STEP0:不機嫌な魔法戦士
「俺の名はM−18A。コードネームはシャーク。滝川未来なんて名前は知らねえ!俺をその名前で呼ぶな!」
甲高い、まだ幼い声で叫ぶと彼は扉をたたき付けるように閉めた。後に残された旅鬼は大きなため息をついた。
厳格な顔立ちと逞しい身体。しかし、眼差しには柔和な光を称えている。M.E.Te.O.―――魔法と精霊に由来する技術管理機構―――関東地区監査役旅鬼海陽。鬼の血をひいていると噂されているが、定かではない。優秀な術者であり、有能な指導者である彼を、数多の魔術師や妖怪、妖精が慕い、従っている。
目下の悩み事は先程出て行った少年、(推定年齢12才)滝川未来。
この状況が彼の希望に反することは分かっている。
だが、彼の人生には間違いなく良い影響を与えるはずだ。
彼、は人の歪んだ欲望が生み出した。だが、人であることに変わりない。
ならば。
人として穏やかに生きることも出来るだろう。
旅鬼はそう信じていた。
魔法。妖怪。妖精。呪術。科学の発展に伴い、忘れられたモノたち。存在するのは、お伽話の中だけ……
しかし。
ちゃんと生き残っているのだ。
しぶとく、図太く、したたかに。
M.E.Te.O.関東地区事務局が居を構えるビル―――外見はただの鉄筋コンクリートの建物だが、中身が違う。
特別な方法で作られた煉瓦にはそれぞれルーンが刻まれ、壁を覆っている。
ガラスの器でウンディーネが沐浴し、ランプの中にはサラマンダー。小さな光が飛び回る。小人たちが忙しく動き、掃除に余念がない。
呑気な奴らだ。
未来は心の中で悪態をつきながら、廊下を突き進む。
エレベーターに乗ると大きく尖った耳と、頭から生える二本の角が特徴の、とびきりの美女が尋ねる。
「何階にいたしましょう。」
「俺の部屋まで。」
彼女は眉をひそめた。
「個人的なワープには対応しておりません。」
「じゃ、勝手にさせてもらう。」
意識を集中し始めた未来に彼女は観念した。
「分かりました。特急で参りますので、踏ん張ってくださいな。」
言葉が終わらない内に、足元に光る魔法陣が現れる。
それは未来を乗せ、急速に上昇する。
天井が迫ってきた。慌てるそぶりも見せず、未来は迫ってくる天井を睨み付ける。
するりと。
何の抵抗もなく、天井を抜けた。
上下に伸びる暗い空間を5階分昇ると、突然進行方向が横に変わる。
目の前は壁。
さっきと同じく通り抜けると、扉がいくつも並ぶ廊下に飛び出す。
女が一人、歩いてくる。未来に気づいている様子はない。
「ふん。」
侮蔑を込めて鼻を鳴らす。
こんな近くの魔法力に気付かないとは……。
訓練されてない奴はこれだから嫌いだ。
未来の体は彼女に向かって真っ直ぐ進み、通り抜ける。
そこで急停止。
足元の魔法陣が消え、未来は廊下に降り立った。
そこで始めて、さっきの女性が振り向く。
未来の姿を認めた途端、顔色を変え、そそくさと逃げていく。
気配を知ることくらいは出来る、か。
再び侮蔑を込めて、鼻で笑い、未来は扉を開けた。
ベッドと机、クローゼットだけの殺風景な部屋。どれも造り付けの家具だ。未来の私物はない。これからも置くつもりはない。
ここは自分の部屋じゃない。ここは自分の居るべき場所じゃない。
全てまやかしだ。
この身体すらも。
未来はベッドに身体を投げだし、目を閉じた。
わずかな喧騒を感じ、未来は目を覚ます。
階下―――事務局から大きな動揺が伝わってくる。
いくつもの探索系の魔法が使われている気配を感じる。
しかし、直接に戦闘が行われている様子はない。
危険はないと判断して未来は目を閉じた。
協会で何が起こっても未来には関係のない話だった。
枕元の電話が鳴る。
内線だ。外からかけてくる相手は居ない。
面倒臭いと思ったが、放っておいても煩いだけだ。渋々受話器をとった。
「未来君。」
怒りと嫌悪が胸で沸き立つ。
旅鬼だ。
一番声を聞きたくない相手だが、それをあらわにする程子供じゃない。
「なんだ?」
「特Aの監視対象に逃げられた。」
簡潔な言葉に未来は笑った。
「ご愁傷様。」
「ただちに保護してもらいたい。」
「嫌だね。」
重い沈黙。
電話の向こうで旅鬼が苦虫をかみつぶしたような顔でいることを想像して、さらに笑う。
「冗談だ。すぐに出る。ロッドをくれ。ルビーを。」
「ガーネットだ。」
「俺に死ねと言ってるのか?特Aなんだろ?」
「……ガーネットだ。それ以上は…」
受話器をたたき付けるように置き、ベッドから降りた。
乱暴に歩き、扉を開ける。
出ていく前に部屋に一瞥をくれ、思った。
いっそ、死んじまった方がこのくそったれの部屋とお別れ出来ていいかもな。
玄関で目当ての品を受け取る。
ついでに、対象の情報を受け取り、叩き返した。
「ふざけてんのか!?情報は全て機密事項。外観すら秘密だと?。」
「書面に記録することすら禁じられていますから。」
いけしゃあしゃあ。
エレベーターの美女と同じ顔―――こちらは額に三つめの瞳を持つ―――の受付嬢は悪びれもせず答えた。
「じゃあ、どうしろってんだよ!」
怒鳴る未来に怯むことなく、笑顔で彼女は言葉を続ける。
「旅鬼様に直接お聞きください。」
火に油を注いだ。それも燃えにくい食用油ではない。燃えだすと手のつけられないガソリンだ。
「ふざけんな!!俺はあいつの顔を見るのは一日一回と決めてるんだ!」
「では、電話でお話しになればよろしいんですよ。」
「てめえ……」
地の底から響くような声を聞き、ようやく受付嬢の鉄壁の笑顔が崩れた。
肩をすくめ諦観の表情になる。
「どうせ、こうなるだろうと旅鬼様はおっしゃっいました。これをお使いください。」
銀色のプレートを差し出す。
「標識札です。対象の存在律に反応し、方向を指し示します。」
反応を見越されていたことが気にくわなくて、プレートを乱暴に引ったくる。
しげしげと見つめる。初めて見るものだが、使い方の見当はつく。
「なあ。」
凶悪な笑みを浮かべて、未来は聞いた。
「俺のプレートもあるのか?」
「ノーコメントです。」
もう鉄壁の笑顔に戻っている。
「……いつか消しズミにしてやる。」
小さく呟いたつもりなのに(聞こえないようにと謀ったのではない、彼女とこれ以上会話したく無かっただけだ。)彼女の大きくて尖った耳は聞き逃さなかった。
「旅鬼様の力を越えれば可能ですわよ。でも、お早めに。私の稼動時間は後二十年程度ですから。」
からかわれた怒りを壁を蹴り飛ばすことで僅かに晴らし、未来は協会を後にした。