2 悪魔のいる生活
使い魔 2 悪魔のいる生活
人の姿をした彼は、実は古い魔物であった。
人の心から生まれ、それを食らう。
彼らは人が”悪魔”と呼ぶものによく似ていた。
彼らは同種間のつながりが薄く、彼は自分自身のことも、実際に体験してきたこと以外はよく知らなかった。
そんな彼は、気が遠くなるほどの時間を生きたにもかかわらず、少し前に自分のやっかいな性質を新しく発見した。
それは、名前を付けられるとその相手に逆らえない、ということ。
決まった名を持たず生きてきた彼だが、偶然、人間の女によって“零”という名を与えられ、彼自身もそれが気に入った為、受け入れてしまった。
そして、その性質は条件を満たし、現れた。
もちろん彼はそんなことを受け入れはしなかった。
だが、名を捨てることも、彼女の言うことに逆らうこともできなかった。
どんなにそれを忘れようとしても、一度受け入れた名はしっかりと彼の意識に刻み込まれてしまい、無視しようと思っても呼ばれれば答えてしまうし、同じ音を聞くと、自分の名だ、と思ってしまう。
そして、名を捨てられぬ以上、どんなに彼女のいうことに逆らおうとしても、なんだか自分の意思に逆らうかのように落ち着かず、その通りにしないと何度でも脳裏に用件が蘇り他のことが考えられなくなってしまう。
それは、呪いのように。
ただ、彼女は彼が人でないことも、そんな性質を抱えていることもまだ、知らない。
零は、自分が使い魔と成り下がったことを痛感していた。
会話の成り行きとはいえ、彼女と一緒に暮らすことを了承してしまったのだ。
逆らえなかった。
それ以外にそうなってしまう理由などなかった。
認めたくなくて、どうにかしてその事実を打ち消す証拠を探した。
しかしそれは見つかることなく、彼は、彼女の部屋の前にいた。
「ちょっと待っててくださいね、零さん」
ドアの前でそう言われて、大人しく…もう10分ほど待っている。
その大人しさというのは、彼が半ば放心状態になっているせいでもある。
今まで彼は、人というものを下等生物のようにしか思っていなかったので、急にそれに従わねばならなくなったという状況を受け入れきれず、そのショックたるや想像を絶した。
ただ、この状態は待つには適していて、彼は時間というものを現在まったく知覚していなかった。
さらに数分して、彼の主であるレイが
「お待たせしました、どうぞ」
と、やっとドアをあけた。
バス、トイレつき1Kのその部屋は、ケタはずれに身長の高い零には
ひどく狭かったが、必要以上に細いカラダがそれをカバーしたようで、
なんとかここで暮らしてゆくこともできそうだった。
それに、人でない彼は、そうしようと思えば人以外の形をとることもできたので、本来、狭さは苦にならなかった。
とはいえ、そこはひどく、ひどくちらかっていた。
俺は外ですこし待たされたよな、と、ぼんやりしながら零は思う。
普通、そういう時って部屋を片付けてるんだよな?
確かに、ゴミこそ落ちてはいないが、そこ此処に雑誌が小山を作り、
ベッドにはからまりあった衣服が布団と一体化しつつあった。
テーブルには鏡と化粧品が、多分今朝使ったままで置いてあり、テレビの前にはDVDが重ねられ、(彼女にとって片付ける、とは、一箇所にまとめて置いておくことを意味するようだ)部屋の隅には、どこかで買い物をしてきたままにビニール袋が数個、放置されている。
「座ってください」
ニコニコと主が言うので、彼は隙間をみつけて体をねじこんだ。
あまりに狭く、膝を抱える。
情けなさに、顔を伏せる。
もう顔をあげるのも嫌だったので、零はそのまま眠ろうとした。
彼の主が何度か話しかけてきたが、もにゃもにゃとよく聞き取れず、彼は眠ることを優先した。
どうも、それくらいの自由はきくようだ。
優しい闇の入り口で、そんなことを思った。
鳥の声はやかましく、遮光でないカーテンを貫いて差し込む朝の光はあつかましくも鬱陶しい。
そして、彼は目を覚ます。
彼の主は、ベッドを使うことなく彼の隣で寝ていた。
彼を包んでいる毛布は、彼女がかけてくれたものなのだろう。
人ではないから、彼は風邪を引く心配もないし、寒さを感じはしても問題にはならないが。
その、彼を包む毛布に少しだけ自分も入って、彼に寄り添う形で、主は、レイはなんだか幸せそうに眠っていた。
その寝顔も、押し付けられたカラダの柔らかさ、暖かさも零の苛立ちを誘ったが、主の眠りを邪魔するというのは使い魔の立場ではない。
昨日のショックもなんとかおさまり、落ち着きを取り戻した彼は考えた。
彼女に逆らえない自分、気付くと彼女の傍に戻ってきてしまう自分、命令を待つかのように、自分では何もする気がおきないこと。
ならばもう、使い魔として彼女の命令を受けるしかないだろう。
不本意だとしても、今の堂々巡りの状況をなんとかするにはそれしかない。
主と使い魔の契約が成立している以上、レイを殺せば自分もただではすまないことは明らかだった。
彼らは、一度受け入れた契約を破るとその度合いに応じて力を奪われる。
命を代価とする契約ならば、彼らも命をかける。
命が助かったとしても、弱体化しているところを同種や、天敵である”天使”に襲われてはたまらない。
だから、零も契約にはおおむね忠実だった。
そう、忠実に主を起こさぬよう、指先一つ動かすことなく二時間ほどを彼は待って過ごした。
目覚まし時計の音が鳴るまで。
ぴぴぴぴぴぴ…
「んー…」
レイがもそもそとカラダを動かしながら小さくうなる。
夢の中から抜け出せずにいるその声は、少し鼻にかかっていて、聞いているだけで眠くなりそうだ。
目覚まし時計の音はだんだんと大きくなっていく。
…ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ!
「うぅ…ん」
ぎゅっと目をつぶり、無駄な抵抗をするレイ。
だが、零がそれを許さなかった。
「起きろ。うるさい。」
レイの大きな目が全開になり、体全体をびくんと跳ね上げた。
がばっと顔をあげ、視界の中央に零をとらえると
「きゃーーー!」
甲高い声でわめいた。
「うるさい!」
顔をしかめた零の声は耳に入っていないようだった。
「きゃーヤダーイヤーうそぉお!」
零から毛布をはぎとって顔を隠したかと思うと、それをバッとベッドへ放り出す。
ついでに目覚ましを止める。
バタバタと洗面台のほうへ向かいかけて、くるっと回れ右をして服の山をあさり、おそらく今日着ていくぶんの衣服をつかみ出す。
眺めながらすっかり呆れた零は、この部屋の散らかりように深く納得する。
数枚の衣服をひっつかんだレイは洗面台の方へ。
キッチンなどのあるスペースと、部屋をしきるドアをしめると、勢いのいい水音。
10分ほどしてすっかり着替えも終えたレイは、戻ってきても顔をかくしており、
「見ないでくださいねっ」
とか言いながら化粧品と鏡を抱えて部屋の反対側へ、
零に背を向けて座り込む。
それから30分。
すっかり化粧を終えてやっとレイはこちらをむく。
「えと、あはは、おはようございます、零さん」
「…ああ」
寝ていたときの顔とたいして変わってない、そう思ったが、感想をわざわざ言うのは面倒だった。
「びっくりしちゃいました、起きたら零さんがいるなんて。
昨日から一緒だったのに、一度寝たら、そんなの忘れてて。」
照れ隠しに笑うレイ。
むしろ驚かされたのは、いきなり悲鳴を浴びた零のほうなのだが。
とにかく、いまなら話ができそうだ、と、零は自分の用件を切り出すことにした。
「話がある」
「はい?」
きょとん、としてレイは大きな目をさらに大きくした。
「俺は、悪魔だ。そしてどうやらお前の使い魔に成り下がった。
そういうわけだから、今日から俺を好きに使え。」
用件だけを簡潔に。
(続)