蠧毒の生物
「そいや、自己紹介を忘れていたな。俺の名は芽納 吉兵衛。よろしくな。」
吉兵衛と名乗った漁師は私達2人に、今回の作戦を説明した。
作戦とは言ったものの、『回生の鯨』自体謎に包まれているためほとんどないのだが。
鯨は水生哺乳類であり、魚類とは違ってエラ呼吸ではなく肺呼吸だ。
そのため、定期的に海面に浮上し、酸素を取り込む必要がある。
吉兵衛が以前、海上で潮を吹く『回生の鯨』を見たのがその証拠。
一般的に鯨が水の中で留まれる時間は1〜2程度だと言われている。
『回生の鯨』の呼吸する間隔がどのくらいなのかは分からないが、1日に数回、海面へ浮上する筈だ。
紫殿は『音』を操る事ができる能力者だ。
海中の音を探ってそれらしきものを見つけ、浮上する前に仕掛ける、というのが作戦だ。
浮上しに来たという事はかなり酸素濃度が減っているという事。
鯨は心拍数を下げたり、筋組織への血液供給を停止させる等によって酸素を節約しているらしい。
『回生の鯨』が同じような方法を取っているのであれば、浮上直前に捕獲を試みるのが最も抵抗が少ないだろう、と吉兵衛は判断したのだ。
説明が終わる頃には、吉兵衛が以前『回生の鯨』を見たという場所の近くへ辿り着いていた。
案外近い場所だったが、海上に見える分だけでも岩が多く、誰も近寄らないであろう危険な場所だ。
ブン、ブン、ブン、ブン......。
波が岩にぶつかって跳ね返る激しい音の間に、低い弦の音が鳴り響いている。
船を停め、紫殿がギターの弦を弾いているのだ。チューニングをするように何度も弦を弾く事で、海中の音を探っているのだそう。
暇だった私は2人から少し離れた船尾の所で、2人に聞こえないようヒドロと話をしていた。
「ねえヒドロ」
「うん?」
「この前聞きそびれてた、アナタの目的。聞かせてもらってもいい?」
「あぁ。そういや途中で邪魔されたんだっけか。」
途中でゲンジの乱入が発生し、有耶無耶になっていたヒドロの目的。
『宿主』として、そろそろ気になってきた頃だ。
「実はな、俺達はこの星の生物じゃねぇ。別の所から来たんだ。」
「.....『達』?」
ヒドロのような寄生生物は、複数いるという事か?
私はその疑問を口にする事なく、とりあえず置いておいて話の続きを促した。
「俺達の生態については前も言った通り、他生物に寄生して力を与え、同族を食う事でエネルギーを補給する。今までも、そんな感じでやってきていた。」
「まるで蝗害ね。アナタ達は生きるために仕方ないんでしょうけど。」
「まぁ、そんなところだ。」
私の指摘に、ヒドロは申し訳なさそうに頭を垂れる。
一応、罪悪感というものはあるのだろうか。
「だが、同族を食うのが最も効率が良いってだけで、他のものを食っても生きていける。星の生命を滅ぼしてまで、俺達は同族を食う必要があるのか?って疑問に思ってな。」
なるほど。
ヒドロなりに、自分達の在り方を変えようと色々考えたわけか。そうして辿り着いたのが、今回の『回生の鯨』。
「他のものを食っても生きていけるのであれば、無限の供給源があればもう同族は殺さなくて済む。他生物に寄生しなくたって済む。」
普通に考えて、無限の供給源なんてあり得ないだろう。
だが、この星は普通とは違う。
その昔、宇宙生物の飛来によって生態系が変化し、超能力者や『回生の鯨』のような超生物などという古今東西摩訶不思議の超常現象が出現し始めたこの星なら。
あるいは、その願いが叶うのかもしれない。
ヒドロはそう考えたのだ。
「...なるほどね。」
一連の話を聞き、私は彼の理由に納得した。
要はヒドロ達が飢えない『永遠の食料』を得る事ができれば、彼らは何かに寄生する必要が無く、人類は共食いをせずに済む。
そしてその『永遠の食料』は、超常現象溢れるこの星なら、もしかすれば存在するかもしれない、という事か。
となると、不死身と言われている『回生の鯨』を捕獲する事ができれば、人類を救うことができる。
そういうわけだ。
なんか壮大だな。実感は湧かないけど。
そんな事を考えていると、何やら船頭の方が騒がしい。
どうやら、紫殿が何かを発見したらしい。
「コイツはデケェ!間違いなく鯨のサイズですぜっ!」
「よっしゃ!船を動かすぞ!」
吉兵衛はそう言って操作室に駆け込み、ハンドルを掴む。
エンジンが稼働し、ガタガタと強い揺れが内臓に響く。
咄嗟に私が船体を掴んだその瞬間、船は勢いよく曲がって音の反応があった方へと走り出した。
乗っている人の事は全く考慮していないような、焦りに満ちた運転だ。
程なくして、その荒い運転は急停止。フゥーッと息を吐いた紫殿が、苦言を呈した。
「勘弁してくださいな。水中の音は感知しづらいから距離が近いとはいえ、鯨の浮上は遅い。もう少し、余裕をもってゆっくりやってくださいや。」
「お、おお......すまんかったな」
「そんな事より、その鯨はこの下にいるの?」
私じゃない。一瞬だけ私の意識を乗っ取ったヒドロが、急かすような発言を放ったのだ。
「この辺に浮上してくる筈だが.....」
「じゃ、見てくる。」
「えっ....っておい!?」
ヒドロに意識を乗っ取られた私は、本人の意思とは関係なく海に飛び込んだ。
潜水用の道具を一切付けずに。
「ちょっとヒドロ!?」
「安心しな。服は濡れねーし、何かあったら俺が守ってやる。」
本当だ。
よく見ると、私の服が一切濡れていない。水の中にいるにも関わらず。
「毒で膜を作ってる。目を開けても、塩水で目を痛めることもねぇ。」
「何でも食べるのね.....。」
ヒドロの説明に納得した私は、暗い海の底から浮上してくる何かを見つけた。
鯨だ。
「...ハズレみてぇだな。」
その通り。コイツはただのザトウクジラだろう。体は光ってないし、体の所々に擦り傷のようなものもある。
だが、始めて鯨を生で見た。
テレビでしか見た事のなかった巨大な生命が、優雅に泳いでいた。
もう少し観察したい私の意思を無視し、私の肉体を乗っ取ったヒドロは顔を上げ、海面へと浮上。船へと戻る。
全く濡れていない私を見て驚いた表情を見せる2人は、次の反応を見つけた。
吉兵衛が急いで舵を取って移動し、再び私が水中へと飛び込む。
しかし、こちらもただのザトウクジラだ。
「あちゃ、また違ったか。」
「とは言ったものの、こんな狭い範囲に短時間で何頭もクジラが現れるもんなんですかい?」
紫殿の言葉に、私と吉兵衛は確かに、と呟いた。
それからも連続して反応が確認され、明らかに『様子がおかしい』事に気が付く。
「船の周辺に、クジラが6頭もいやがる.....」
紫殿は弦を弾きながら、クジラの数を計算していた。
そんな中、彼はあるものに気が付く。
「これは......ッ!?」
視界が悪く嗅覚も働きにくい水中で、クジラ同士がコミュニケーションを取るための手段。
独特の周波数による複雑な音波。
「『クジラの歌』だ.....!!奴ら、何かを呼んでいる....!!!」
船の周囲を泳ぐ6頭のクジラが示し合わせたように放った『クジラの歌』。
紫殿が読み取ったそれは、全てある一点を指し示していた。
海の奥深く、光の見えぬ深淵から。