有尾目イモリ科イモリ属
アカハライモリという生物をご存知だろうか?
有尾目イモリ科イモリ属に位置する両生類で、淡水内や水気の多い草の下で過ごす事が多い。
四肢を根本から切断されようが指先まで骨ごと再生する事が可能で、目を潰されても眼球のレンズまで元に戻せるという、脊椎動物の中でも強力な再生能力を有している。
再生能力の次に有名なのが、10cm程度の小さな体に保有している猛毒『テトロドトキシン』だ。
クサフグやヒョウモンダコ等の生物も保有しているテトロドトキシンは、習慣性が無いため鎮痛剤の材料として用いられる事もある。
と同時に、非常に危険な毒である。
1ミリグラム程度のテトロドトキシンを経口摂取しただけで、ヒトであれば命の危険に晒される。
これは、毒物として比較的有名な『青酸カリ』の800倍以上だ。
「そんな毒だ。たった1発殴られただけでも、十分活動停止に追い込めるってワケさ。」
「.......。」
「気になることは分かってるぜ。安心しな、死んじゃいねぇ。」
私の懸念に気が付いたヒドロの補足に、少し安心する。
それと同時に、深いため息をついた。
なんか、疲れた。
ゲンジの方を見る。
2発の打撃を受け、猛毒を受けたのだ。
しばらくは動かないだろう。
そんなゲンジを見ていた私に、ふとヒドロが尋ねた。
「.....食うか?」
「食べないよ!!ちょっとやりすぎじゃないかなって思っただけ.....まさか、人以外のものってもう食べられなかったりする!?」
こいつに寄生された事が原因で、人以外のものを食べられなくなったら最悪だ。
だが、流石にそうでもなさそうだ。
「人以外にも食べられるぜ?ただ、肉体を再生させるために莫大なエネルギーを必要とするから、同族を喰ったほうが効率がいいだけだ。」
「共喰いだけは絶対無理。ちょっとしんどくても、人以外のものを食べる努力をするよ。」
「そんなに嫌か。人間ってよく分かんねぇな?鮫や烏賊なんかも普通に共喰いしてたのに。」
「さっきも言ったでしょ、一緒にしないで。」
どうもヒドロと私とは価値観が異なるようで、少し腹が立つ。
だが、ヒドロはそこまで聞き分けが無いわけではないので、そこだけは唯一の幸いか。
一応、命を助けてもらった恩もあるし。
誰かとここまで話をするのは、いつぶりだろう。
人を嫌い、避け、壁を作って一人で過ごした日々。
家族とさえ会話の少なかった私が、ここまで喋れるなんて。
案外コイツとは、気が合うのかもしれない。
共喰いだけは勘弁だけどね。
「帰る。もうすぐ暗くなるし。」
「そうだな。色々あって、アンタも大変だろ。」
「本当だよ。疲れすぎて、逆に眠れないかもね。」
そう話をしながら、私とヒドロは帰路についた。
ゲンジの他に、もう一人いた事を忘れたまま。
「はぁ、はぁ、はぁ......!」
ロングヘアーをなびかせ、路地裏を走る男。
名をアカメという。
彼はゲンジと怪物との戦いの最中、勝てないと判断しゲンジを捨ててあの場から離脱したのだ。
千里眼でその結末を見たアカメは、走りながら震える手で携帯端末を操作する。
数度のコールでさえもどかしい。早く出てくれ。
行くあてのない焦りを抱えながら応答を待っていると、ようやく携帯端末から女性の声が聞こえた。
「はい、こちらファンタジスタ事務局受付で.....」
「『ファンタジスタ』が謎の能力者に倒された。かなり強いと思われる。」
アカメはその目で見たヒドロ達の事を、事細かく本部に報告し始めた。
次の日。私は教室で頬杖をつきながら、退屈な授業を聞き流していた。
昨日の戦闘の感覚が、まだ忘れられない。
漫画やアニメに出てくるようなものとは異なり、ヒドロは普通の人でも見えるらしい。なので私が学校にいる間、体内にヒドロを潜ませていたのだが、彼はずっと外へ出れず退屈そうだった。
授業終了のチャイムが鳴る。数分前から帰る準備をしていた私は、すぐさま席を立って教室から出た。くだらない連中に道を占領される前に。
いつも通り早足で群衆を躱し、校舎の外へ出る。そのまま自転車置き場を向いて歩き始めた私を引き止めたのは、よく通る声だった。
「奏崎さん!」
耳に挟んだイヤホンの隙間から聞こえた私の名を呼ぶ声に、反射的に振り返る。視線の先には、息を切らせて立っている女子生徒.....
同じクラスの、碓氷 那海か。
何の用だ?
視線でそう返した私に、碓氷は息を整えた後、ゆっくりとその要件を述べた。
「あの、これ落としたよ。」
「ん?あぁ。」
渡されたのは、自転車の鍵。いつも内ポケットに入れてあるから、なかなか落とす事は無いんだけど.....うっかりしていたようだ。碓氷は歩み寄り、鍵を私に手渡した。
「.....ありがと。」
「どうも。じゃあまた明日!」
必要最低限の会話だけ行い、私は笑顔で手を振る碓氷を背に帰路へついた。そんな私の背中をじっと見つめた後、鍵を渡した手をじっくりと眺めていた。
その後、携帯端末を取り出して番号を入力、電話をかける。碓氷のほんわかしていた目付きは、一気に鋭くなった。
「.....はい。先日発表された『泥の怪物』に似た人物へ探りを入れてみたのですが、能力自体を持っている様子はありませんでした。」
電話の相手は、ファンタジスタの受付をしているオペレーター。碓氷は、ファンタジスタだった。
「ですが、何かを隠しているようです。特に意識していなかったのか、詳しい事は分かりませんでしたが。」
その後、数度の会話をオペレーターと行った後、碓氷は携帯端末を切る。直後、碓氷の脳を『痛み』の感覚が駆け抜けた。
「ッ!」
ズキリとのしかかるような痛みは、先ほど奏崎に触れた手から放たれていた。ほんの少し触れた箇所が、凄まじく痛い。
痛みに耐えながら顔を上げ、空を眺める。今にも雨が降りそうな、濃い雲が空を覆っていた。
「もう少し、探ってみる必要があるみたいね。」
碓氷は人の思考を読み取り、触れる事で相手が持つ能力も看破できる超能力者。
一言で表すなら、『思考盗聴』だ。
「.....お腹空いた。」
帰り道、自転車を漕いでいる私は、ふと湧き出てきた思いを口にした。それを聞いたヒドロが、待ってましたと言わんばかりに体内から飛び出す。
「俺に寄生された奴は、どうやら腹の減るスピードが増すらしい。」
「ええー......。」
ヒドロの言うとおり、彼に寄生されてから妙に腹の減りが激しい。食べる事自体に抵抗は無いのだが、授業中でも容赦なく腹が減ったり、食費が増えてしまうのは少し嫌だ。そんな私の気持ちを読み取ったのか、ヒドロは何かを思い出したように語り始めた。
「腹があまり減らなくなる物ならあるぞ。」
「本当?」
減らなくなる物があるらしい。それを見つければ、この空腹問題が解決するのだろうか。
「『回生の鯨』。こいつの肉を食えば、常に俺の腹は満たされる事だろうよ。」
「『回生の鯨』.....?」
ヒドロ曰く、『回生の鯨』とは幻の生物で、人間以外では数少ない超能力者を持った個体だという。
能力は『超再生』。ナイフを突き刺す事はできても、切る事はできないらしい。何故ならナイフを引いた瞬間、その部分が超高速で再生されていくから。そんな生物の肉を食えば、いくら食べても無くならない食料になるだろうとヒドロは言う。
「『回生の鯨』が俺の腹を一生満たし続けてくれるようになった場合、寄生を辞めアンタを自由にするぜ。」
ヒドロの目的は『生きること』だ。そのための条件が満たされれば、私に寄生する必要がないという事か。
「そうね。普通なら絶対起こらないような体験ができて少し楽しかったけれど、ああいう面倒事に巻き込まれるのは嫌だし。とりあえず目標として『回生の鯨』の発見と設定しようか。」
とは言ったものの、その『回生の鯨』がどこにいるのか私もヒドロも全く知らない。鯨というくらいだから、漁師の人なら何か知っているだろうか。
明日、聞きに行ってみるか。
次の日。いつも通り授業が終わると同時に教室を出て、自転車にまたがる。昨日調べた中で最も近い、漁港市場に向かう。いつもの帰り道とは違う方向なので、少し異なる空気に新鮮さを感じる。
近づくにつれ、少しずつ潮の香りが強まってきた。目的地は近いようだ。視界の端に、それらしき建物が見える。
波銛市場。この辺りでは最も規模の大きい魚市場で、下手なテーマパークよりも広い面積で展開されている。漁港が隣接されており、主に漁師と鮮魚商との取引がほとんどだが、個人の客も購入する事が可能だという。
「美味そうな魚が並んでるな。」
「勝手に食べたりしないでね、あんまりお金無いんだから。」
体内から周囲を見渡すヒドロに釘を刺しつつ、私は生魚と潮の香りが漂う市場を進んだ。一般客.....それも女子高生となると流石に珍しいのか、そこそこの視線を感じる。
「さて、誰に聞こうか.....。」
独り言を呟きながら、周囲を見渡した。夕方で人の往来もそこそこあり、どこの漁師ものんびり話を聞いてくれるような状態ではなさそうだ。
そんな中、店を広げている一人の漁師を発見した。大勢の鮮魚商が詰めかけている中で、そこだけがぽっかりと穴が空いたように人がいない。
あの人に聞いてみるか。
軽く呼吸を整えた後、私はその漁師の元へ歩き始める。向こうも私がこちらに来る事が分かったようで、睨みつけるような鋭い目を持ち上げた。
「何か用か?」
「少し、聞きたいことがあって......。」
「さっさと言いな。アンタは知らねぇかもしれんが、あんまり俺と長話しない方がいい。」
「何故です?」
私の率直な疑問に、無愛想な表情をしながらも漁師はその理由を説明してくれた。
「俺はこの辺じゃあ、ホラ吹きだと呼ばれてんだ。.....本当の事だってのに。」
「ホラ吹き?」
「あぁ。俺は色んな珍しい生物を追っかけるのが趣味でな。店に並べてあるのも、そんな奴らばっかだ。」
顔を下に向けると、確かにこの人の店に並んでいる魚は普通では無さそうだ。フグとヘビとが混ざったような形の魚や、気持ち悪いぐらい脚の生えたタコ。奇妙な生物達が、そこに置かれてあった。
「では、回生の鯨って生物は、ご存知ですか.....?」
「...回生の鯨、だと?」
漁師の鋭い目が、さらに細く尖った。その圧力に気圧されないよう睨み返していると、座っていた漁師が勢いよく立ち上がる。
「アンタ、回生の鯨の存在を信じているのか!?」
「信じているというか、噂程度に聞いたくらいで.....。」
突然変わった漁師の態度に、少し驚いた。だが、回生の鯨について、彼は何かを知っているようだ。
「回生の鯨は存在する。俺がこの目で見たからな!!」
彼は顔を上げて胸を張り、近くを歩いていた人達がギョッとするほど大きな声で叫んだ。
『回生の鯨は存在する』。
不死身の肉体を持つ幻の鯨は、確かに居るのだとその漁師は言ったのだ。