使い魔20 笑う悪魔
零が、微笑んでいた。
その微笑に、レイは思う。
確かに笑ってくれるのはうれしいけど、この顔はダメ。
かわいいけど、ウソだもん。
絶対おねだりとセットなんだもん。
「オネガイ、だ。いいだろ?」
「むり・・・むりです・・・アレすっごい怖いって・・・」
無邪気そうな笑顔をはりつけた彼は、ホラーDVDの新作を一緒に見ろ、とおっしゃるのである。
「・・・」
少しがっかりしたような顔で、零が黙り込むと、もうレイの負けだった。
「わかりましたよーぅ!もー!!」
「・・・ふっ。」
勝ち誇った彼が、子供らしくない表情で笑う。
この笑い方、キラーイ。
ちょっとだけ、かっこいいんだけど、だいたいヤな事とセットなんだもん。
テレビを見るときも、時々零はニヤニヤと笑っている。
暗い目つきをして、口元だけで笑うのだ。
彼がそんな顔をするとき、だいたい画面では悲惨な事故や、殺人のニュースが流れている。
当然、この笑い方もレイはキライだ。
不気味なのはもちろんだが、なぜか、見ていて悲しくなる。
けれど、彼が悲しそうな目をしているのかというと、そうではなく、汚く、こっけいなものを見るような目つきでテレビを見ている。
対象を軽蔑しきった、あざわらうかのような視線。
殺人事件の裁判結果を見て爆笑(←超レア)しているときもあった。
心から愉快そうに、高らかに笑う彼とは反対に、その裁判の結果たるや被害者の尊厳を無視したさんざんなものだった。
レイが、笑って欲しい、そう思っている彼は、実はよく笑っていた。
ただ、その笑顔は、嘘。
または嘘でしょ?といいたくなる場面でしか出てこないことが多かった。
そして、笑っていないときの彼の目はおおむね虚無感をたたえ、時に悲しみを内包していた。
嘘や、誰かの不幸や、命の終わり、そんなことでしか笑えない彼。
彼女は、そうじゃない笑い方をして欲しかった。
そうするうち、あの何もかもなくしたような瞳の色も少しづつ、変えていける気がした。
たとえば、一緒においしいものを食べたり、きれいなものをみたり、楽しいときの笑顔。
それが、彼女が彼にして欲しい顔、できることならプレゼントしてあげたいものだった。
なのに、彼は変わらず、彼女のほうがただ疲れるばかりで、おまけに最近少し力を取り戻した零は、こびるための笑顔などは出し惜しむようになり、落ち着きもでてきて少しづつ笑わなくなってきていた。
状況は、悪化しているようにさえ見える。
フゥ・・・
タメイキをついて、レイはDVDを借りるために、出かける支度をする。
今日はまだ何もしていなかったらしい零も、夕飯の用意をしてしまおう、と立ち上がる。
エプロンなど当然つけない彼が、台所で包丁を手にしていた。
悪魔と、凶器。
けれど実際は、子供のお手伝い風景そのもの。
玄関から、家を出る前に少しだけそんな、普通の子供にしか見えない彼をみつめる。
本当に、普通の子供みたいに笑ってくれたらいいのになあ、と。
トン、トン・・・野菜を切る音がする。
うつむき、手元を見たまま、零の紅い唇がかすかに動く。
「なに?」
視線がうっとうしいらしかった。
「あ・・・あはっ、なんか、フツーの、子供みたいだなあって。」
零の動きが止まり、聞こえるハズのない音がレイには確かに聞こえた。
カ ッ チ ー ン
やっちゃった。
これ絶対やっちゃった。
彼女は、嵐を覚悟した。
零は子ども扱いがキライだった。
今は見た目が子供でも、少々の力を使えば彼はいつでも以前の姿を再現できたし、生きてきた時間はもう記憶すらおぼろげなほど長いのだ。
気味が悪いくらい無表情に、そして自然に零は顔を上げ、レイと目を合わせて、包丁を動かした。
もう一方の手に、重なる位置で。
ブツッ。
わざと切ったようにしか、見えなかった。
そして、言う。
「ぁあー・・・切れちゃった。ちょうどいい、俺がフツーの子供でも、まして人間でもないってもう一度確認させてやろう、な?もう何度目かなー。なー?」
感情も抑揚もない、フラットなその声が近づく。
「ひぃっ・・・ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさーい!!」
つぅっ、と半泣きのレイの目の前に突き出された白い指。
皮膚に、裂け目がある。
レイの目がその傷口を探りあてる瞬間を待っていたように、光をうかべた赤黒い血が、何かの果実のように丸く盛り上がってくる。
「あーいたーいっいたいいたい!バンソコ!バンソコー!」
本人よりも痛がりながら(というより零が痛がる様子は皆無だった)、レイは部屋に絆創膏をとりに戻ろうとする。
「待て。」
静かに強く、零の声がそれをとめる。
「あ、そか、先に消毒?」
その言葉を受けて、にこり、と妙に可愛らしく零が笑い、レイはなんとなくゾクリと背筋に冷たさを感じる。
たーくーらーんーでーるー!!
心は悲鳴、けれど、まだそれを声に出すレベルではない。
「ほら、たれちゃう。」
指先から、赤く丸い、つややかなしずくがこぼれていこうとする。
「あぁっ!」
たれちゃう、と言われて反射的にレイは手のひらでそれを受け止める、が。
「血ぃーーーーーー・・・」
キモチ悪い。
好きな相手のものだって、血は怖い。
しかも、相変わらず冷たいのがさらに異様。
かといって、あたたかい血も生々しくて不気味なわけだが。
「あー・・・ほらどんどん出ちゃう。どうしよう?」
さらに血の珠がふくれて出て来る指を突き出し、困っている様子もなく零がきいてくる。
血は怖いけど、ちょっとだけしか怖くないし、手当てしちゃえば大丈夫。
なんだ、今日のイヤがらせはこんなものか、まだ軽いや、と彼女は少しホッとした。
「とにかく、まず消毒してバンソコはっちゃお、零さん。」
血がついてしまった手がキモチ悪くて、なんだかむずむずするけど、とにかく彼の手当てをしてあげよう。
「なめろ。」
「はい?」
耳が、聞き取ることを拒否した。
「なーめーろ。」
「は?!」
脳が、理解を拒否した。
「お前のせいで切った。だからお前がなんとかしろ。責任ってやつだ、さぁなめろ。」
「絶対ヤ。むり。無理むりムリー!」
ちだよ?ちでしょ?れーさんなにかんがえてんのー?!
古いマンガじゃあるまいし、っていうかバンソコのが信用できる!
ケガはなめても治りませーん!
もう一度彼女が拒否しようとしたそのとき。
「ぁ・・・痛・・・」
小さくつぶやいた零が、わずかに眉をひそめ、そして続けた。
「痛い・・・から、キスして・・・ここに。」
わざとらしーく、悩ましげな表情で視線をからませてくる彼の、媚び媚びなそのセリフだけを聞くと、まるでいやらしい本みたいである。
ここ・・・って、だから、そこに、血が、山盛り・・・。
レイはくらくらしてきた。
考えが甘かった。
今日の罰ゲームは、たぶんこれなんだ。
血を見せることじゃない、飲ませること。
(続)