STEP6:不完全な反撃
現れたのは壁際。
突然の瞬間移動で目を回したらくらが地面に倒れ込む。
「どこや〜、ここは?」
「外に出ただけだ。油断するな。逃げるぞ。」
「え〜?」
見上げると、確かにさっきまで中に居たビルだ。
「なんじゃ、大袈裟なわりに壁抜けだけか。」
グローリーは壁にたたき付けられた。
「すいません。生意気でした。」
グローリーは反省した。
「立て。逃げるぞ。」
「え〜、もうちょっと、待ってえな。吐く〜。」
しかし、誰も聞いていなかった。
「いいんだ。我輩なんか。ダニエル。アリス。お前たちだけだ。我輩の理解者は。」
そして、いじけた。
「……くそ、封印さえなけりゃ、M.E.Te.O.本部まであれで帰れたのに。」
「いかーん!」
いじけながらも、未来の呟きは聞き逃さなかった。
「いかんぞ!ダ…仮の人!言い訳は良くない!いかなる時でも最善を尽くし、失敗したら笑ってごまかすのが人の道というものだ!」
微妙な人生哲学であった。
大きな衝撃音がした。
やっぱり、壁にたたき付けられるグローリーであった。
「失敗はしていない。」
勢いよすぎて、壁にめり込んでいるグローリーは聞いていなかった。
「力が足りないだけだ。」
「あー、ようやく。吐き気がおさまった〜。」
らくらがよろよろと立ち上がり、まだふらつく頭を右手で押さえている。
「行くぞ。」
「ああ……」
「戻ることに異論があるのか?」
「あいつ、放っといていいんかな。」
壁に視線をやる様子を見て、あいつがカエンのことと知る。
「問題ない。」
自分を殺そうとした相手の生死などどうでも良かったが、これ以上ごねられても困るので答える。
それにただの慰めではなかった。
音も無く飛来した黒い炎が未来の周囲に落ち、爆発する。
「問題ないことは無かったか。」
ため息をつき、グローリーを引き抜く。
「これ、カエンか?」
「まあな。……外したのは威嚇攻撃だからじゃなくて、中継無しに慣れてないからか。」
未来がビルを見上げる。つられて見上げたらくらは4階の窓に影を見つける。間もなく壁に隠れたが、それは確かに人影だった。大人ではない。小さな体をした……恐らくはカエン。
「いつの間に上に戻ったんや?」
「最初からずっと上に居たんだ。俺たちとやり合っていたのは、人形。そして、これも。」
大地を揺り動かすような低く重い音だった。耳より身体に響くタイプの重低音。
何かとらくらが問う前にそいつと目が合った。
頭だった。大きな複眼を二つ持つ1メートルの巨大な虫の頭。それが壁に生えていた。
らくらが悲鳴を上げるより先にそいつは体を壁から引きずり出す。壁を壊すことなく、まるで水から這い出すように滑らかに、いくつもの節に別れた体が現れる。
5メートルほど壁から体を突き出すと、伸び上がり、高く高く頭を持ち上げる。
百足だった。
巨大な百足が壁から生えている。
「うわああああ!?」
「なりふり構ってる場合じゃなくなったらしいな。だが、無駄なことを。」
振り切って大通りに出るだけでいい。それ以上の追跡は魔女たちの“隠密”の掟を破る。世界中の魔女を敵に回すような真似はしまい。
らくらの手を引き、逃亡を開始する。
だが。
ビルの敷地から一歩足を踏み出した途端、強烈なめまいに襲われる。足元の大地を認識出来ず、方向感覚がまるで無い。
そして、一瞬後。
未来とらくらは百足の姿を後ろから見ていた。
「空間歪曲か。」
いくつ隠し玉を持っているのか、あの魔女は。
「なんや?戻ってしもた?」
「逃がすつもりはないらしいな。」
倒せるか?これほどの力を持つ相手を。
上を見上げながら自問自答する。
可能性は限りなく0に近い。だが、諦めて降伏するなど死に等しい。
足掻いてやる。己が誇りのために。
巨大百足がゆっくりと頭を巡らし(巨大な図体に見合った緩慢な動きだ)、未来たちに向き合う。
長い、黒くてらてら光る触角を動かし、迫ってくる。
無数の足を動かして。
巨体に潰されて果てるか。
足に弾き飛ばされて死ぬか。
牙に噛み殺されるか。
悲惨な未来予測が次々に浮かんでくる。
「あ、そーや。」
緊迫感のカケラもない呑気な声だった。
こいつを始末するっていう選択肢も有ったな。そう言えば。
「何?何なん、その目つきは?」
冷たい視線と嫌な予感にたじろぎながら、らくらはポケットから瓶を取り出す。
「これ飲んで俺の封印を解いたら、さっきみたいに上から何か落ちてきて助かるかも。」
この場所で何か落ちてくるとしたら、隕石くらいなものだろう。
能天気な作戦に呆れて、未来は言葉が出ない。
だが。
封印を解くというのは悪くない。
「貸せ。」
「へ?」
間抜けな顔で間抜けな声を出すらくらから、強引に瓶を奪い取る。
蓋を開け、一粒つまみ出し、口に入れる。
「うわああああ!?」
驚愕の悲鳴を上げながら、らくらが未来にしがみつく。
「あほ!やめとけ!」
必死の制止を聞き入れず、未来は卵を飲み込んだ。
「あかんー。ジェイソンとタイガーマスクが……」
「何だと?」
「あれ?ターミネーターとランボーやったっけ?」
「どういうことだ?」
不可解ならくらの言葉の意味を問いただす未来。
答えを聞く前に、それは起こった。
内臓をえぐり取られるような激痛。腹の中で何かが暴れている。遠慮も手加減もなしで、だ。
「飲んだら腹の中で最終戦争が起きる言われてな。飲むかどうしようか迷うててんけど……いやー、飲まんで良かったわ。」
前のめりに身を屈め、脂汗をかいている未来を見て、らくらが無責任な感想を述べる。
未来としては、是が非でも殴り倒してやりたいところだったが、悲鳴をこらえるのがやっとの現状では難しい話だった。
さらに悪いことに。
百足がすぐそこまで迫っていた。
痛みは少しずつだが、弱まっている。何より、苦痛や恐怖を敗北の言い訳にするなど、未来のプライドが許さない。
精神力で痛みをねじ伏せ、残りの体力をかき集め、持てる全てを込めて、真横に剣を振った。
「はああああっ」
ほとばしり出る気合いの言葉。
そして、生み出された衝撃波は百足を一瞬で粉砕する。
空間が封鎖されていることを感謝した。でなければ、百足の方向にあったビルも瓦礫と化していたことだろう。
魔法の媒体は、もともとの形が持つ役割に依り、効力が変わってくる。
魔法使いの象徴であるロッドは万能の力、そして、戦士の象徴である剣は――破壊。
呪文ではなく、剣の持つ破壊の力そのままに魔力は全てを粉砕したのだ。
「ははは。」
口から乾いた笑いがもれる。
痛みは消えていた。
後ろで口を開けて唖然と見つめているらくら。
目で見ずとも、気配だけで周囲の状況を知る。体に満ち溢れる力。研ぎ澄まされる五感。
歓喜が溢れる。
魂が震え、心が歓声を上げる。
あの頃の力が戻ってきた。
ビルの上階を見上げる。
居る。
壁に隠れているが、はっきりと分かる。強大な魔力。それを制御する卓越した技術。全てが見通せるが恐怖は無い。
倒せる。今の自分なら。
口の中で短く呪文を唱えると、地面を蹴った。
羽根のように軽くなった体が宙を舞い上がり、4階に達する。
壁に向かって剣を振った。
魔力波が壁に吸い込まれるが、変化は起こらない。
見た目には。
空気を蹴って方向を変えると、壁に向かって突進する。
するりと壁を通り抜けた。
とん、と屈んだ姿勢で床に着地する。
立ち上がり、笑った。
目の前にいる魔女、カエンに向かって。
人形と同じ姿の彼女は困惑の表情を浮かべ、手に篭を持っている。虫篭だ。
「それがお前の媒体か?」
空間を閉じ込め、中を好きなように操る。彼女に相応しい媒体だった。
余裕を持って彼女に微笑みかける。
カエンは身を引いた。
突然の危機を図りかねているのだ。
考える時間を与えるつもりは無い。
未来は剣を構え、カエンに襲い掛かる。
「いかーん!」
グローリーが叫んだ。
「一度ならず、二度までも!レディを傷つけるなど、我輩が許さん!」
未来は無視した。
「あら?」
戸惑っているグローリーを真横に振るう。カエンの体をとらえたはずの刃の軌跡は虫篭だけを砕く。攻撃の直前、カエンの姿が掻き消えたのだ。
壊れた虫篭が床に落ちた。周囲の空気が変わる。無意識に感じていたプレッシャーが消えたのだ。恐らく、空間歪曲の魔法が解けたのだろう。
「思ってた以上ね。」
思わぬ方向から声がした。斜め後ろだ。声を頼りに捜すと窓枠に座る黒猫を見つけた。変身したのか、もしくはそれが本性なのか、判断がつかないが、気の性質を読めば分かる。カエンだった。
「これ以上、貴方とやり合うのは止めておくわ。リスクの計算が出来ないし、準備も足りない。」
「逃がすと思ってるのか?」
「人を欺くのは得意なの。」
黒猫が笑う。
直後にその体が弾けた。撒き散らされる黒い煙。煙幕だ。視界を奪うだけじゃない。聴覚、嗅覚、第六感、あらゆる感覚を欺くタイプの煙幕であった。
グローリーを振り回すが空しく煙を通過するだけで効果は無い。煙が目にしみて痛いし、喉は痛むしでろくに魔法も使えない。
少しずつ煙が晴れてきて、気付いた。
誰か、居る。
グローリーを突き付けるとそいつはあっさり手を挙げた。
「待って!俺や!らくらや!」
急速に煙が晴れ、その言葉が事実だと知る。部屋を見回したが、他に気配は無い。
「奴は、どこだ?」
「奴って、カエンか?それやったら、上って来る時、すれ違ったで。『今回は諦める。またね。』言うて、帰って行きよったで。」
「ふざけんなっ!」
憤りのまま、踏み出した足がふにゃりと崩れ、未来はその場に座り込む。
力が入らないのだ。
あの卵の……効力切れか?
「大丈夫かあ?」
「しっかりしろ!ダ…仮の人!」
呑気な声とふざけた声を聞きながら、未来は意識を手放した。