STEP4:理不尽な要求
無言で床にたたき付ける。何度も、何度も。もちろん、未来がグローリーを、だ。
「止め、止めてちょーだい!お願いしますぅぅぅ!」
20回ほどたたき付けて、止める。嘆願を聞き入れたわけではない。無駄な行為に疲れただけだ。
かたらわにグローリーを投げ捨てると、服の下からロッドを取り出す。
「ふざけるな。名前を教えるようなバカは居ない。」
「……無かったことにするわけ?」
呆れ顔で少女が笑う。
その顔と声がますます未来の気を荒立たせる。
「黙れ。」
断固とした声で命令すると、小さく呪文を唱える。
黒に紅い紋様を持つ蝶が無数に生まれ、全てが少女に襲い掛かる。
「しゅっ」蛇が吐いたような短い息が響く。直後、彼女の周りに数多の黒い甲虫が現れ、蝶を迎え撃つ。二つの魔法はぶつかると溶け合い、霧散して消える。
全ての蝶と相殺してもなお数を残す甲虫が未来へ飛ぶ。
「ちっ。」
舌打ちして、床に転がるグローリーを足で跳ね上げ、横に振るう。生み出された魔法の衝撃波が甲虫を薙ぎ払う。壁にぶつかった虫たちは染みのように黒く広がり、薄れ、消える。
「ふーん。」
彼女が少し感心した様子で言った。
「ただの玩具じゃ無かったみたいね。」
「その通り!このグローリーが居る限り、ダニエル2号に敗北は……」
耳障りな金属音が響く。
未来が金属製の手摺りにグローリーを叩きつけたのだ。
「すいません。もう言いません。」
謝罪の言葉を無視して、未来は少女を睨み付ける――蝶を呼び出してから今まで、彼女から視線を一切外していない。
「だって、名前を教えてもらってないし……」
グローリーはぶつぶつ文句を呟いている。
――どこまで本気なのかしら?
少女は半ば呆れながらも、油断はしない。
――この子、強い。
秘めたる魔力の程は分からない。しかし、動きと覚悟は訓練された戦士のそれだ。
「ねえ。」
粘り着くような、鼻にかかった艶のある声で呼び掛ける。
「あなたもわたしの商品にならない?」
意外な申し出に未来が驚く。
「……悪いが、仕事中だ。」
「……あんまり乗り気ではないみたいだけど?」
今、対峙している印象か、それともずっと監視していた観察結果か……彼女の言葉の意味を考えようとして、止める。
これはただの会話じゃなくて、駆け引きなのだ。
注意深く言葉と語調を選ぶ。
呼吸を合わせる。
敵と自分を。
相手のペースに乗ってはいけない。
だが、拒み続けていては、隙が見えない。
引き込むのだ。
こちらの領分に。
「確かに、今の仕事に満足しちゃいない。だが、受けた以上は最後まで遂行する。あんただって、そうだろ?」
「真面目ね。でも、発想の転換は必要よ。状況が変化したなら、仕方がないと思わない?例えば……死んじゃうとか。」
「確かに。死体になったら、任務からは解放されるよな。あんたの商品にもなれないが。」
「大丈夫。」
彼女は口角を引き上げ(笑っているのだ。たぶん。)、言った。
「人を欺くのは得意なの。」
未来は床を蹴った。
魔力も気力も全てを剣に込め、切っ先を彼女に向けたまま、突進する。
彼女の周りに黒い炎を纏った甲虫が6体現れる。
予測していたより多い。間合いを測っていたのは彼女も一緒だったらしい。三つは避けられるだろうが、後の三つは体で受けることになりそうだ。
退いた方が被害が多いと判断し、そのままの勢いで彼女に突っ込む。
無茶だと分かっていたが、どうでもよかった。このまま、死んでしまうのも悪くはない。
「あー、あかん!止めんかい!カエン!」
突然の声に彼女が階上を見る。いつの間にか降りて来ていたらくらが立っている。
それに気を取られたのが、カエンのミスだった。
虫たちに襲撃の命令を下すのが一瞬遅れ、未来が間合いに入るのを許す。
血飛沫。
音も無く剣が彼女の脇腹を貫いた。
貫かれる寸前に身を捻り、急所を外したのだ。「サヒュ!」悲鳴を上げる事なく、襲撃の命令を下す。
未来は後ろに飛び、空中で剣を振るった。魔力による衝撃波が虫たちをたやすく弾き飛ばす。
虫たちに先程の力は無い。カエンの受けたダメージはかなり大きいようだ。
一階の床に着地し、らくら――踊り場から2階に上がる途中の階段に立ち、手摺りから身を乗り出して下を覗き込んでいる――を見上げた。
「飛び降りろ!」
未来が大声で命令する。
「え?」
らくらは意味が分からず、混乱する。ここは高いし、落ちたら痛いし、そもそも飛び降りるのに何の意味がある?
「わわ?」
混乱を解く暇もなく、状況が変化して慌てる。
カエンの周囲に魔力が集まりつつあるのだ。大技を放つつもりらしい。
「止め!あの子に手ぇ出したらあかん!」
「……手を出されたのは、私だけど?」
冷たく低い声は聞くだけで人を恐怖させる力があった。出血はもう止まっている(魔法による治癒だろう)が、服と階段を赤く染める血を見れば、失われた血液は相当量と推測出来る。実際、彼女の顔色は悪く、怒りの表情とあいまって、迫力を増大させていた。
らくらは恐怖にたじろぎ、ごくりと喉を鳴らす。
「どうして、降りてきたの?」
「いや、なかなか卵を飲む決心がつかへんかってな。悩んでんのもしんどなって。気分転換に自分の買い手の顔を拝んどいたろと思って、降りて来てん。」
「余計なことを。」
「すんまへーん。」
睨まれて身を縮める。
「おかげでこの子を殺さなきゃいけなくなったわ。適当に追い払うつもりだったけど、仕方ないわね。」
「ちょっと待ってえな。追い払うだけであかん理由ってなんや?」
「わたしの気が収まらないからよ。」
「やっぱり、無茶苦茶やー!怖いわ、お前!」
半泣きになりながら、未来を見る。彼はまだらくらを見上げていた。強い意志を秘めたゆるぎない瞳。光すら凌ぐ暗い魔力を纏うカエンを前に全く臆していない。逃げろと言っても無駄だろう。
――死なせるわけにはいかない。
もう、誰も自分の為に命を失うことがあってはならない。そう誓った。だから、ここに来たのだ。
歌うことと遊ぶことしか考えたことの無い頭で懸命に、速やかに、考え、答えを出した。
手摺りを越え、飛び降りる。
自分が側に居れば、巻き込むような魔法は使えまい。上々の判断だ。
受け身も取れず、床にたたき付けられようとした直前、ふわりと身が浮いた。いつの間にか空色の蝶が身体に纏わり付いている。なんの衝撃もなく、床に着地すると蝶は塵になって消えた。
半ば気を失っているらくらに駆け寄り、手を掴んで未来は出入口を振り返る。
「ちっ。」
黄昏の琥珀色に満ちた外の空間。そこには影より黒い体の巨大な甲虫が待ち構えていた。
グローリーを構え、振り上げる。
「止めんかあ!血が上るぅ!頭を下にしないでちょーだい!」
悲壮な声だった。
全ての緊張感を削ぐに十分な間抜けな内容だった。
確かに、グローリーは柄を上にした状態で顔を刻まれている。切っ先を上にすれば、顔は上下逆さまになる。
が、普通剣は切っ先を上にするものじゃなかろーか。
「許可も得ずに振り回すわ。上下逆さまにするわ。貴様は我輩を何だと心得ておるっ?!」
「剣だ……剣以外の何だ!?剣は振るわれるのが仕事だろうが!」
「まあー、そうなんじゃが。なにぶん、剣として使われるのは初めてなもんで。」
「前にも持ち主が居たとか言ってなかったか?」
「ダニエルか?奴は山賊どころか、熊も出ないような平和な村の農夫でな。15の歳に我輩を手にしてから、80で死ぬまで一度も我輩で戦ったことはなかったんじゃ。」
「なんでそんな田舎のど素人が魔剣なんか持ってたんだよ!?」
「ふふ、我輩の身にはたまたま僅かにオリハルコンが含まれておるのだ。その力で村の鍛冶屋が造ったただの鉈になる予定だったのが意志を持ってしまったのじゃ。なんてサプライズでスペシャルな我輩。」
「あああああ!」
言葉を失うとはこのことだろう。グローリーを投げ出して頭を抱えたいところだが、前に巨大な虫、後ろに魔女ではそうもいかない。
魔法の気配がした。
「危ない!」
未来が反応するより先にらくらが庇う。
「ちっ。」
カエンが舌打ちすると、黒い炎を纏った虫たちが軌道を変える。らくらたちから離れ、外の黒い門番に。
虫の魔力を飲み込み、巨大な体をさらに一回り大きくする。
簡単に突破出来ないと判断した未来は逃げる方向を変えた。
奥へと。
荒れ果てた狭い部屋。窓からは黄昏の琥珀色の光。出口はない。
予想していたことだ。
呼べる限りの蝶を呼び出し、廊下に集めておく。敵にまとわり付き、体の動きを鈍くする。結界の一種。
ただの気休めだ。
次の手を考える必要がある。
その為にも確かめておかなければならない。
未来はらくらを見た。そして、聞く。
「お前は、何者だ?」