2 続き
簡潔すぎて心の準備もおいつかない。
いきなりすぎる非常識なセリフは、とてもじゃないが飲み込めるような内容ではなかった。
しかも、朝っぱらから。
「え…意味…零さん?」
朝の光の中で、悪魔などといわれて。
しかも、零の幽霊然とした風貌も、趣味の問題でレイには美男子にしか見えておらず。
今のところ、彼が人間じゃないようには見えなかったので、
『大丈夫ですか?』
と言おうとして思いとどまる。
怒られそうだから。
わかりにくいけど冗談、かもしれないし。
じゃ、こういうときは話題をすりかえてしまえばいいんだよねっと、レイは思い、即行動した。
「零さん、朝はパン派ですか?」
朝ごはん朝ごはん。
「いらない。それより俺がすることはないのか?」
せっかく変えた話題をまた元にもどされてしまう。
すること…すること…。
話題をかえて誤魔化せないなら、とレイはできるだけ常識的に状況を判断しようとした。
うーん、好きに使えっていわれても。
だいたい悪魔って何の冗談だろう。
すっごく性格悪いとか?
レイは目の前にいる、自分の憧れの相手の顔を観察した。
釣り上がった眉と、長いまつげに囲まれた切れ長の細い目。
目尻が下がっているのがまた、けだるげで妖しい雰囲気をかもしだす。
薄い唇は、彼女の発言を待って静かに閉じていた。
その印象は、優しそうにはとても見えない。
でも、好きに使えってことは、オネガイしたら聞いてくれる、ってことなのかな?
あ、そっか、やっぱり冗談だったんだ。
考えた挙句に、目の前の男の謎の発言と、今の状況がきちんとレイの中でつながった。
要するに、居候のかわりになにかあれば手伝ってくれる、そんな意味のセリフだったのだろう。
悪魔だ、っていうのは、きっとすごく性格が悪いって意味で、自己紹介とかのつもりだとしたら、その表現も彼の印象に合う。
少々強引ではあるが、照れ隠しの冗談だって言うかもしれないし。
だったら、ちょっと可愛い、とレイは思った。
恋に落ちている人間の思考回路とは不思議なものである。
すべてを都合よく解釈し、無理矢理納得すると、もう彼女は悩まなかった。
もともと、あまり考えるのが得意でない脳をしていた。
「じゃ、オネガイしちゃっていいですか?」
「何でもいえ。大概のことは可能だ。」
見栄でもなんでもなく、人の命を数え切れないくらい糧とした彼の能力は、多彩にして強大だ。
「恥ずかしいんですけど、困ってるんで…。」
「あぁ。」
「この部屋、あたしが仕事行ってる間に片づけてもらっていいですか?」
零の細い目が、さらに細くなり、眉間にあるかなしかのシワが寄った。
あれ?怒らせた?そうだよね、家事みたいなこと、零さんに似合わないよね。
レイは慌てて打ち消そうとした。
「あの、ごめんなさ」
「わかった」
彼女が謝ろうとするのを最後まで待たず、零は了承した。
仕方ない、といった表情ではあるが、怒っているようではなく、レイは安心する。
と、同時に喜ぶ。
整理整頓も掃除も、彼女は得意ではないし、好きではない。
「いいんですか?やったぁ!」
パッと顔をほころばせると、零は面倒くさそうに目をそらした。
一週間とたたぬうちに、家事一切が零の仕事となった。
洗濯物を片付けねば部屋は汚れていき、料理をさせると納豆だの味噌汁だの好みに合わぬものを食わされる羽目になる。
(何か少しでも口にしないと、心配してきて鬱陶しかった。自分で作ってしまえば、先に食べたとごまかすこともできる。)
買い物に行けば零の好きなものも一緒に買えるので、そこはついで。
承不承ながらも、彼はほぼカンペキにそれらをこなした。
「あのぅ、零さん」
返事の代わりに、零は主の方を向いた。
「あたしの…下着、洗ってくれちゃったんですか?」
「あぁ」
「たたんで、しまって…?」
「あぁ」
主はみるみる顔を真っ赤にすると、泣きそうな顔をした。
下着見られたくらいでいい大人がそんな顔をするものか?
そんなふうに思う零は、表情を変えない。
「そぅいぅのはぁ…」
自分でやるとでもいうのだろうか。
これは言い返すべきだろう。
「なんとも思ってないから騒ぐな。お前に任せると片付かない。」
まっすぐに目を見て、少し強くそう言い放った零に、レイの羞恥心は敗北。
「…ハイ。」
消え入りそうな声で彼女がそう答えて、付き合ってすらいないのに零は完璧に主夫の座に収まった。
晴れた朝。
幽霊のような黒い影が明るいベランダに立つ。
洗濯物を持って。
部屋と彼の主であるレイは、バッグを肩にかけて出かけようとする。
「じゃ、零さん、あたし仕事いきますね。」
「あぁ」
振り向きもせず零は洗濯物を干す。
エプロンをかけるわけでもなく、黒づくめの長い髪をした大男がだるそうに、だけどテキパキと洗濯物を干す光景は、毎日のように見ていてもなかなか見慣れなかった。
彼と洗濯物は、同じ空間にあるべきではない感じがしたが、彼がそれを受け入れているのだから、その光景は現実だった。
仕事に行かなければならないのも、また現実。
「いってきます…あ」
何か思い出したような彼女に、零が動きを止めてそちらを見る。
「零さんも、そろそろお仕事探してくださいね?焦らないで、ゆっくりでいいですから。それじゃいってきます。」
ニコっと笑うと、彼女は元気よく出て行った。
それが、主の次の命令だった。
「わかった。」
零のつぶやきとともに、バタン、とドアが閉まった。