第一話
お読みいただきありがとうございます。
最後までお付き合いくださると幸いです。
ある施設の広い部屋に十人ほどの子供が集められていた。
男女関係なく白いシャツにハーフパンツ姿。
顔つきと髪の毛の色こそ若干の個性があったが、雰囲気はどれも似たようなものだった。
しかし、各々手に持った“お気に入り”は違う。
ある子は“ぬいぐるみ”を。
ある子は“クレヨン”を。
ある子は“お姫様が出てくる絵本”を。
みんな、それぞれを大事そうに抱える。
そんな子供たちの前には、太った四十代後半らしきスーツ姿の男が立っていた。男の隣りには屈強なSPらしき人物が三人ほど並んでいる。
「……ごほん。あー、今日はここから『研究施設』へ移ってもらう子がいる」
男は番号と名前を読み上げ、一人の少女を自分の前へと呼び寄せた。
その子は“難しい本”を手にしている。
「君は素晴らしい。これまでの成績は『神童』と呼ばれるのに相応しいものだった。ぜひ、将来はこの惑星のために尽力してくれたまえ」
「…………ありがとうございます」
“難しい本”を持った少女は、ぺこりと頭を下げ男の顔を見た。
その際に口角をはにかんだように上げると、男は満足そうに頷いて少女の肩に手を置いて、長い通路へ彼女を連れていく。
――――気色悪い……連れて行くだけなのに手を置かないで。あんたの脂肪がこっちに感染りそう……。
彼女は微笑んだまま、心の中で中年男をこれでもかと罵った。
十才になったその日。
他の子供よりも頭脳が群を抜いて秀でていた彼女は、“上級”の人間として『能力育成施設』へと住まいを移した。
彼女が育った『育児施設』には、他に十数名の子供がいたのだが“上級”となったのは一人だけ。
その他の子供たちがどうなったのかは、彼女には一切教えられていない。彼女にとっても、特に知りたいと願うものでもなかった。
――――そこそこの子たちはせいぜい人口増加に協力しなさい。惑星を救うのは私の役目なんだから。
彼女は小さく鼻で笑った。
“難しい本”を手が痛くなるほどに握りしめて。
この後、彼女は【未来の開拓者】と呼ばれ、日々この惑星を再生するための研究を行うこととなる。
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「“チーフ”、この間の測定結果ですが……」
「それには目を通したわ。今度はパターンCで実験してちょうだい。足りないものがあったら、すぐに用意させるから」
「はい! 分かりました!」
忙しく動き回るのは、白衣を着た研究者たち。
ある無機質な部屋の一角で“チーフ”と呼ばれる一人の少女がいる。少女は自分よりも大人である研究者たちに指示を出していた。
「実験体のデータは細かく、どんな些細なことも記録して! 後から映像を見直せるとか考えていたら、大事なものを見逃すわよ!」
「「「はいっ!」」」
ショートボブにカットにしたピンクブロンドの髪の毛。
全体的に顔は整っているが、にこりともしない口元は気の強そうな気配を漂わせる。
十代前半である少女は、どの大人たちよりも強い口調で話していた。しかしそれに顔を歪めたり、不満を顕にするような者はひとりもいない。彼女の指示を聞くと、すぐにそれぞれの持ち場へと向かう。
この施設で、彼女は誰よりも上に立っていたのだ。
彼女が今いるこの施設は、この惑星で生きている人間の中でも“上級”とされた者たちが生活しながら研究を行っている場所だ。
現在、人間が暮らす惑星は環境の悪化のために死にかけていた。
“上級”からさらに上の【未来の開拓者】と呼ばれる人種は、世界中の研究施設で日々研究や実験を繰り返す。
この実験が、数十年、数百年後の惑星を豊かにすると考えていた。
それが彼女たちが生まれてきた意味だと、ずっと教えられてきたからだった。
ある日の午後、研究員たちは会議室へ集まっていた。
そこで彼女は部屋を見渡せる上座へ着くと、それに続くように十数人の白衣の大人たちが、彼女の隣から順番にウェーブのように着席し始めた。
「全員そろったから始めます。このところの政府の発表で、他のコロニーが着実に成果をあげていると話題になっている。我々【グリーンベル】もそろそろ望む結果を報告できればいいと思っているけど…………最近の各研究地区はどうなっている?」
【グリーンベル】とは彼女たちが生活し、研究をしているこの施設の名前である。
ここでは惑星の環境を整えるための生物、人間のための植物や家畜など……主に『人間の生活に必要な動植物』の研究を担っていた。
「……では、チーフに前回から最近までの報告をお願いします」
彼らの目の前の空間に、光の縁に囲われたモニターが出現する。
「……まずは『栽培区』ね。この間から本格的に『旧時代の野菜』を育てているって言ってたっけ?」
「はい。私どもの区間では、人間が惑星の土から食料を作っていた時代に遡り…………」
「…………………………ふぅ……」
淡々と説明する声に、彼女は退屈以外の何ものも感じなかった。
…………………………
………………
――――どんなに課程や手法を言っても、結果が伴わなければ意味がないの。妄想で惑星は救えないんだから!
プクプクプク…………
小さな泡の音に、彼女は天井を見上げる。
ここは施設の共同の休憩所。建物の最上階に作られ、二面の壁と天井をドームのようにガラスが覆い、そこには『太古の深海』を思わせる“アクアリウム”の映像が映し出されていた。
平べったい巨体が真上を通過し、キラキラと渦のような魚の群れが逃げ惑う光景。真上には海面を思わせる光が青く揺らめいている。
側面から足下にかけては、色とりどりのサンゴ礁の間を、カラフルな小魚が行き交うのが映し出されていた。
――――大昔の海……こんなにキレイじゃないだろうけど、生き物が自然で暮らしていけるのは素晴らしいわ。
この光景が虚構のものだと、建物に住んでいる研究者たちは全員知っている。夜になれば満天の星空に映像が切り替わるのも日常だ。
――――本当は砂だらけの光景。今のこの世界はなんて醜いのかしら。
彼女が共同の休憩室の丸いテーブルに頭から突っ伏すと、テーブルはゴンと鈍い音を立てる。その振動で、グラスに入った無色透明な液体が揺らめくのを、彼女はぼんやりと眺めた。
後ろからある人物が近付いて声を掛けてきた。
「はぁい、チーフ。なぁにまた腐ったような顔してるの?」
「あぁ……別に。そんなに腐ってないわ」
「なら、そのしかめっ面をやめなさい。せっかくの美少女が台無しよ?」
彼女の前に座ったのは二十代後半の背の高く、何か格闘技でも習っていたかのような、とても強そうな外見であるが知的な女性だ。
チーフである彼女にとっては、この部下の女性は右腕のような存在だ。
そんな女性の顔をチラリと見上げ、彼女は大きくため息をついた。
「しかめっ面もしたくなるわよ。研究の成果がさっぱり出ないんだもの。特に植物栽培に進展がないのよ」
「今日の発表で『惑星の土から“イネ科”の発芽と育成に成功』ってことだったわね。土で植物ができるなら、緑化を進めるのにかなりの進歩よ。何が不満なの?」
「イネ科だけじゃ、土地を緑にはできない。まずは惑星に“自生”できる植物を見つけないと…………」
「食料と緑化の同時進行か。確かに大事なんだけど…………上からの許可は?」
「…………“食料になる植物に専念しろ”って」
「そう…………相変わらずね」
昔から【グリーンベル】では、植物がほとんど育たなくなった土地を再び緑で覆う計画を立てている。
しかし、上から指示された彼女たちの研究は、『自然物の食料確保』がメインにされ、惑星の緑化にはほとんど着手できないのが現状だ。
「緑が増えれば、人間が活動できる土地が増える。人間が増えればさらに緑を増やして…………なのに、政府から言われるのは『食料』ばっかり。そりゃ、それも大事なんだけど……“惑星の再生”を考えるなら、まずは環境からだと思うわ」
「それは、あたしも思うわ。でも、上からの許可が出ないんじゃ、緑化の方に力は入れられないわね」
「政府だってそれくらい分かるのに…………“再生計画”の研究者たちは、何か妙案でもあるのかしら?」
彼女は再びアクアリウムに視線を移す。
本当はここで窓を『本当の惑星の姿』に切り替えたいが、他の研究者や職員がいるので遠慮してしまう。
――――みんなも常に惑星の状況を見ればいいんだわ。そうしたら、もう少し危機感を持って研究できるのに。
彼女は自分の部屋の窓だけは、映像モニターを使用していない。窓に映るのは『本当の惑星の姿』。
――――私が『惑星再生計画』に加わったら、こんなにちんたら事を進めないのに……!!
この頃の彼女は、ここから離れた【中央都市】にいる『惑星再生計画』の研究者たちに腹を立てていた。
現在の惑星の光景は、砂漠と岩山だらけの荒廃した大地だった。
昼間は80℃、夜にはマイナス50℃にもなる土地では、人類のみならず普通の動植物は生きていくことが困難である。
現在、惑星で人間が活動できるのは、何重にも断熱が施された地上の建物の中だけだ。
そのため、普段の窓の景色には心理的ストレスがかからないように、太古の地球の美しい姿や、人が行き交う都会の大通りを模した映像を流すようにしているという。
「……みんなは本当に世界を“再生”しようとか思っているのかな……?」
「思っているわよ。でも、一朝一夕でできるものじゃないから、気長に構えているんじゃないのかしら」
「…………呑気なものね」
彼女は吐き捨てるように呟いた。
目の前のアクアリウムがプラネタリウムに代わり、窓いっぱいに銀河が現れる。
「あら、もう遅い時間ね。あたしも今日の書類を整頓したらシャワーを浴びて寝るわ。寝不足はお肌に悪いもの」
「私はまだ起きてる。最近また、あんまり眠れないから…………」
「え、大丈夫なの? 『医師』には診てもらった?」
「少し前に診せたし。ちゃんと薬ももらってる」
「そう……本当に無理しちゃダメよ。数日後には“現地視察”もあるんだから」
「わかってる。さ、あなたはもう休んで」
「……えぇ。おやすみなさい」
「おやすみ」
彼女は座ったまま、休憩所から出ていく部下を見送った。
日付けが変わる直前。
星空の映像からは何も聴こえない。
自分以外がいなくなったのを見計らって、彼女は休憩所の明かりを最小限まで落とした。
「はぁ…………」
カラン。
彼女は白衣のポケットから、白い錠剤の入った瓶を取り出す。瓶から五錠ほどを手のひらに出すと、それをグラスの液体で一気に流し込んだ。
しばらくすると、眠気とは違う不快な目眩に襲われる。
「これ以上増やしたら“毒”になってしまう…………でも、もうこれくらいじゃ眠くならないのよね…………」
薄暗い廊下をふらふらと歩きながら、形だけの睡眠を取るために自室へ向かう。
――――惑星を救うのは平和に暮らす凡人にはできない。私が命懸けでやる仕事なのよ……!!
いつからか、この想いが彼女を動かしていた。