続き 2
「たっだいまあーっ!」
騒々しい元気なレイの帰宅、は何日ぶりだろう。
このテンション、メシはいらないなんて言うから、まあ予測はついてたが、やっぱり呑んでやがったか。
ああうっとうしい、と零が内心思っていると、後に予測しない声が続いた。
「返事くらいすればぁ?零くん。」
いつも優しくひびく、そのやわらかなハズの声は、今夜に限ってなんだかトゲトゲしく聞こえた。
「スズキ・・・?」
「じゃ、あがって好きなところに座ってください!」
レイが勝手に(彼女の部屋である)彼を招き入れている。
お茶いれますから、と上着をベッドに脱ぎ捨て(ちらかる原因)キッチンへ行く彼女と入れ替わりに、スズキが部屋に入って、零の隣に座る。
「おかえりくらい言えよ、零くん。」
「そんな契約はしていない。」
「よくそんな態度で一緒に暮らしてるよね。」
「あっちがそうしたがってる。」
零はどこまでもごう慢だった。
「あっちがあっちが、って好かれてると思ってふんぞり返ってると、泣かすよ?」
スズキはそんな零に微笑んだ。
「お茶どうぞ、お話、あたしもまぜてください。」
言いながら、レイがテーブルにお茶を置き、自分も座ろうとする。
楽しい話をしているようにはとても聞こえないが、彼女は鈍感だった。
「そうだね、って言うより、きみの話なんだ。」
素早く立ったスズキの右腕が、レイの腰に回り、左手が彼女の肩をつかんだ。
「わっ!」
驚いた声を出すレイと、スズキの素早い動きにとっさに対応できず、見ていることしかできない零。
おびえるでもなく、きょとんとしている(この状況ですらスズキは男として意識されないらしい)レイに、スズキの顔がおおいかぶさる。
ばさり、とスズキの長い金髪がなだれてきて、二人の顔を隠してしまう。
その内側の、二人の顔は今のところ接触していない。
ちょっとじっとしてて、別に何もしないから。
レイの頭の中に、スズキの声が直接聞こえ、数センチしか離れていない、ごく近い距離に、整ったパーツが人のよさそうな微笑を作り出している。
この状況にも、耳を通さずに聞こえてきた声にも驚いてしまい、怖くはないが、あまりのことにレイは固まっていた。
それはスズキにはとても都合がよかった。
「何のつもりだ?お前にそんなことできやしないだろう?」
零の声には何の変化もない。
その表情にも。
スズキの顔が、さらに近づいて、さすがに恥ずかしくなったレイはきゅっと目をとじる。
唇は、ミリ単位ギリギリで触れていない。
本当はレイなんかよりもずっと、緊張していて恥ずかしいスズキは、人外の魔物、”天使”であるくせに、零と違って意識しなければ出てしまう鼓動を消し、体温が上がり過ぎないようにコントロールし、顔の位置を決めてしまうと、目線は零のいるほうへ固定。
1、2、3、4、5秒経過。
こんなもんかな。
顔を離して、スズキは顔をおおっていた髪をかきあげる。
零に変化はない。
ハズしたかな、とスズキは内心がっかりしつつ、彼を見下ろす。
「大事にしないなら、僕が彼女を」
最後までいえなかった。
スズキとレイの間を裂くように、黒い一撃がやってきたから。
前触れも何もなかった。
これには、スズキも蒼ざめた。
零の表情にも、いまだ変化はなく、完全な不意打ち。
なんとかそれをかわしたものの、スズキに抱き寄せられていたレイはバランスをくずし、よろける。
そのフォローに回ったのも、スズキだった。
瞬間移動のように、一度消えてから急にレイの倒れようとする方向に現れ、キャッチする。
「っぶないな!何やってんだ零!」
「お前こそ何やってんだ?大事にするんだろ?腕くらい飛んでも守ってやれよ。」
零の口元は笑っていたが、瞳は完全に怒りをともしている。
腕が飛んでも、彼らにとって形あるカラダは仮のものなので、すぐににょきにょき生やすことが可能だ。
その気になれば何本でも。
前にレイと仲良くしている、というだけでつっかかってこられたことがあった。
だから、”好き”まで明確でないにしても、レイにちょっかいをかければ反応してくるだろう、とスズキは予測していたが、ここまで効果があるとは。
まるで、子供の恋愛のよう。
彼がそこまで簡単な精神構造の持ち主かどうかは、疑問だが。
とにかくこれは釣れたな、と見てスズキは攻めに行く。
「そぉーんなに悔しい?レイちゃんとられるのが。」
そう言った瞬間、スズキが光につつまれた。
大きな翼の、強い輝き。
それがふくれあがって、はじけるように四方八方に伸び、・・・長くのびた羽根の一本一本が互いに交差するように床につきささると、オリのような狭い空間を作り零をとじこめた。
「二度はくらわないよ。」
零の攻撃が来ると読んで、挑発とほぼ同時に彼の動きを封じたのだった。
「ちっ」
零の表情が、微笑からイラだちをふくんだものに変わった。
それまで抱きとめられたまま動向を見守っていた、(というより、なにが何だかわからずボンヤリしていた)レイが口を開く。
「ケンカはダメです!(零さんがケガしちゃったらヤだし)」
「レイちゃん・・・大丈夫、これはケンカじゃなくて僕の一方的なイジメだから。」
スズキがにっこり微笑んだ。
うへぇ。
刺激的な発言のわりに、その笑顔の優しさが、いつもと変わらないことが少し怖くて思わず黙るレイ。
「力が無いって、つらいよねえ?前ならこのくらいじゃキミを閉じ込めておくなんてできなかった。」
スズキは笑ったまま、目つきだけがレイを見ていたときとは変わって、鋭く零を射抜いていた。
「何がしたいんだ?」
零も負けずににらみ返す。
「ぁのあの、イジメも、ダメだと思うんですぅ・・・」
怒っているスズキなど、レイには今まで想像すらつかなかった。
けれど、今の彼がまさにそうだった。
なぜ怒っているのかはわからないけど、怖い。
ふだん優しい人が怒るとすっごく怖い。
それでも、零をいじめるなどとはやはり捨て置けない彼女だった。
おまけに、こんなことをしてスズキが帰った後、零が荒れ狂わないかも心配だ。
そんなレイを、安心させるようにもう一度微笑むと、スズキは彼女からそっと手を離し、しゃがみこんで零と目線を合わせる。
「ねえ、零くん、どうしてそんなに怒るのかな?」
本物の子供に話しかけているような口調。
顔が近づいて、声はささやくような低いものにかわる。
「さっき、どう思ったの?」
うっすらと、零の顔に朱が差す。
怒りだ。
とじこめられた光のオリの中で、零の黒い翼がふくらんでいく。
別の生き物がのた打ち回るように、すごい速さで翼が狭い空間を暴れまわった。
内側からオリを破壊しようとしているのだ。
それは、そのオリのなかに小さな黒い嵐が出現したようにも見えた。
「無−駄。落ち着けよ、零くん。」
しぼるように、オリをせばめていくスズキ。
最終的に、零は縛り上げられたような格好になった。
「スズキさあん・・・」
これじゃあんまりだ、と言いたげにレイが名前を呼ぶ。
スズキはレイのあらゆることに対して免疫がなかった。
もちろん、オネガイにも。
わずかに間を置いて、控えめなタメイキがもれる。
「わかったよ」
彼はそう言って、あっさりと翼をおさめ、かわりに素早く零のむなぐらをつかんで、少し早口にこう言った。
「無理にレイちゃんを好きになれとは言わない。けどあんまりイジめるようなら、次は悔しがらせるくらいじゃ済まさないぞ。」
それは、レイが聞いたことも無いような低い声。
怒る、イジめる、おどす・・・どれもレイがはじめてみるスズキの顔だった。
「・・・うるせえ。」
零はというと、ひるむ様子もなく、怒りをたたえた瞳でスズキをにらみ続けている。
まだまだ零の危機的状況は去っていない、と感じ、彼女は勇気を出した。
「スズキさんやめて、それじゃ零さんみたい!」
彼女は、とにかく早くこの状況をなんとかしたくて、言葉を選ぶということをしなかった。
名を呼ばれた二人がその言葉の意味をかみくだく、一瞬の空白があり。
『どぉーゆーいみ(だ)っ!』
レイを見る動きからセリフまで、美しいほどのシンクロぶりだった。
「ぁうっ、やっちゃった」
結果的に失言だったものの、それでもイジメを止めることには成功した。
「あれー、羽根が刺さったトコ、キズになってないやぁ。ね、零さん見てみて。」
天使の翼は、派手に暴れたハズなのに家具にも床にもキズ一つ付いていなかった。
「・・・」
零は、見向きもしない。
そんなことは、自身も翼を持つ彼には分かりきっていることだったし、今はレイと口をききたくなかった。
「ぅぅー・・・」
スズキが帰ったあと、レイがどんなに話しかけても、零は翌朝までいっさい口をきかず、彼女と目をあわせることすらなかった。
そんな彼が、夜中にこっそり寝ているレイの唇を”消毒”したことを、彼女は知らない。
・・・不幸にも。
真夜中の秘密は、彼の胸の中。
けれどそれは、独占欲でしかない。
それすらも彼は自覚できず、自分の中の独占欲以外の感情、育ちつつある小さな異物にも、気づいていなかった。
独占欲の、その理由。
零の中に増えていく、レイの場所。
それを、レイは知らない。
零も、知らない。
今は、まだ。