九林の意志
一方九林たちは九番街へとやってきていた。
人気がなく、どこか暗い雰囲気のある地下都市の最西端、ここにはグループのメンバーたちも巡回に来ていない。
「確かに……、私たちにとっては少し息のしやすいところだな。」
「それにしてもなんか怖いところですね。」
「ここに犯人が……」
三人はゆっくりと九番街を探索する。
崩れ果てた建造物が立ち並び、どこに何がいてもおかしくはなさそうだ。
しばらく歩いていると、二条がぴたりと止まり、二人を呼んだ。
「ここ……何か音がしませんか?」
耳を澄ませると一件の崩れた廃屋からボソボソと人の声が聞こえる。
数人いるわけではない。
会話ではなく、延々と独り言を言っているような感じだった。
「行くぞ。」
九林は自分の魔導剣を握りしめ廃屋へと足を踏み入れる。
二階建てのその廃屋の二階部分からその声は聞こえる。
三葉と二条も九林の後ろから息を殺して付いていく。
その声は二階の一番奥の部屋から聞こえていた。
部屋は大量の魔物を呼び出すには小さいように思える。
だが疑うには十分すぎるほど怪しいので九林はいつでも剣を抜けるよう手を柄に添えながら部屋へ一気に突入した。
「誰だ! こんなところで何をしている!! ……ッ!!」
そこにいたのはもはや人間と呼ぶのが正しいか迷うほど体のほとんどが魔物に食われた人間だった。
催眠系の魔法でもかけられているのか、自分の状態に気づかず、虚ろな目で天井に向かって一人話しかけている。
「三葉ちゃん、これはどうなってるんだ?」
伝導士である三葉はこの手のことには優れた知識を持つ。
三葉は吐きそうになりながらも、人間で判断すれば男のように見えるナニカに近づき、症状や状態を詳しく観察する。
「これは強い睡眠薬の過剰摂取です。 睡眠薬の名前まではわかりませんが、ハチの言う通り国外の物だと思います。 この人間も残っている服や装飾から国内の者ではないでしょう。」
八道の見立て通り国外からの工作の可能性が大きくなった。
地下都市の問題だけではないことに九林の顔が厳しくなる。
「地上の奴らは嫌いだけど、ここで食い止めないとな。」
九林は地上に恨みを持つ自分へ言い聞かせているようだった。
「九林さん……」
三葉が心配そうに呟く。
そして九林は自分が涙を流していることに気づいた。
「あ、あぁ……悪い悪い。 で、コイツはこれからどうなるんだ? 私たちはどうすればいい?」
「はい、この男の体をよく見ればわかりますが、体中に魔法陣が描かれています。この男を生贄として強力なナニカが現れるでしょう。」
「つくづく可哀想なやつだな……。 今ここでコイツを殺せばそれは止まるのか?」
「いえ、もう体の半分以上は喰われています。 どちらにせよ止められません。」
「……そうか。 ならこの辺りに色々罠を張って少しでも戦いやすい状況を作ろう。 二条、お前も多少サポート系の魔法が使えたよな、三葉ちゃんをサポートしてやってくれ。」
「はい!」
そうして三葉と二条は、付近一帯に魔物の力を弱める結界や対象の魔力に反応して発動する魔法陣を設置していった。いざという時のために、回復魔法がすぐに使えるように、必要魔導具の準備も行った。
九林は自身が描いた魔法陣の上に座禅を組み、魔力の錬成を始めた。
もともとの魔力量が少ない九林は八道のように次々と強力な魔法を撃ちだすことも維持することもできない。
戦場で魔力を錬成しなければ途中で魔力が切れてしまうことも十分あり得る。
九林の持つ魔導剣は、彼女がアカデミーを卒業する時、八道に頼んで造って貰った特注品だ。
魔導剣は魔力を込めることで切れ味や威力が各段に上がり、様々な効果を発揮する武器である。
彼女は製作を頼むとき、八道に片刃の剣を造ってくれ、と頼んだ。
八道はなぜ片刃なのか不思議がったが、彼女が使う物ということもあり、詮索はせず様々な世界から集めてきた希少な素材をもとに一点物の剣を造り上げた。
片刃の剣は片方の刃は斬れるがもう片方の刃は全く斬れないのである。
戦場では剣の握る手を変えることも多くあり、片刃の場合、持ち替えた時、斬れない側で斬りかかるという間違いもあり得る。
少々不便な片刃の剣を造るよう頼んだ九林の真意は彼女の性格にあった。
できるものなら殺したくない。
それが例え魔物でも、怨霊でも。
そしていずれ、国同士の戦争になった時、良い戦いができた相手であれば、殺さずもう一度手合わせをしたい、という密かな思いもあった。
根が優しく、戦いに純粋な彼女だからこそ考えつくことだった。
そして完成した剣が、遥か昔に遠い地で栄えた国の武器「刀」にとても似ていることは、現在でも本人は気づいていない。
自分の体を魔力で満たし、剣にも魔力を貯めておく。
魔導剣は魔力量の少ない身体強化属にとって魔力の予備としても重用される。
しかも九林が持つ魔導剣は、九林に隠して八道がいくつかの工夫を施していた。
一つは、予備で貯められる魔力量の多さ。
通常の魔導剣に比べ、多くの魔力を貯めることができるよう、魔力量の少ない九林を思って八道が工夫した。素材は魔界にある魔力を持つ石であり、柄として加工され、その上から握りやすさを重視した妖界の金糸、銀糸で編まれた織物を巻きつけた。
二つ目は鍔。
通常の魔導剣は長方形の金属を使うが、それでは短く握りしめた時に力が分散すると前々から考えていた八道が、魔力を通しやすい精霊界にある貴重な神木を楕円形に加工し、鍔とした。
普通の金属だと鍔でどうしても手から刃へと伝わる魔力が弱まってしまう。
そこで魔法をよく通す神木を用いて少しでも魔力の無駄をなくすよう工夫している。
三つ目が刃。
刃には神界の魔力に応じて体積を変化させる特殊な金属を用い、九林が魔力を込めると感覚程度に刃が延びるようになっている。
それも強く、九林が強力な一撃に込めるであろう魔力の時にだけ延びるようになっている。
1センチのリーチは戦いの中では勝敗、生死を左右する。
最後に鞘。
鞘は防御用の盾を持たない九林のために防御性能を特化させた造りになっている。
素材は妖界に住む大妖怪の牙で、加工が困難な素材と言われている。
これだけの素材を使っているにも関わらず、その見た目はどこにでもある魔導剣、見る人が見れば刀だと気づく、という程度。
実力をあまり見せない九林のために八道が頭を使って造りだした逸品である。
そして秘密の工夫があと一つ残されている。
それは八道自身これからも明かすことはないだろう。
数十分の作業を終え、三葉と二条は九林に声をかけた。
「ん、大丈夫だ。 少し精神集中をしていただけだから。」
九林が立ち上がり、ぐっと伸びをすると、軽く準備運動をする。
「で、三葉ちゃん。 あとどれくらいで魔物は現れるんだ?」
「もうすぐです。」
と言ったその時、地響きのような雄叫びと共に、生贄の男がいた廃屋が大きな爆発とともに崩れ落ちた。
そして瓦礫の中から現れたのは魔物ではなく人間の姿をした魔族だった。
「あいつは簡単に倒せねぇなぁ。 三葉ちゃん、サポートよろしく!」
「援護は任せてください!」
「二条行くぞ! 死ぬなよ!」
「はい!」
先手必勝。
九林は地面を蹴り、自身と三葉の二重の身体強化による人間離れした速さで、こちらを見据える魔族へと斬りかかる。
ギンッ!と弾かれる音が耳に届く前、感触で判断して九林は距離を取る。
「オマエ……カ? ワタシヲヨンダノハ……」
魔族はゆっくりと言葉を発した。
どうやらまだ戦う気はないらしい。
「お前を呼んだのは誰だか知らねぇ。 もしよかったら帰ってくれても構わねぇぜ。」
九林は魔族の言葉がわからない。
なので人間の言葉を投げかける。
「チガウ……カ……。 マァイイ……オマエハウマソウダ。 ン……? ウマソウナニオイ、ムスウニスルナ……。 ゼンブクラッテカラカエルトシヨウ。」
コキ……、コキ……と首を鳴らす魔族。
名前はわからないがかなりの力を持っているのがわかる。
全身を黒い羽毛のようなものに覆われているところからもしかすると魔族でもないのかもしれない。
三人に戦うほかに選択肢はない。
考えるだけ無駄、と頭を空にした。
「シッ!!」
九林に劣らない速さで繰り出される突きを九林は体を反らせて躱す。
そして前に踏み込んで斜め上から斬り付け、その斬撃が相手に届く前に下段から振り上げもう一撃。
「燕返し。」
古の技より名付けたその技は一瞬の間に他方面から斬撃を繰り出すという時空を超えた不可能な技であった。
それを身体強化で可能にした人間は九林が初めてである。
魔族は身を反らすも躱すことはできず、上下からの斬撃に赤い鮮血を吹き出す。
止まらない。
後ろでひとつに括った長い髪が九林の攻撃の軌跡となり、光のように動く。
『戦神』
戦闘時の彼女につけられたもう一つの名である。
上下左右、可視化されたその斬撃が数十、数百と魔族へ降り注ぐ。
正面、背後、上空、地面……、彼女の攻撃範囲に制限はない。
十数年。
剣技だけを極めてきた少女は人間を超え、魔族をも圧倒する。
ずっと一人の背中を追ってきた。
『天才』八道。
才能がなくても彼に追いつけることを信じ、己を信じ込ませ、ただひたすらに一つのことを磨いた。
彼と違い、一人では何もできない。
今も三葉のサポートがなければここまでの動きはできない。
速く
ただ速く
攻撃を幾重にも重ねろ
魔族に反撃の隙も、二条に援護の隙も与えることなく『戦神』の舞は続く。
「魔力はないが、体力ならある!」
彼女の自慢だった。
身体強化の状態は体に負担がかかり、体力がなければすぐに動けなくなる。
彼女はその無尽蔵な体力は最高速度のまま、細切れにするかのごとく切り刻む。
刃の風が吹き、血の雨が降り注ぐ。
音のない九番街に身の裂かれる音だけが鳴り響く。
だがそれは突然中断される。
衝撃波。
魔力を体の内側から外側へと放出する簡素な技。
だが魔力の多い者ほどその簡素な技は威力を増す。
九林は空中で体勢を立て直し、回転しながら距離をあける。
「ツヨイ……、ツヨイナ……。 コンナニ"キズ"をオッタノハハジメテダ!!」
ニタッと笑うと九林に退けを取らない速さで、九林へと襲い掛かる。
「はっ……! はっ……! はっ……!」
九林と魔族の攻防は辺りの廃屋を数十件破壊した。
最大速度での攻防を約三時間、三葉の体力に限界が訪れ、身体強化が解ける。
それを感じ取ったのか、魔族は息をつかせぬ攻撃で九林に数百発の打撃を与え、そのほぼ全てを喰らった九林は地面に倒れる。
二条が助けに向かうが、二条は九林に手が届く前に魔族に掴まれ、頭突きをくらってその場に倒れた。
「くっそっ……!」
魔力はまだ残っているがこのまま立ち上がっても返り討ちに会うのは必至、無謀であることは頭でわかっていた。
打撃を喰らって朦朧とする目の前に浮かぶのは八道の背中。
いくら走っても追いつくことのできない彼の背中に悔しく思うことも多々あった。
だが、彼の背中を必死に追いかけることでここまで来ることができた。
それを認めるのにも数年かかったが。
いつも先頭を歩く彼の横に並べる者はアカデミーに一人もいなかった。
そんな彼に友人と呼べる友人もいないのも九林は気づいていた。
だからこそ追いついてやろう、と追いついて並んでやろうと追いかけた。
数年後、努力が実ったのか八道の背中が近くなった。
追い抜いてやろうと一層努力したがそれからの差は一向に縮まらなかった。
周りには認められていくものの、いつも八道だけは別格。
「彼は特別だから」と同じ土俵に立たせてくれない。
他の仲間たちが八道を見なくなってからも、ただひたすらに八道を追いかけた。
すると今度は仲間が周りから消えていった。
自分と他の仲間との実力の差が大きく開いたのだ。
アカデミー卒業間際にして初めて味わった孤独。
それは氷よりも冷たく、鎖よりも強く心を締め付ける物だった。
何度自分のどこが悪いのか? と聞こうと思っただろうか。
だけどその時気づいた。
八道はこれを入学してから八年間ずっと味わっていたのだと。
この孤独の中、それでも前を向いていたのだと。
それならば自分も前を向いて歩かなければ、と奮い立たせ八道を追いかけた。
結果、仲間にありもしない罪を着せられ犯罪者となり国を追われたが、その後も目指すところは変わらなかった。
最後に無理を承知で造って貰った魔導剣を胸に地下に降りた後も。
ただ八道の背中を……。
そして今日、突然目指していた人物が目の前に現れた。
久しぶりに見るその姿と性格は昔と違い、今まで抱いていた憧れや尊敬が崩れ去った。
今まで抑え込んでいて忘れかけていた地上への恨みが溢れ出し、それを全て彼へとぶつけてしまった。
だが彼から言われた言葉は謝罪。
八道が悪いことは何もない。
むしろ彼のほうが辛いことも多かったはずだ。
それでも自分のことを心配してくれていた。
後ろを走っていた自分のことを見てくれていた。
「……そうだ、私は八道に……、追いつくんだっ! こんなところで!」
こんなところで倒れていては仲間たちへ見せる顔がない。
そして八道に追いつくこともできない。
九林は残りの魔力で体に鞭を打って立ち上がる。
そして魔族を見る。
この程度の相手にッ!
負けるようではいつまでも前には進めない!!
私は三葉を、この場所を! 八道に託されたのだ!!
九林は敢然と構え、相手を見据えていた。
魔族として見ているわけではない。
ただ倒すべき、自分よりも強い者として見据えていた。
そして立ち向かう。
彼女のもとへ集まった仲間たちに受け継がれる彼女の"意志"
それは地下に輝く星だった。
九林……稀代の天才八道と同じ年にアカデミーに入学した身体能力属の魔導士。彼女だけでなく同年代全員が彼の存在の影になり、やがて彼女を除く同級生は彼を超えることを諦めた。彼女は誰よりも自分の才能の無さを自覚し、その上で八道を超えることを目標にひたすら努力を重ねた。やがて彼女は周囲から認められ始めるが、それでも八道には届かなかった。それからも惜しむことなく努力を重ね、彼に追いつくまでになるが、実力の差を広げられた仲間たちによって無実の罪を着せられ、犯罪者として国を追われることになった。それから彼女を見たものはいない。
稀代の天才・八道魔導士の一言
「アイツは俺の考えを根本から変えてくれた奴だ。 俺は犯罪者なんて思っていない。」
後輩・三葉伝導士の一言
「九林さんのことは八道魔導士から聞いています。 彼にとってとても大切な人のようです。少し羨ましいですね。私もそうなれるよう頑張ります。」
記者「あれ、嫉妬ですか?」
三葉「嫉妬じゃなーーい!!」
八道「……」