使い魔 3 彼の仕事
彼は人ではなく、人の心から生まれた妖のような生き物の一種だった。
それは、人が悪魔と呼ぶものに似ている。
不本意ながら、事故のように成立した主従関係にある彼の主人は、若い女性で、人として彼を好いていた。
彼を悪魔と知らぬ彼女は、悪魔に知らず知らず命令を下す。
本人は、自分の発言が命令になっていると気付いていないのだ。
だから、その命令も少しおかしなものになる。
たとえばそれは、こんなもの。
「そろそろお仕事探してくださいね」
主人の命令であるから、働かなければならない。
だが、彼は普通の仕事などまっぴらごめんだった。
なにせ、悪魔様である。
多少不思議な力も使えるし、できれば仕事ついでに本来自分がエネルギーとしている、人間の心や生命の力をついでに手に入れたいところだ。
そこで彼は、労力が少なく、かつ悪魔らしい方法で金を稼ぐことにした。
にぎやかな通りから、一つ裏の道に入ったあたりに、さびれてつぶれかけたようなバーがあった。
それでも、常連や、ほかの店であぶれてしまった客を相手に細々と営業を続けている。
そこで働く、バーテンといおうか、従業員といおうか、(何せほとんどビールかウーロンハイしか出ない店だ)その店には不釣合いな、まだ若い青年がいた。
叔父さんのやってる店じゃなかったら、こんな先行き怪しい店バイトなんかしないよなあ、と彼はため息をつきながら、客に酒を出していた。
仕方なしにバイトをしているこの店には、常連も含めておかしな客が多い。
なにせ酔っ払いなのだからそうだろう。
だが、最近それとは違う意味でおかしな客が現れるようになった。
黒い服に、長い黒い髪、青白い肌の妙に背が高い男。
静かに飲んでいたかと思うと、ついと席を立ち、他の客になにか話しかける。
しばらく隣で話すと、その客から幾らかの金をまきあげる。
妙なのは、金をまきあげられた客の反応。
酔っている上にもさらにぼんやりとしていて、幻でも見ているかのような遠い目をしている。
オイオイ、やばいクスリでも売ってるんじゃないだろうな。
そんなふうに思いつつも、なんだかその男は得体の知れない感じがして、どこか不気味でついつい視線がそちらへ吸い寄せられてしまう。
死神とか、悪魔ってのがいるとしたら、あんな感じなんじゃないだろうか。
俺は、怖い話はキライじゃない。
まあ、でも現実にそんなのがいるわけないし、あの人はただの気味の悪いたかりなのかもしれない。
そんな考えをめぐらせているうちに、今日も彼のお出ましだ。
カウンター席で、静かに飲んでいる彼のところへ、今日はオバサンがむこうから寄ってきた。
これは、いままでにないパターン。
どこか不気味なあの男が、酔っ払いに絡まれたときどう対処するのか、俺は興味があった。
オバサンが彼に話しかけた。
「この前は、すごくよかったわぁ。今夜も、ね?」
うぇっ・・・この人、こんなナリで体も売ってんのか?
いや、でも不気味だ怖いだってのは、男の俺の意見であって、女から見たらこれがカッコいい、とか?
そもそもそれ以前に、カラダ目当てだからカッコいいとかそういうことは二の次なのかな、そんなことを思っていた俺は、ついじろじろと無遠慮な視線をなげかけていた。
と、気まずいことに彼と目があってしまった。
なんだ、この目は、光ってるみたいな、いや、瞳の色が薄い
せいでそう見えるんだろうか。
彼が、赤黒い唇を開いた。
固まりかけた傷口みたいな色だ、と思った。
「おい、おまえ。何見てんだよ。」
怒っているようではないけれど、かなりの低音ヴォイスに俺は思わずひるんだ。
「すみませんっ!失礼しました!」
慌てて目をそらした。
こえー、やっぱ人間じゃないんじゃないか?
それでも気になって、こっそり横目で見るとあのオバサンはもうすでに夢見心地になっていた。
さっきまで普通だったのに、いつの間におかしくなったのかまったくわからない。
そして、彼はうっとりしているオバサンを満足そうに見ると、その耳元へなにかボソボソとささやいた。
オバサンは、財布をとりだすと、数枚の一万円札を彼に渡した。
これは、どういうことなんだろう。
オバサンは何に金を払っているんだろう。
オバサンは、頼んだ飲み物の代金として、千円札を一枚
カウンターに置くと、ふらふらとした足取りで出て行った。
彼は、来たときとかわらず静かに自分の席に座っている。
「チラチラ盗み見てないで、何か言いたいことがあるなら言えよ。」
またも俺の視線は気付かれていた、が、やはり彼は怒るでも
なく淡々とそう言った。
なのに、俺はなぜか「怖い」と感じていた。
襲い掛かってくる、わけはなかった。
その人は静かに、表情すらうかべずに座っているだけだ。
それでも俺は、隠していたなにかを暴かれるような、自分の全てを見透かされているような、落ち着かない感じと原因のわからない寒気に襲われ、思考力がどんどん低下していく気がしていた。
いや、原因はわからないわけではない。
目の前のこの人なんだ。
だけど、この人の何が俺をおびえさせ、こんな寒気を起こさせるのかがわからない。
強いて言うならば、雰囲気。
答えられずにいると、傷口のような唇が動いた。
「俺が、何をしていたか知りたいんだろう?」
俺を正面から見つめてくる色の薄い瞳は、やはり光っているように見えて、俺の恐怖は加速していった。
ここは毎日のように働いている場所で、まわりには人も沢山いるのに、今の俺は命の危険すら感じている。
知りたい、けど知ったら死ぬ気がする。
それは、物理的に刺して、とか殴り殺すとかいうんじゃなく、得体の知れない力で、俺の命そのものを抜きとってしまうようなやり方だろうと思う。
ただ、それは想像でしかないし、この恐怖自体にもなんの根拠も無い。
いつのまにかじっとりとシャツの下にかいてしまっていた細かな汗が、つぅっと背中を伝っておちるのがわかった。
光る瞳はまだ俺を見ている。
でも質問に答えられるような状況じゃない。
俺の喉からは、空気の出入りするような短い音がもれるだけで、何もしゃべることなどできなかった。
光る瞳、寒気、怯えに今度は息苦しさまで加わり、めまいがして目を強く閉じた。
(続)