まどろみの森のオヴィンニク
前から書いていた短編がちっとも終わらずようやく書き終えました。
僕は頭から毛布をかぶっていた。兄弟達が人間を殺すのを見たくなくて。
「どうして君は行かないの?」
ママが僕に問いかける。僕は毛布の中でぷるぷると首を横に振った。人間は狭量である、というのがママの教えだ。人間は自分達と違うと思う者を認めず、排除しようとする。自分達の欲望のためなら、自分達と違う者が苦しもうと構わない生き物なんだ。だからママは人間が嫌いだし、僕達を生み出して殺そうとする。でも僕には殺せない。
「人を傷つけるのが嫌なの?」
ぶんぶんと首を縦に振る。
「ごめんにゃさい、ママ。僕、人間が好きにゃの」
周りの兄弟達は見た目も種族も皆違うけれど、ママの子だからにんげんを憎んでいる。積極的に殺そうとする。でも僕にはどうしてもそれが出来ない理由がある。
「そうなの? まあ君が生まれた時から何となくこうなる気がしてたよ。ちっとも邪悪じゃないんだもの」
僕の兄弟達は皆怖い顔をしている。怖くて逞しくて強い。それに比べて僕は、何もできない。生まれた時から小さい子猫のまま。魔力を持つママから生まれたから普通の猫よりは大きいし言葉も喋れるし2本の足で歩いて細かい作業も多少はできる。でも、黒い毛はフワフワしていて肉球もまだ柔らかくてプニプニ。爪はあるけどまだうまく使えたこともない。僕は戦うには小さくて弱すぎた。
「じゃあ仕方ないね。君も僕の可愛い我が子だからね。ここにいるのは辛いだろう」
「うん」
ここにいるのは辛い。ママは好き。兄弟も好き。でも僕、人間も好きなんだ。ずっとずっと、生まれる前から好きなんだ。
「遠い森の中で暮らしなさい。人に会わないように、傷つけなくてもいいように」
ここにいれば、どうしたって戦いに巻き込まれてしまう。皆人間を襲うし、人間は襲ってくる。だから、そうならないように遠い遠い所に行くようにママは言う。でもそうしたら……。
「ごめんね、僕はここを離れられない。君は1匹になってしまう。でも忘れないで、僕が君を愛してるってこと。僕の邪悪な心の一番綺麗な部分で君のことを想っているよ」
ママはそう言って僕を空に浮かべた。
「ママ、ごめんにゃさい。大好き」
ママはにっこりと笑った。僕の大好きな笑顔で。僕はフワフワと空を漂って深い深い森の中に降ろされた。ここまで送ってくれたママの魔力をまとう風が遠ざかっていく。
「さよなら、ママ」
僕はこうしてママと兄弟達と離れて1匹だけで暮らすことになった。たった1匹で。それはとても悲しくて寂しいことだったけれど、人間が傷つくところを見なくて済んだ。
樹洞に光が差し込み目が覚める。いい天気だ。僕は樹洞から飛び降り、ママの所から唯一持ってきた毛布を日当たりの良い枝に干した。朝露で湿り気を帯びた草を踏み分け、泉に向かう。手に水をちょっとだけつけて顔を洗うと、冷たくていつも悲鳴をあげてしまう。
「にゃあぁー」
その声で僕が起きたんだと気づいて森の動物が寄ってくる。朝の挨拶を済ませると、小さな光がゆっくりとこちらに向かって飛んでくるのが見えた。
「おはよう、妖精さん」
僕には生まれた時から妖精さんが見えたけれど、兄弟達は見えなかったみたい。ママが生み出すのは邪悪なモンスターなので、僕はもしかしたら間違って生まれてしまったのかもしれない。僕は兄弟達が大好きだけれど、妖精さん達の方が自分に近いような気がしている。妖精さんも僕を仲間だと思ってくれているのか、美味しい蜜のある所を教えてくれたり日当たりのいい場所を教えてくれたり何かと優しくしてくれる。
「さ、もう行くね」
僕は器に水を入れて運ぶ。これは毎日の日課だ。朝一番に汲んだ綺麗な湧水をここらへんで一番大きな木にかける。すごく太くて立派な木で樹齢何年なのか想像もできない。僕は勝手に神樹様って呼んでる。前世の僕の世界だったら絶対御神木って言われてると思うんだよね。僕には前世の記憶があって、そのせいで人間を傷つけることができない。僕の前世は今よりももっと小さな猫で、人間のお婆さんにそれは大切に育ててもらったんだ。お婆さんの周りの人達もとっても優しくしてくれたから、僕は人間が大好き。周りには不幸な猫も沢山いて、人間がいい人ばかりじゃないことも僕の運が良かったっていうのも分かってる。それでも僕は人間が好きだ。
「神樹様。僕、体が大きくなる前に家を建てたいです。木をわけてください」
今使っている樹洞は僕の体が収まって少し余裕がある程度。大人になるまでは使えそうにない。そうなってから家を建てても間に合わないだろうから今からコツコツとやっていこうと思う。家を建てたことなんてないし、ちゃんとした家にならないかもしれないけれど……僕は1匹で生きていかないといけないから何でもできるようにならないと。基礎に使う石を探していると妖精さんが一緒に探してくれて、いい石が見つかった。
「ありがとう」
基礎は大切だ。というよりも家の下に隙間があることが大切なんだ。なぜならそこは猫の休憩所になるから。僕にもよく覚えがある。特に夏はとても涼しくていい。大きくなった今はそこに入ることはできないけれど、きっと小さい生き物が涼みにやってくると思う。妖精さんや動物達に手伝ってもらいながら何日もかかって何とか小さな小屋を建てられた。広くはないし、棚なんかはまだついてないけどちゃんとした僕の家だ。広さや設備の関係上、炊事は外ですることになってしまうけれど大きな問題ではない。大切なのは、体が少し大きくなっても安心して眠れる寝床があることだ。僕は大切な毛布を寝床に敷いて満足した。
そうして家での暮らしに慣れた頃、森に客人がやって来た。泉のほとりに倒れている人を見つけたのは僕。モンスターでも妖精でもない、正真正銘普通の人間だ。この体で生まれてから初めて間近で人間を見た僕は少し感動していた。でもそれも束の間で、すぐにそれどころじゃないことに気がついた。
「怪我してる……」
その人はわき腹に深い傷を負って酷い熱を出していた。慌てて手当てする僕を、動物達も妖精さん達も遠巻きに見ていた。いつものように手伝ってはくれず、まるでそんなの放っておきなよとばかりにつれない態度だ。心なしか神樹様もあまり歓迎していないように感じる。ママと同じでこの森の生き物はあまり人間が好きじゃないみたい。だから僕は1人で看病するしかなかった。動物達が怪我をした時にいつもやっているように、傷に効く草をすり潰す。泉のきれいな水を少し混ぜて更に混ぜ、ゲル状になったら完成だ。これをきれいに洗った傷口に塗りこむ。出血や滲出液の量に合わせて1日1~3回同じことをする。熱が少し下がってきた頃、客人は目を覚ました。僕はその日をずっと待っていたから嬉しくて堪らなかった。ずっとそうしてきたように、額に置いていた濡れタオルを絞って当て直す。客人は目をパチパチと瞬かせ、しばらくぼんやりとしていた。
「大丈夫?」
僕が尋ねると客人は僕を眠そうな目で見つめ、突然夢から覚めたように目と口を大きく開いた。次の瞬間、僕は床に叩きつけられていた。
「ぎゃん!」
一体何が起こったのか、すぐには理解できなかった。理解する前に激しい痛みが身体中を襲う。
「俺に何する気だこの化け猫め! このっこの!」
「にゃう……にゃおぅ。ママ……ママ。にゃおぅ」
言葉が出てこない。客人に殴られ蹴られている間、僕はママを呼ぶことしかできなかった。こんなに痛いのも、こんなに辛いのも初めてで。小屋を這い出て逃げようとしても客人は執拗に追ってきて僕の毛を毟りとる。
「ママ……」
何度目かにママを呼んだ時、僕を痛めつける衝撃が止んだ。ざわざわと何かが擦れる音。気がつくと動物達が客人から僕を隠すように取り囲んでいた。どんどん増える動物達に客人が怯むと、何匹かが攻撃を始めた。
「なんだ? うわっやめろ! くそっやっぱりこの森に入っちゃいけなかったんだ!」
その声の後、遠ざかっていく足音を聞いた。動物達が僕に寄り添ってくれる。温かい。もう怖いことは終わったんだと思うと体中が震え出す。初めて人間が怖いと思った。そういう人間もいると分かっていたはずなのに、頭で理解するのと実際に経験するのでは火と水程違う。動物達に囲まれてメソメソと泣く。体中が痛くてたまらなかった。いつもいてくれる妖精さん達の姿が見えない。バカな僕を見限ってしまったのかもしれない。何もかもが悲しくて涙が止まらない。しばらく泣いていると、嗚咽に混じって風の音がした。懐かしい気配と優しい風。
「かわいそうに」
そこに現れたのはママだった。ずっとずっと会っていなかったママ。もう二度と会えないと思っていたのに、来てくれた。痛みも忘れてママの元に走る。
「ママ!」
ママは細いけれど大きな腕で僕をしっかりと抱きしめてくれた。傷の痛みがゆっくりと消えていく。
「だから人間は嫌いだ。恵みは図々しくも享受するくせに、自分の理解できないものは拒絶する。……こんなになっても君は人間が好きなの?」
僕は即答できなかった。好きだとも、嫌いだとも。好きと答えるには辛い思いをし過ぎたし、嫌いと答えるには前世の記憶が染み付き過ぎていた。僕の迷いを見てとったのか、ママはため息を吐いて僕の頬を撫でた。
「そう、嫌いになれないのか。仕方がないね。この森に人が近付かないようにしておこう」
きらきらと光が集まる。どこかに隠れていた妖精達がママの周りをくるくると回る。いつもより数が多いように思える。妖精達はママに何か伝えているようだ。
「ありがとう、よくやってくれた。アレも森の恐ろしさを思い知ったろう。あとは周りの人間にもそれを知らしめてやらなくてはね」
見捨てられたかもと思っていた妖精さん達はあの客人に何か仕返しをしてくれたらしい。ざわざわとまた風が吹いた。神樹様の枝が激しく揺れている。激しい怒りを感じて体が震えた。ママにぎゅっとしがみつくと、ママは僕を強く抱きしめてくれた。ママは笑顔で呟いた。
「呪われろ」
今までの比ではない風が強く吹き抜けると、泉から流れる川の色が赤く染まった。真紅に染まった水が川下に流れていく。
「お前たち、今から丸一日は川の水は飲むんじゃないよ」
動物達が理解した合図をするのを見て、ママは満足そうに頷いた。
「さて、僕は帰らなくちゃならない。この子を頼んだよ。君を置いていくのは忍びないけど……いつも君のことを想っているよ」
「ママ、大好き。心配しにゃいで」
今度こそもう会えないかもしれない。だから僕はママに体をこすりつけて、一番の笑顔を見せた。ママも僕の気持ちを組んで優しい笑顔を見せてくれた。そしてまた風と共に消えていった。体はママが治してくれたからもう傷まない。でも無性に寂しくて、悲しくてまた涙が出た。そんな僕に動物達と妖精さん達が一晩中寄り添ってくれて、僕は小屋の外で一夜を明かした。
また一人の生活が始まった。
悲しさと痛みが薄れた頃、森にまた客人がやってきた。今度は怪我もしていないし意識もはっきりしている人間だ。立派な鎧を身につけた男の姿を見つけた動物達にぐいぐいと背中を押され、見つからないように姿を隠す。あの出来事の前だったなら、きっと僕は無防備に人間の前に出ていっただろうと思う。でも今はもうそんな怖いことはできない。嫌いにはなれないけれど、無条件に好きにはなれない。
「……小屋?」
男は僕の小屋を見つけると、中に入っていった。家の中にいたずらをされるんじゃないかとドキドキする。動物達に止められながらそっと近づいて物陰に隠れる。大きな物音はしない。しばらくすると男が家から出てきてしげしげと外から家を観察し始めた。
「家主は留守のようだな。申し訳ないがしばらくここを使わせてもらおう」
困ったことに男はしばらく滞在するつもりらしい。その間僕は家に帰れないということになる。一生いるわけではないだろうし、と自分に言い聞かせてその晩から僕は小屋を建てる前に住んでいた樹洞に寝床を移した。
翌日から僕と動物と妖精さん達は、森に害をなす者じゃないかを見極めるために注意深く男の行動を観察した。男は川の水を汲み上げて小さな容器に入れたり、土を袋に入れたり、草を摘んでみたり何かよく分からないことをしている。それが趣味というわけではなく、難しい顔をしてやっているから何か重要なことだとは思うのだけれど……僕には全く分からない。とにかく僕にできるのは、男の行動を見張るだけ。それも隠れて、見つからないように。
「ん?」
見られたような気がしてきゅっと体を縮める。僕は猫だから音を立てずに動くのは得意なはずなんだけれど……心臓がばくばく音を立てている。言葉の通じる人や兄弟達が周りにいない今、男の存在は僕をすごく緊張させる。幸いその時は見つからずに済んだ。でも見つかりそうになることは何度もあって、そんな危うい日を数日送ったある日のこと。
「出てこにゃい……」
小屋の前でいくら待ってみても男は顔を出さない。不安になって小屋に近づけば、動物たちが僕の毛を咥えてクイクイと引っ張る。やめときなよ、と言うように。その時、ガチャンと何かが割れるような音がしてしっぽがブワッと膨らんだ。慌ててドアに駆け寄りそっと中を覗く。男は僕のベッドに寝ていたけれど、真っ赤な顔で荒い息を吐いていた。動物達はじろっと僕を睨む。まさか看病する気じゃないよね、と言っているように思える。僕はその時前世のことを思い出していた。僕を大切にしてくれたお婆さんの最期のこと。顔は白いくらいだったけれど、今目の前にいるこの男のように荒い息を吐いていた。男は意識が朦朧としているようだ。僕の体は勝手に動いていた。動物達はやっぱりというように諦めのため息を吐く。冷たい水でタオルを絞り、男の額にのせる。水を含ませた綿を口に含ませる。僕は夜遅くまでそうして看病を続けた。
「んんっ……うぅ」
夕方になる頃には男の呼吸は安らかになり、熱もなくなった。そこでほっとしてしまい、僕はついウトウトしてしまった。はっと気づいた時にはあたりは暗くなっていた。ドキドキしながら男の気配を探る。そっと男が寝ているはずの寝台に目をやると、目があった。完全に覚醒している。全身の毛が逆立ち、慌てて小屋から出ようとした。
「ぎゃん!」
「あ、ああ……ごめん」
男は僕を引き留めようとしたのか、よりによってしっぽを掴んだ。しっぽは繊細で掴んだり引っ張ったりするととっても痛いんだ。
「フーッ!」
涙をにじませながら威嚇すると、僕は怒っているというのに男はふわりと笑った。
「悪かったよ。ごめんね。君が看病してくれたんだね」
男は指の裏側で僕の頭をゆっくりと撫でる。僕は怒っていたのに段々気持ちよくなってしまい、知らず知らずのうちに喉をゴロゴロと鳴らしてしまっていた。慌てて男と距離を取ると、もう1度威嚇した。
「シャー!」
「ははっ怒るなよ」
男はなぜか僕が威嚇すると嬉しそうに笑う。そして僕が距離をとっているにもかかわらず無遠慮に近づいてきて、僕の喉元を優しくかいた。それがまた気持ち良くてゴロゴロいってしまう。あまりにも気持ちがいいので、もう諦めることにした。どう見ても悪意はなさそうだ、と思えたのも諦めの原因になった。
「その肉球で看病するのは大変だったろ。ごめんな、ありがとう」
「そ、そんにゃに大変でも……」
僕が口ごもりながら答えると、男は目を大きく開いてパチパチとまばたきをした。
「驚いたな、話せるのか」
僕は慌てて口を押さえる。僕が大きな体で2足歩行しているのに動じないから平気だと思っていたけれど、喋れたらまた殴られるかもしれない。小屋から飛び出そうとすると、またしても男に止められてしまった。今度はしっぽではなく体ごと抱きとめられてしまう。
「にゃっ!」
「よしよし、ごめんな驚かせて。ちょっとびっくりしただけだから大丈夫大丈夫」
男は僕の喉元をまた優しく掻き始める。初めは抵抗したものの、やっぱり気持ちよくて途中で抵抗できなくなってしまう。この人の手は多分魔法の手なんだ。こんな気持ちいいのは初めてだもの。
「俺はセム。お前の名前は?」
僕は困ってしまった。前世では名前で呼ばれていたけれど、ママに生み出されてから今まで1度も名前で呼ばれたことがない。生まれでた瞬間にママの口からオヴィンニクという言葉が出たけれど、それは兄弟達をゴブリンとかオークとかと呼ぶように名前ではないようだった。
「にゃい」
セムは僕の口からひげに沿って指で優しく撫でる。
「そうか、ないのか。可愛いにゃんこ」
「にゃお」
今まで名前がなくても支障はなかった。誰も呼ぶ人がいないからだ。ママでさえ僕の名を必要とはしなかった。だけど僕の遠い遠い記憶が、甘い声を耳に甦らせる。名前、僕の名前。お婆さんの優しい声がそれを口にすると、僕は甘えるように返事をしたものだ。セムの声はその時のお婆さんの声に似ている。だからつい返事をしてしまった。するとセムはとろけるように笑い、いっそう優しく僕を撫でた。相変わらず気持ちのいいその撫で方に喉をグルグルと鳴らす。
「にゃんこに聞きたいことがある」
「にゃあに?」
聞けばセムはある調査のためにここを訪れたのだと言う。
「20日程前に、この川の水が赤く染まったことがあったろう」
僕はあの日のことを思い出して暗い気持ちになった。
「どうしたそんなに耳もひげも垂らして……可愛いな」
セムは変な人間だ。前世にもこんな変な人間がいたのだろうか。少なくとも前回来た客人とは全然違う。僕の一挙一動を眺めて笑顔を浮かべている。
「もしその原因を知っていたら教えてほしい」
「あれは……ママの呪いにゃの」
別に秘密にしていることではない。僕は正直に全てを話した。僕は他のモンスターと一緒にママから生まれたこと、1匹でここにやってきたこと、客人がやってきて僕に暴力を振るったこと、それを知ったママが呪いをかけたこと。セムは難しい顔で最期まで話を聞くと、僕の体中をごそごそとまさぐった。
「にゃっにゃあに? にゃっ! くすぐったい!」
「傷はどこにもないな? かわいそうに」
どうやら僕の体に傷が残っていないか確認していたようだ。傷はママが治してくれたから一筋だって残っていない。残っているとしたら、あれから後にできたひっかき傷くらいだ。セムは僕を思う存分撫で回すとほっとため息を吐いた。
「なるほどそういうことだったのだな。森の妖精に人間が手を出したから守り神の呪いを受けたわけだ」
僕は首を傾げる。客人が手を出したのは僕なので妖精ではないしママはママで守り神ではないのだが。
「よし、これで私の調査も終了だ」
僕はぴくりと耳を動かした。セムは調査のためにここを訪れたのだと言った。つまり終了したということは……。
「なんだなんだそんな風にしょげてしまって! 私が帰るのを悲しんでくれるのか?」
セムが嬉しそうに言う。僕はぽかんとしてセムを見ていたが、言われた内容を把握するとじわじわ顔が熱くなってきた。
「そ、そんにゃこと誰も言ってない」
「なんだ、そうなの? その割に耳もひげもしょげ返ってしまっているよ」
セムは朗らかに笑い、僕は両手で耳を隠した。まだ出会ったばかりだし、そんなつもりはなかったのに。魔法の手にすっかりやられてしまったのと、もしかしたら人恋しかったせいなのかもしれない。
「帰らないよ。このまどろみの森は呪われた森。誰も足を踏み入れる者はない。ここの調査を任された時点で私は死ねと言われたようなものさ」
セムが皮肉のように言い、悲しげに笑う。セムにも色々あるらしい。どうやら帰る場所はもうないようだ。僕はごほんと咳払いをした。
「い、行く所がにゃいなら……しょうがにゃいからここに居てもいいよ」
僕がつっかえながら言うと、セムはまたとろけるような顔で笑った。そして勢いよく僕の体をごしごしと撫でた。
「にゃっ! フー!」
乱暴な仕草に威嚇すると、セムは嬉しそうに笑った。
「いやあ、可愛いな。食べちゃいたいくらい可愛いな」
食べるという言葉に思わずしっぽを膨らませたが、セムはにこにこしている。
「単なる比喩だよ」
その割にその目は野性味を帯びている。本当に比喩だったんだろうか。僕はいつか食べられちゃうんだろうか。それは定かではないが、その日から僕とセムは一緒に僕の小屋に住むことになったのだった。