一日お嬢様とメイド?
友人より頂いた絵を元に話を作りました。
「お嬢様、まだお眠りになられているのですか。起床のお時間ですよ」
どこか遠くへ飛んで行っている夢の中で、そんな声が不意に聞こえた。お母さんの声でなく夢に起こされるなんて初めてだったけれど、学校に遅れちゃいけないな。目を覚まそう。
開けた目の前には、心配そうに私の顔を覗き込んでいる、見知らぬ長髪の男性がいた。
「キャーーーー」
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「ユノお嬢様、どうなさいました。お身体の具合でもすぐれないのでしょうか?」
私よりちょっと年上――二十歳位かな――の男性が、更に私に顔を近づけてくる。
「え、なんで私の名前知ってんの?そんでもってあんた誰?」
早口で捲し立て、手を前に出してちょっと身を引いたら、すぐに男性は引っ込んだ。
「おや、お嬢様寝ぼけておられるのですか?」
男性はさっと身なりを整え、軽く咳払いをして続ける。
「私はユノお嬢様のメイドをしております、シューノルド・アル・ディグニスです。お嬢様はいつもシューと呼んでくださっているではありませんか」
深々とお辞儀をしながら答えるメイド服の男性――いや、シューなんとか。見るからに怪しい人である。
「そもそも男なのにメイド服って何で?」
はっ、つい思っていたことを口に出してしまった。前髪を編み込んでいるところといい、まあこの人似合ってるから良……やっぱりよくない。
「ユ、ユノお嬢様の申し付けで着ているだけでございます」
一拍遅れの返事と共にたじろいで顔を赤らめてしまった。うん、可愛いな。
その後も暫く質問攻めしていると、自分が置かれている状況をなんとなく理解することができてきた。
どうやら私は、この国ではとても名の知れた名家の令嬢らしい。それで、今居るだだっ広い部屋は私のためだけの部屋で、食事も勉強も入浴――シャワーのみらしい――も全てこの部屋でおこなっているそうだ。外出するのもお呼ばれされた舞踏会等だけとか。わあ、まさに箱入り娘。
しかし、こんなにフリルの付いたゴシックな服着て生活するって嫌だな。動き辛いじゃない。
「でも私は今までこんな豪華な部屋来たことはおろか見たことも無いし、居るであろう本来のお嬢様にも申し訳無いな。探さなくていいの?」
「まだユノお嬢様の混乱を知っているのは私だけですし、騒ぎが大きくなるのは色々と都合が悪いんです」
「大人の事情ってやつね」
「そうですね。ですから、今日一日はこのまま過ごして貰い、また明日起きても混乱が解かれていないようであれば、お父様に御伝えすることに致しましょう」
「他の人にバレない?」
シューなんとかは顎に手を当てて、私の全身をくまなく眺めてから、私の質問に答えた。
「姿にはどこも変わりはございませんし、幸い今日は外出の予定がありません。ユノお嬢様がこの部屋を出ていかれることの方が稀ですし、大丈夫だと思われます」
部屋を出るのが珍しいなんて、とんだ引きこもりだな。
呆れてちょっと笑っていると、不意に私の腹部からキュルキュルと間抜けな音が鳴った。すると、声に出すかのようにシューなんとか――もうシューでいいや――はハッとした顔をした。
「食事のお時間をとうに過ぎてしまいましたね。申し訳御座いません。至急お持ち致します」
小走りで部屋を出ていく彼。一人だと余計に広く感じるこの部屋。さっきからずっといるこのベットだって、三人は余裕で寝られそうな大きさだ。あ~あ、私はこのままこの部屋で一生を終えなきゃいけないのかな。
飲み込まれそうな寂寥感が襲ってきたちょうどその時、静かにドアが開いて、銀のフタをされた皿を片手に持ったシューが現れた。
「お嬢様、ブランチをお作り致しました。そろそろベットを離れてお席にお座りください」
フタから漏れる微かな甘い香りに体が瞬時に反応し、涙は何処へか飛んでいった。バネ仕掛けみたいに起き上がり、フカフカの椅子に座る。
「パンケーキをお作りしました。お好きなだけお召し上がりください」
シューがフタを開けると、メープルシロップのかかった、パンケーキミックスのパッケージ見本ばりにふっくらしたパンケーキが三つ重なっていた。
私の背後に回ったシューが手早くナプキンをかけてくれる。これはちょっと恥ずかしいな。
「さ、お嬢様お召し上がりください」
「いただきます」
パンケーキに入れたナイフが殆ど抵抗無く下りてゆく。一口食べると、メープルシロップの上品な甘さが口一杯に広がる。生地もふっくらしていて全然重くない。
「美味しい。これなら三つでも食べられそう」
「お嬢様に美味しいと言っていただけると、私も作り甲斐があります」
シューはふっと口元を緩めて笑っている。
「ゆっくりで宜しいのですが、食べ終わりましたら勉学のお時間です。午前に出来なかった分みっちりやっていただきます」
「私はまだ混乱してるっていうのに?」
「ええ、何か問題でも?」
微塵も変わらぬ笑顔のまま言われると、恐ろしくて逆らえない。せめて抵抗しようと、一口を大事そうにゆっくり味わって食べた。
さて、歯みがきや着替えを急かされながら済ませ、今は渋々黒板の前に座っているわけですが。
「今日は我らがアンスタシー国の歴史書の第三章をやっていきますよ」
机にドンと置かれたその本は、広辞苑より一回り小さいほどの厚さがある。目次から探そうと重い表紙を捲ってみると、象形文字のような見知らぬ文字がびっしり書かれていた。とてもこんな物読めない……?
あれ、このページは目次って書いてある。私、この文字読めるの?
「お嬢様、第三章は183ページからですが開けましたか?」
咳払いをして、上から本を睨み付けられた。大急ぎでページを開く。
やはり見たことも無い文字でページが埋まっていたけれど、不思議と書いてあることは分かる。
「では、キリの良い所まで音読してください」
「この国の王が三代目になってからというもの、えっと、原因不明の天候不良が続いたため作物を収穫できず――」
「あー疲れた。休憩させて」
名前を聞いたことも無い国の歴史なんてもうこりごり。しかも40ページも音読させるなんて。私はそのまま机の上に突っ伏した。
「お嬢様、今日は大変優雅な朝をお過ごしだったではありませんか。午後はその分詰めさせていただいただけです。さあ、算学の問題を用意しましたので、昨日の復習として解いてください」
このメイド先生の鬼畜め。二年前に習ったレベルの数学だったからまだよかったけど。
窓から差し込む夕陽で部屋が橙に染まった頃、やっと長い勉学の時間が終わった。
「お嬢様よく耐えましたね。いつも今日くらいてきぱきやって頂けると、私も助かるのですが」
「そんなにやらなかったの?」
私も真面目な方では無いのに。
「ええ。適当に解かれたり、すぐ分からないと仰ったり、果ては眠られたり」
「自分で言うのもなんだけど酷いわ」
「はは、全くですよ。ユノお嬢様は手に負えません」
シューはそう笑って言うと、突然真顔に戻った。
「おっと、失礼でしたね、度が過ぎました。それでは御夕食の準備をして参りますので、暫しお待ちを」
シューが扉の向こうへと消えた後、何か思いつく物は無いかと部屋をあちこち見てみた。
パッと見では題名すら読めない分厚い本が一冊分を残して詰まった本棚、色鮮やかなドレスが限界まで掛けられた衣装箪笥、ゴージャスそうな様々な花の香りがする浴場。窓から顔を出して外を見ても、殆どの家が一階建ての石造り。
どれもこれも、初めて見るものだらけだ。知っている物なんて一つも無い。広い部屋の何処にも、鉛筆一本でさえ見覚えのあるものは無い。
「お嬢様、本日の御夕食はステーキでございます。何処にいらっしゃるのですか?」
肉の焼ける音と共にシューの声が聞こえてきた。部屋の隅にいても仕方無いのでテーブルに戻る。
「部屋を見ていたのですか。今日は私、特別腕に縒りをかけましたので、是非熱々の内に食べていただきたくて」
「そうだったの、ありがとう。じゃあいただき……」
「お待ちください。今ナプキンをいたしますので」
慣れた手つきでまたナプキンをかけてくれた。
「今度こそいただきます」
パチンと手を合わせてからナイフとフォークを手に取る。一口サイズに切って食べると、噛めば噛むほど肉汁が溢れてくる。ソースも濃すぎず、肉の旨味を引き出していて。自分の語彙が足りないのが惜しい。
「美味しい。こんなに美味しいものは初めて食べた」
「お嬢様に喜んでいただけて光栄です」
ステーキも完食し、満腹感で睡眠欲が増し、つい欠伸が出てしまった。
「食器をお下げしますので、その間に就寝の準備を整えておいてください。できましたらベルでお呼びくださいませ」
シューは一礼して食器を器用に片手で運び、出ていった。
そして私は今、何種類もの花の香りがする石鹸で体を洗い終え、真っ赤なバラのような布が何層にも重なったドレスを着込んでいる。お店に置いてあるような銀色のお椀型のベルをチリリンと鳴らすと、一分程でノックが返ってきた。
「お嬢様、お布団にはもう入られましたか?」
「ええ。寝る前にも何かするの?」
「いえ、お嬢様が眠られましたら電気を消すだけです。もしお嬢様がお望みでしたら添い寝もいたしますよ」
添い寝?!幼児じゃあるまいし。
「い、いらない」
「畏まりました。それでは子守唄を……」
「大丈夫よ一人で寝られる」
シューは頬を緩めて微笑んだ。見られていると寝にくいけれど、背中を向けて目を閉じてみる。
「畏まりました。私はお嬢様が眠られるまで此処でお待ちしております」
シューがそう言っても返事は返ってこない。ただ気持ち良さそうな寝息が聞こえるだけだ。
「お疲れでしたものね、お嬢様……いえ、由乃様。本日は大変申し訳御座いませんでした。私といたしましても、無関係な由乃様を騙すのはいたく心が傷みました。どうかお許しください」
シューは眠りに落ちた少女に話しかけるように呟いた。
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「ユノお嬢様、起床のお時間ですよ」
「そんな大声出さなくても聞こえてるわよ」
「昨日はとんでもないお願いを叶えて差し上げたのですから、今日からまたてきぱき予定をこなしてもらいますよ」
「……はーい」
少女の隣で朝食を食べながらシューは尋ねた。
「あちらの世界、ええと日本でしたっけ。如何でしたか?」
「一度行けばもう沢山だわ。勉学は訳分からないし、すぐ怒られるし」
「それは大変でしたね」
「でも庶民の生活も良いものね。友達は楽しかったわ」
「ユノお嬢様の話し相手は私しかおりませんからね。楽しめたのでしたら、私も無茶をした甲斐があります」
「でもメイドは見てみたかったわ」
「……私、メイドは女の方がやるものだと笑われてしまいました」
「知ってるわよ、それくらい。しっかしよくあんな古文書読めたわね」
「……えっ、知ってらしたのですか。……ええと、私自身でも、魔法を読めることは不思議では御座いました」
「本当は他にも魔法使えるんじゃない?」
「いいえ、残念ながら使えないのです」
「そう」
少女は不機嫌そうに頬を膨らませたながら食べ進める。
「あ、シューは由乃さんとはどうだった?」
「同じ日に生まれた同名の方でしたが、ユノお嬢様よりも賢く利口な方でしたよ」
シューはここぞとばかりにわざと気分を逆撫でするようなことを言った。
「……そうだったのね。良かったわね。後、ごちそうさま」
「まだ野菜が残っておりますが」
「もう良いの」
「畏まりました」
食器をさげながら、少女には聞こえないほど小さい声でシューは呟いた。
「ユノお嬢様は手に負えませんね。それが可愛いのですが」