続き
「だから、何ですか?あたしそんなことっ」
困り顔のレイは、謝ろうにも、覚えが無い。
「言った・・・寝言で。だが、本心だろう?」
「なに怒ってるんですかぁ?」
とっさに言い返してから、好きでいるのすら許してくれないんだろうか、と不安がレイの胸の奥をチクリと刺す。
零のほうでは、困っているのかすねているのか、あいまいな表情で上目づかいに自分をにらむレイを、これ以上悩ませることがためらわれた。
胸の奥がそわそわして、なのにもう少しこの表情を見ていたい気もする。
それでも、この状況が続くのは彼女にとってはストレスだろう。
もう許してやろうか、などと思ってしまってから、自分らしくない考えだ、と思い直し、さらに続ける。
「”も”好きってこたぁ、俺はアレ(御雷のことらしい)以下か?ぁ?」
「以下だなんていってないじゃないですかー!それに、寝言で怒られても」
「俺は!・・・1番じゃないのか?」
ぐぃっ、と身を乗り出してさらにレイに詰め寄る零。
顔、近いよ零さん。
と、思っても怖くていえないレイ。
ほぼゼロ距離の緊張に、頭がまっしろになり、なんとなく聞き返してしまう。
「イチバン、になりたいんですか?」
訊いているのは俺だろう、とか何とか。
きっと言い返してくるだろうと思ったレイだが、目の前の顔は不思議そうな表情になると、そのまま固まってしまい、怒りだす様子はなかった。
数秒そうして見つめあっていたが、今は朝。
バイトに遅れてしまう、と意外にも途中で冷静になったレイは、固まってしまった零を放置してさっさと食事を終え、身支度を整えると、やはり固まったままの彼に小さく
「ぃってきまーす」
と声をかけ、出かけた。
一方の零は、イチバンになりたいか、と訊かれた瞬間から、時が止まっていた。
イチバンになりたいんだろうか、俺は。
自分自身に問うているうち、みつめ合っていたハズのレイは食事を再開していた。
彼は、もともと動かない置物ででもあったかのように、静止したまま神経の全てを自分自身に対する問いにかたむける。
イチバンに、なりたいか?
いいや、なりたいわけがない。
こんな、どこにでもいそうな頭の悪い人間の女に、どう思われていようと俺はかまわないハズだ。
それでも気になるのは、御雷よりも下だと思われるのがイヤだということだろうか。
彼がそんなことを考えている間、目の前ではレイが食器を片付けはじめている。
見方を変えてみたものの、すぐにそれが無意味だと気づく。
スズキのことが、彼がレイにちょっかいを出したときのことが、頭をよぎったから。
体のほうが先に反応してしまったあの時、レイにキスしたあいつを許せないと思ったじゃないか、と。
御雷だろうが、スズキだろうが、他の誰かだろうが、レイが俺以外を好きになることが、もしかしたら、おそらく、多分、俺は・・・嫌なんだ。
どんなに嫌だろうが、おぞましかろうが、不本意だろうが否定しようが、もう間違いはない。
自分は彼女を気に入ってしまったのだ。
憎しみを覚えるほどではないが、彼女のやることなすこと、だいたいのことが気に入らないのに。
バカでノーテンキでだまされやすくてわかりやすいのに、理解できる所は一つもなくて。
磁石のように正反対のもの同士はひかれあう、という説を聞いたことがある。
自分たちがそれにあてはまったのだとしても、なぜよりによってあんな間の抜けたモノと俺が組み合わされなければならないのか。
考えがこのあたりまで来たとき、思考以外の全機能停止の零の顔の前で、すっかり身支度も終えたレイがヒラヒラと手を振って見せた。
目をあけたまま、寝ているようにでも見えるのかもしれない。
考えることに集中している零が、無反応なのを確認すると、あきらめて何か言い残し出て行く。
その間も中断することなく、彼の考察は続いていた。
レイの存在すべてを気に入っているなどというのは、今の彼にとって可能性すら受け入れがたいことだった。
それでも、彼女の笑顔を受け入れている瞬間があることは、確かだ。
以前、彼女が悲しんだときに、その感情が流れ込んできたように感じたことが何度かあった。
今になって思えば、それは気に入った相手が傷ついたということに、自分自身の心が反応していたのではないか?
契約を無効にしそびれたのも、理由のわからないイライラも、無意味に思えた行動も、すべて、彼女を自分のものにしておきたかった、そうしたかったからだと思えば説明がついてしまう。
奪った心を手放すことが、いつの間にかできなくなってしまっていたのだ。
俺は、あの女を自分のものにしたいんだ。
どこにでもありそうで、だけどそうは転がっていない、レイのあの油断しきった笑顔を思う。
幼い子供のようなあの笑い方は、スズキもよくする。
”天使”と同じ笑い方をする女。
確かに”悪魔”の自分とは対極だ。
惹かれあった、のだろうか。
自分にないものを、俺は求めているのか。
だとしたら、恐ろしくちっぽけで情けなくはあるが、まぎれもなくそれは自分の欲望だ。
プライドがどんなにそれを否定しても、それはただの悪あがきでしかないだろう。
なぜなら、結局は今の今まで、その欲望を打ち消せなかったのだから。
その存在も、抗えない事実も、もう自覚してしまった。
ならばもう、押さえつけることもない。
受け入れて、従えばいい。
ただの欲望だ。
欲望のままに動くなんて、それこそ悪魔らしくていいじゃないか。
レイの帰宅は、だいたいいつも騒々しい。
「ただいまぁ!」
特に太ってもいないくせに、どんな歩き方をしているのかドタドタと足音をたてて入ってくる。
ベッドの上へバッグを放り出し、上着を脱ぐ彼女を零はみつめていた。
コレのどこを、自分は気に入っているのかと。
やはり否定したくなるくらい、ウンザリした気持ち以外何も感じなかった。
探るようなその視線に、彼女は気づいて小首をかしげる。
「何ですか?」
「何だろうな。」
何かごまかしているようにも、からかっているようにも聞こえるその答えは、けれどまさに今の彼が考えていることそのままだった。
何がいいんだ、コイツの。
どう考えてもわからない。
真逆だから、という他なさそうではあるが、それもイマイチ納得がいかない。
悩む彼を尻目に、バッグをガサガサしていたレイが、何かを取り出した。
今朝、ゼリーが入っていた彼女のカップだった。
疑問符を含んだ零の視線を感じて、レイはカップがバッグに入っていた理由を説明する。
「あ、これ?ほら、ゼリー入ってたじゃないですかぁ、だから、クリームのせたらおいしいかなって。お店でかけてもらってぇ、おいしかったですよぉ!」
思い出してもおいしい、といわんばかりの満面の笑みをうかべた彼女を見ていると、イヤガラセが不発になった事も、今まで考えていた事も一気にどうでもよくなり、気が抜けた。
「・・・ふ。」
レイの笑顔が伝染したように、少しだけ零が笑うと、レイは逆にきょとんとした顔になる。
「なんだ?」
彼女の表情のイミがわからず、零が問う。
「え、あ、今・・・今笑ってくれるって思わなかったから。」
言いながら、零が笑っているという事実をかみしめるように、もう一度彼女は笑った。
不意に、この瞬間の居心地のよさに零は気づく。
はっきり、それが何か、とはわからない。
けれど、誰にもゆずりたくないのだけは確かだった。
それを、ゆずりたくないこの空気感を持っているのが彼女だということも。
きっとそれは、彼女の”イチバン”になってしまえば、誰にも渡さずにすむ。
なら、俺はイチバンになりたい。
「レイ」
自分と同じ音の、彼女の名を呼ぶ。
「はい?」
大きな目に、いつものように楽しげな光を踊らせて、彼女が答える。
「俺は、イチバンがいい。」
「お風呂ですか?」
この程度で彼女にいちいちツッコんでいては、話が進まない。
これは、大事な話なのだから。
(続)