死の瘴気を操る赤の魔女
今は六時間目。先生が素晴らしい授業を行っているにも関わらず船を愚か者がちらほらいる。昼食による満腹感、五時間もの間それぞれ異なる内容を頭に叩き込み続けたとはいえ、このような状況は到底容認してはいけないだろう。それに、彼らが通うのは都内でも偏差値が高い都立高校。そこに通う生徒がこのような体たらくでは日本の将来が危ぶまれるといったものだ。だが、そんな彼らはまだ可愛らしい者だ。このクラスにはそんな愚か者を超えた大馬鹿野郎が一人机に突っ伏している。
大馬鹿野郎、霧島ショウは今まさに夢の中に没入している。
毎度毎度、注意をしても注意をしても堂々と寝る姿に生徒想いで、生徒に対して心から向き合うことを心情にしている崇高な心をお持ちの先生ですら霧島ショウに対しては匙を投げ、すやすやと気持ちよさそうに眠りにつくことをしぶしぶ黙認している。
霧島ショウには寝るに当たって彼なりの言い分を作っている。
曰く、今現在先生が話している宗教に関する話は自身には全く関係しない。さらに言えば。人智を超えた超常現象を信仰する宗教は実に非科学的で嘘にまみれている。そんな物はいくら世界で信じる者が大勢いようと学ぶ価値はなく、むしろ信心深い信徒にGoogle先生やWikipediaを紹介し、疑問に思ったことは神に問うのではなく科学に問うべきだと言うような、アメリカ、欧米の街中で主張すればトマトや卵を投げつけられて罵詈雑言をぶつけられそうな言い訳により、自身の心の中で行動を正当化している。
理論武装をした馬鹿に敵うところなし、霧島ショウは不真面目な生徒が多い中、めげずに教鞭を取り続ける聖人とも呼べるような先生の五十分の講義全てを寝尽くした。
授業が終わりそのままHRが始まっても眠り、学校の束縛を解かれてもなお霧島ショウは寝続けた。そんなショウに見兼ねて、危うくも日本人なら少ない人は頷いてしまうような思想を持つ彼の多くない友人がショウを起こそうとするも霧島ショウはそれでも夢を見続け、変わった心の友人もショウを起こそうとするのを諦めた。
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空が真っ赤に色づき、太陽も半分が消えかかった頃、霧島ショウはようやく起きた。よだれが垂れて顔が少し汚れた感覚を不快に思いながら、背筋をぐーんと伸ばした後、整ったか整ってないか言えば百人の中で六十人は整っていると言うような話題にしづらい顔を服の袖で拭きつつ、誰かいないか周りを見渡す。
クラスメイトは確認できなかったものの代わりに本日の掃除当番を押し付けると言った趣旨の置き手紙を見つけた。舌打ちをし、紙を握りつぶした後に掃除をしようか迷いつつも、体裁を考えてモップを取り出した。
普段、自分が当番の時よりも気持ち丁寧にした後、教材をカバンにしまい教室の鍵を閉め、校門を出た。
学校を後にしたショウはいつも通りの帰宅路を歩いた。いつも通り途中にあるコンビニに入ろうか逡巡し、札束の入っていない財布を見て肩を落とした。ショウはあまりにも腹が減っていたため、明日以降のことは記憶のタンスの奥にしまってチキンを買って食べながら家を目指して歩く。
普段よりも暗い街並みに少しだけ心が躍り、遠回りをしようと小道に足を運んだ。
想像することが容易な住宅街ではあったが、見たことがない光景を見たことにより高揚感を覚え足取りを少し緩める。
十分以上歩いた頃、ショウは普通では起こり得ないことに出くわす。何もないのにも関わらずヒビが入っているのだ。住宅街の、それも車ニ台が通ることができるほどの幅を持った道の真ん中にガラスが貼られていることは考えづらい。そもそも、ガラスだったとしても誰がそんなことをするのだろうか。
ショウは突然の出来事に困惑しつつもよく見てみると入っていたヒビがどんどん小さくなっている。一つの仮説を立てる間に一回りほど小さくなっている。普段と違う道、普段よりも遅い時間、いつも通りと違うシチュエーションによって浮ついた心はショウの手を日々の真ん中に触れさせた。
触れても何も起こらない。ショウの視線の先には先ほどまで歩いてきた道と変わりない道が広がっている。強いて言うならばショウを困惑させた空間にあるヒビがすっかりなくなったと言ったところだ。
だが、ショウが一歩前に足を進めるとぴちゃっと水の音がした。
昨日、今日と雨は降っていない、そのため不思議に思い足下を見てみると赤い水溜り、血が溜まっていた。
腰を抜かすほど驚き目を見開き、口をあんぐり開け、叫び声を上げる無様な姿を晒す。尻餅をついたが、体をよじって血溜まりから全力で体を遠ざけようとする。けれども、靴裏には血がべっとりとつき、ショウが後ろに下がる度に赤い線がおおよそ真っ直ぐに引かれる。
ショウには血溜まりの先を直視することができない。動物の死体だと、絵の具の色だと一瞬頭をよぎった。だが、その思考を彼が持つ常識が打ち砕く。この時ほど馬鹿でいたいと思ったことはないだろう。
血溜まりの奥に死体が転がっていることを想像すると泣きそうになる。それほどまでに驚いたのだ。
だが、驚きの渦に囚われていたショウをガシャン、ガシャンと言った重々しい金属音がショウの意識を現実へと引き戻す。隠れなければ、金属音の正体はわからない、だが、生存本能がショウの体を立ち上がらせ、家への中へと隠れ込むため塀をよじ登らせた。
塀のブロックの隙間から様子を伺うとその先には2mを超えた巨躯に、さも人を殺した時に返り血を浴びたかのような真っ赤な色をした鎧を纏い、どこから外を見ているのか疑問符を浮かべるように付けている者の中を窺わさせない隙間のない兜を被っていた。
「悲鳴が聞こえたが、勘違いだったのか?」
図太く低くも聞こえる一方、語尾が多少上がっているヘンテコな声を発した。そのことを笑う余裕は今のショウにはない。目の前の死体を見ても驚きもしない化け物を、そんな化け物が自分を探していることが、いつ気づかれるかも分からないほど近くにいることが、ショウの体が金縛りにでもかかったかのように動くことができなくする。
「ん?」
動けず、人を殺しても動揺もしない化け物を見続けていたショウの視線に赤い鎧を着た巨躯の男が気付いた。そんな危機的状況でも先ほどショウを助けた生存本能は作動しない。それどころか、目が合ったことに気付くことができない。正確には気付いてはいるが、行動しようという選択肢が頭に浮かんでこない。
赤い鎧の男は腰に携えた鞘から剣を抜き、最上段へと構えた。そのまま音速をゆうに超えた速さで振り下ろし、ショウと男を隔てる壁を叩き斬った。それだけでは終わらず、振り下ろされた時に発生したソニックブームがショウにに直撃、ショウは遥か先へと吹き飛ばされた。
途絶えてたとも言える意識が男の一撃により正常に戻り、壁を何枚も突き破ったことによる痛みがあるものの赤い化け物から逃げなければと思い立ち上がろうとした。
しかし、ショウの体には力が入らない。ショウの体は赤い化け物の斬撃によって切り裂かれ、体からは鮮血が噴き出した。 噴き出る血の量にショウが驚き、瞬きをする度に増加する一方だ。それに比例して体がどんどん冷えていく。猛暑日で暑い日なのに、極寒の雪山に裸でいるように感じている。どくどくと体から血が抜ける度にその寒さは激しくなる。自分の体が自分のものでないような、動かそうとしてもいうことが効かなくふわふわと体が浮いている気がしている。地面から張り付いたように動かないにも関わらずどことなく浮遊しているような思いを抱いている。
今まで漠然と抱いていた死に際と全く異なることを感じていながらも確実に死へと一歩一歩近づいていることを知覚している。恐怖し膝を抱えたくなる考えを放棄させるほどの強い死のイメージ。何もできず受け入れざるおえない着実に迫りつつある死のイメージ。
ショウの心の中にはそれらが同時に渦巻いている。
肩を叩いて気付かせるような死のイメージはショウの記憶の扉もノックする。
自分に優しい笑みを浮かべてくれる母親の顔、無表情で無愛想に感じるものの口の端が少しだけ上がっており自分のことを愛してくれていると分かる父親の顔、自分の発言に呆れることもあるがずっと友達を続けてくれた友人の微笑。
そして、美しい女性。
肩にとどく黒髪をゴムでしばり、優しげな瞳で見つめてくる。大人びた顔からは包容力を感じさせ肩を抱き寄せたいと願う衝動に駆られる。
身長はショウより五cmほど低く、自然と上目遣いとなっていて男を狂わすような雰囲気を醸し出している。
そんな女性がショウの耳元へと顔を寄せる。脳が蕩ける甘美な愛の言葉を囁いて。
ショウの意識がなくなりかけたその時、女性はショウへと伝える。まだ来ないでと。
***
「当たらなかったようだな」
赤い鎧の男はそう呟いた。だが、確信している。確実に殺したと。
そして、赤い鎧の男は歩き出した。自身の目的を達成するために。
自身が数秒前に殺したことなど数歩歩けば頭から抜け落ちていた。顔も見ることのなかった者の生死を気にするほどの余裕はなかった。
だが、また数歩歩けば突如として視界が四方八方へとぐるぐる回っていった。
目の前には真っ白い剣を引っ提げた男が立っていた。
頭を刎ねられたくらいでは赤い鎧の男は死なない。剣を持つ男がやったのだと断定し、身体を握り潰そうと自身の巨大な掌を凄まじいスピードで突き出す。
しかし何も掴むことが出来ぬまま拳は閉じる。目の前から消えた男を探そうと動き出す時には既に右手首に痛みを感じ、両足首を切られたため前のめりになり受け身も取れるまま倒れた。
目の前に落ちている頭を掴み元あるように強引に接合させる。
ゴボゴボと血が泡吹を吹く音をたてながらゆっくりゆっくりと結合していく。その気色悪さは追撃の手を緩めるほどだった。
唖然としているうちに首は違和感なく結合、立てないほどに傷ついていた膝も鎧ごと回復されていた。
「貴様、何者だ?」
「俺か?俺はなぁ、女神様の使者だ」
狂信者の発言、あるいは会話を弾ませる軽口として神と言った発言は受け取られる。しかし、赤い鎧を纏った男としてはこの発言は看過できない。
「貴様!私を愚弄するか!」
絶叫、そう呼べるほどの声をあげ怒りを露わにした。
怒りで震えていた拳は最上段で構えた剣に添えられており、燃えたぎる怒りの炎は研ぎ澄まされた殺意へと昇華され、一歩踏み込めば死ぬとショウに錯覚させるほど、必殺のみに集中した。
そして、ショウも死に対して身構えるように腰を中断に落とし、風で作られた真っ白な剣は地面につくスレスレの下段に構えられた。
一瞬の静寂。
相手の実力の全てが分からない、そのため互いに一歩を踏み出すことを憚られた。
腕力なら分がある、素早さならば勝ち目がある、赤い鎧の男とシュウは先ほどの二度の命のやり取りで実感した自身をもう一つの武器に、同時に自身の間合いに入れるため足に力を込め、一気に解放する。
赤い鎧の男の一撃は空を切り、衝撃波を地に叩きつけた。
ショウは踏み込んだ先で膝を無理に動かし横っ飛び、そのまま腕の力のみで赤い鎧の男の横腹を掠める。腰の入らなかった一撃は鎧を傷付けるだけに止まる。
深傷を負わせるため着地した瞬間に胴を切り離すため再度踏み込む。
しかし、赤い鎧の男は既にショウの攻撃に備えて迎撃の構えを取っている。確実に攻撃を与えるため、オーバーキルとなる大振りの攻撃をやめ、自身の腕力を生かしコンパクトにそして人を殺すのには十分な力のみを込めた中段の構え。
ショウは再び翻弄するために横っ飛びを行うも同じ手で騙されるはずもなく、赤い鎧の男は正面を見据えるよう最小限の挙動で体捌きを行う。
自身の動きについて来るとは全く考えていなかったショウはそのまま突っ込んで剣で斬ろうとした。
だが、赤い鎧の男はショウが来るのを予見して既に剣を振っている。ショウの方が敏捷性が高いと言っても、赤い鎧の男の既に振り出した剣の方が先に当たる。
剣の切っ先が目に入った途端、自分で作り出した剣として押し留めていた風を解放し、赤い鎧の男に対して一気に放出しその巨躯を吹き飛ばした。
「確実に殺ったと思ったのだが」
「俺を殺そうと思ったら全長九十メートルになってからにしな」
「必要ない。本気を出す」
ショウの軽口にも応じず、赤い鎧の男は剣の切っ先を地に向けショウへと近づいた。そのあまりにも無防備な体勢、一見相対する敵を舐めているようにも見えるが素人ながら命のやり取りをしてきたショウには分かる。攻撃を誘っているのだと。
仮に誘われているのだとしても、自身から攻撃しなければならない。相手の重い攻撃を受け流すことができる膂力をショウは持ち合わせていない。そのため、自身が後手に回る案は考えるだけ無駄だ。
ショウは腹を括り腰を低く落とした。頭を出来るだけ低くし、まるで陸上のクラウチングスタートのような構えを取った。赤い鎧の男は
視覚で確認せず、一歩一歩前に進むたびに鳴り響くガシャンガシャンと鳴る音を頼りに方向を微調整、集中力を研ぎ澄ましている。
溜めていた足を一気に解放、十六年の人生の中で最も集中し、最も力強く地を蹴る。そのスピードはわずか一歩で十メートル以上離れていた敵に文字通り一瞬で詰め寄る。風の力を借り爆発的な速度を乗せた一撃は胴を真っ二つに切り裂くには十分すぎるほどだった。
同時にショウの体の表面が真っ赤に腫れ上がっていた。あまりの痛さに絶叫し、立つことすら困難になる。それほどの痛みがショウの体を電撃のように駆け巡った。
赤い鎧の男は離れ離れになった上半身をつなげ、立ち上がる。
対するショウは激痛のあまり意識を保つことすら困難な状況に陥っている。
一歩一歩歩み寄るその足音から、ショウは再度死が迫ることを実感する。空気に触れさらに痛む体に鞭を打ち満身創痍ながらも赤い鎧の男を迎え撃つため立ち上がる。
今まで通常の人間ならばとっくに死ぬようなダメージを負っても何事もなかったかのように立ち上がってきた敵を撃つため、最後の望みとして心臓を潰すことを狙う。だが、先程の近づいただけで皮膚が焼けるほどの攻撃の正体がわからないことがショウに迷いを生んだ。近づいたら今度こそ死ぬ。そう考えると赤い鎧の男が歩み寄るたびに後退りしてしまう。
「死を受け入れろ。貴様に勝ち目はない」
死刑宣告、普段のショウならばその発言を笑い飛ばすことが出来ただろう。だが、生き残るために、相手を殺すために脳のリソースの全てを使い込んでいる今の状況でそのような発言は耳に入ってこなかった。
余裕はないが油断もなかった。
二連続で失敗したにも関わらず懲りずに正面突破を試みる。
赤い鎧の男も再び見る構えから正面突破をするだろうと言うことは当然気づいている。だが、先程のように無防備な状態は晒していない。両の手で剣を持ち、正面で上半身を守るように構えている。
心臓が弱点であることを暗示しているのか、もしくはそれがブラフか、ショウは考えることを放棄した。心臓を破壊して死ななければお手上げ、一種の諦めがショウから迷いを消しさらに集中を増した。
予備動作なしの突進をかます。だが、そのようなことをしても構えた剣に当たるだけ、さらに皮膚を蝕む謎の攻撃。それらが、ショウを阻み、命を奪い去るはずだった。
二度目の驚異的な勘、それがまたもやショウを救う。歴戦の戦士でなければ思い付かないような考え、それを初めて戦う、それも死とは程遠い人生を送った少年が考えなしの咄嗟に働いた直感を実行する。
靴裏に発生させた風により宙に飛び上がる。さらには、赤い鎧の男の左側に吹き抜ける風を発生させた。ショウの速度を目で追えないため外的要因、それもありえないスピードによって発生する強風から移動した方向を予測し、体を向けた。
しかし、ショウの姿を見ることができない。背後を取られたらまずいと思い慌てて後ろに振り向いても当然ショウの姿は確認できない。
上向きの力がなくなり重力による落下が始まる。赤い鎧の男の心臓を斬るため風を駆使し姿勢制御を行う。さらに、落下速度を速めるため小規模のダウンバーストを引き起こす。
ショウの全身全霊の一撃。決して重くないショウに音速を超えた速度が加わった一撃が無防備な赤い鎧の男の心臓を一刀両断した。