が終わったので、キレイになった食器を素早く棚に仕舞う。
「これでよし。早く行かないと……」
ここから研究棟へ行って、会議室へと直行すれば充分に間に合う。
白衣を着て食堂を後にしようとした時、『先生』が彼女を呼び止めた。
『あ、そうだ。行く前にちょっといい?』
「なに?」
『この間、自分の友達を紹介するって言ってたけど、やっと向こうの都合がついたって』
「あぁ、お菓子作りが好きだっていう?」
『そうそう。次の休日なら良いって』
「わかった。じゃあ私も空けておくから」
ここではない別の場所。『先生』にも作者が同じプログラム仲間がいる。それを改めて考えると、彼らにも“上級”の人間と同じような、独自のコミュニティが形成されていることが彼女には驚きだった。
『自分、その日は“お休み”にするから』
「へ? 休み……って……?」
『ここって、プログラムの回線は三つだろ? その彼女に回線をひとつ貸すことになるから、自分のを使わせてあげようと思って…………』
「…………………………………………」
急に、彼女が黙り込んだ。
彼女から微かに漂う、どこか不機嫌そうな雰囲気に『先生』は首を傾げる。
『どうしたの?』
「『先生』は来ないのね…………それに彼女って…………友達は女の子、なの?」
『そうだけど、何かある? 嫌?』
「い、嫌なんかじゃないわ! でも……その、いや、別に…………女友達が意外というか。うん、わかった……うん」
『………………?』
彼女は何かをひとりで納得させて完結させた。
――――その友達が来た時に『先生』も一緒にいるものだと思ったのよ…………私を紹介するとは言ってないか…………紹介…………私に紹介するってことだもんね。
その時、彼女の脳内である場面が浮かぶ。
“いつも彼がお世話になってるね。わたし『先生』とお付き合いしているの♡”
ピッタリと『先生』に寄り添う、可愛い女の子の姿が…………
「……ぶぅふうっ!! ゲホゲホッ!」
『むせた!? 本当にどうしたの、なんか不都合な事でもあった!?』
「ご、ごめん…………勝手に変な考えが浮かんで吹いただけだから。あなたに限ってそれはないよね…………あはは……」
『もしかして、自分がいないと初対面は気まずいとか?』
「私は人見知りしないから! 大丈夫、気にしないで!!」
『そう……?』
――――そうよね。別に『先生』がいなくてもいいのよ。相手はプログラムなんだから、初対面で気まずくなることだってないわ! うん!
何故か動揺している自分の気持ちに言い聞かせて、彼女は深く息を吸った。そんな彼女の肩を『先生』がツンツンと指で突く。
驚くことではないのに、少しビクッと彼女が揺れた。
「な、何かしらっ……!?」
『えっと…………時間、大丈夫?』
「………………へ? あっ!!」
気付けば会議の時間が迫っていて、彼女は慌てて研究棟への廊下へと駆け出した。
「いってきますっ!!」
『いってらっしゃーい』
去り際、律儀にされた挨拶に『先生』は普通に返して見送る。
『キャン! キュウウン』
彼女と入れ違いに、子供たちから逃げてきたスイちゃんが寄ってくる。彼はしゃがんでその頭を撫でた。
『………彼女は時々、変で面白いんだよ』
『キャウン?』
きっと、彼女が聞いたら「あなたの方がいつも変よ!」と返されるだろう。
独り言のようにスイちゃんに呟き、今朝はいつもより余裕の無かった彼女を思い出して笑った。
…………………………
………………
会議室には他の職員や研究員がすでに集まっていた。
「はぁ、はぁ……間に合った……」
「はい、お水。ちょっと落ち着いて」
「あ……ありがと…………」
彼女は慌てて決められた席に座って、部下の女性から渡された小さなコップのミネラルウォーターを飲み干す。
「ぷはっ…………チーフなのに、始まるギリギリはないか……」
「まだモニターがついてないから、ギリギリでもないわ。安心して」
「えぇ、もう大丈夫」
今日の会議は【中央都市】と繋がる予定である。
しばらくして、会議室の明かりが一段落とされて、全員が向いている方向の中央にひとりの人物のホログラムが映し出された。
白衣を着た男性で、年齢は四十代前半くらい。
痩せていて真面目な雰囲気を醸し出しているが、同時に眼の下の隈のせいでとても疲れた印象を受ける。
――――あ、この人は…………
『【グリーンベル】の皆さん、お忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます……私は【中央都市】総合研究所所長の…………』
男性の挨拶から始まり、会議は半日後に終了した。




