続き
本当に、やられた。
気づくと翔は、いつもの通りを走っていた。
知らないうちに、あの死霊の影響をうけたに違いなかった。
そうでなければ、本当に彼女を好きになってしまった、とか。
死んでいるのだと気づいた今、好きだとかそんな気持ちがあるわけない、とは思うが。
それに、何度かあっただけで、どんな人かもわからないのに本気で好きだなんて、考えられない。
外見だけでなく、内面を知ってはじめて、大切だと思える。
それが愛だと、翔は思う。
とにかく、あの桜の前だけ早く通り過ぎてしまおう。
◆
ところが、その視線はまるで実体を持っているように翔を突き刺してくる。
彼女が、悲しげな目で翔の姿を追う。
今の彼女にとって、唯一の話し相手は自分なのだろう、と翔は推測し、心の中で彼女に謝った。
ごめん、オレはそっちにはいけない。
◆
どんなに抵抗しても、いつのまにかあの道を通っていて、翔は自分が呼ばれているのだとわかった。
それが、生きている彼女だったらどんなにうれしいだろう。
頼むよ、やめてくれ。
願うように何度もそう思った。
思いながら、とにかく無視をつづけていたが、とうとうある日、自転車を止められた。
「ねえ!」
彼女の声とともに、一瞬、金縛りにあったように体が動かなくなり、オレは転倒した。
ザッ・・・ガシャァアンッ!
短く悲鳴が聞こえた気がした。
自分でやっておいて・・・?
体の痛みより先に、そんな疑問が頭をよぎる。
「ごめんねっ、ごめんなさい!あの、だい・・・じょうぶ?」
桜の木の下から動けないらしい彼女は、少し離れたそこからオレにそんなセリフをなげかけてくる。
痛いし、やったのアンタだろ?
オレは黙って彼女をにらむ。
どうせもう逃げられないし、正直ハラも立った。
転ばされたのもそうだし、生きてるみたいなフリしてだましたのもムカつく。
「ごめんなさい・・・また、お話、したかっただけなの。」
すまなそうにする顔も、やっぱり美人だった。
死んでいるとわかっても、やはり綺麗なものは綺麗なんだ。
どう見ても心から反省してくれている彼女を、結果的にオレはそれ以上責めることが出来なかった。
「あのね、ほら、見て?」
黙って立ちあがった俺に、彼女は自分自身も見上げながら、桜の木の枝を指した。
つぼみはすっかり大きくなり、いくつかの花がほころんでいた。
「咲き始めたの。きっと、すぐに満開になる・・・。」
うっとりと花を見上げる彼女の、花よりもはかなげな横顔に、オレはみとれていた。
「満開になったらね、きっと、おわかれ。」
「!」
何で、といいそうになった。
やはり彼女は桜の花の妖精なのだろうか、かぐや姫が満月の夜に行ってしまうように、満開の桜とともにあなたも行ってしまうのか。
いいや、そうではない。
彼女は死人で、ここにこうしているほうが不自然なんだ。
お別れ、つまり天国でも何でも、行くべきところにゆくというなら、それが正しいことなんだ。
「わたしとお話してくれたのは、あなただけ。心配してくれて、嬉しかった。だからあなたに、あなたにだけは知って欲しかったの。もうすぐ、わたしがいなくなること。だけど・・・ねぇ、満開のその夜には、絶対にここへ来ちゃダメ。約束してね?」
それでも、別れは唐突すぎて、オレは首をタテにもヨコにも振れなかった。
「もう行って。イヤじゃなかったら、また明日会いましょう?」
揺れる花のような笑顔。
きっと彼女にしかできない笑い方。
◆
咲き始めた桜は、あたたかな日和に勢いづいて、それこそすぐに満開になってしまいそうに見えた。
イヤじゃなかったら、また明日・・・
彼女の声が耳によみがえる。
今までに出会った女の人の中で、一番綺麗な、だけどもうこの世の人ではない彼女の声。
花のようなあの笑顔が、自分に害をなすとはとても思えない。
信じたい、と思う。
そのキモチの一方で、不安も、そしてわずかな恐怖もあった。
彼女は死人なのだから、オレを連れて行きたがっているかもしれない、と。
オレは、あれこれ理由をつけ、せめてその日は家から一歩も出ないことにした。
本当は、桜が散るまで家にとじこもっていたかったが、バイトはそう何日も休むわけにいかない。
人手が足りないのだ。
自分が何日も休んでは、店長や、幼なじみの鳴神鈴が困ることになる。
◆
元から予定となっていた休みをはさんで二日後、やはり仕事は長引き、また夜になってしまった。
なのに今夜は、いつもの道を通りたいとは思えない。
ということは、呼ばれていないということだ。
もしかしたら、あの桜が満開になったのだろうか。
ハッキリした理由はわからないけど、彼女はオレに来てほしくないらしかった。
満開になったらね、きっと、おわかれ。
ちゃんとさよならを言ってない。
あなたの名前もきいてない。
何かされるかもしれないと勝手に不安がって、会わないようにしたクセに、彼女が気になった。
呼ばれてないけど、オレ、行くよ。
◆
満開の桜が、かすかな風に揺れている。
彼女がいた。
誰か、知らない男と。
や そく、守って んだ?
彼女の声がきれぎれに聞こえる。
とてもじゃないけど近づいていけない雰囲気に、オレは離れたところで自転車を止める。
チハル、会いたかった、チハル!
男が彼女を呼ぶ。
彼女は、チハルというのか。
二人が抱き合い、彼女が問いかける。
「ねぇ、来てくれる?連れて行っても、いいの?」
男は、彼女を抱きしめたまま、力強く何度もうなずいた。
翔は、二人から目を離すことができない。
数秒間 抱き合った後、男の体から力が抜けて、くずおれる彼の重さに負けるかのように、彼女がすわりこんだ。
ちょうど、ひざ枕でもしているように見えた。
ゆっくりと、ひざの上の、ピクリとも動かなくなった男の髪を、彼女の白い手がなでる。
あれはきっと、彼女の大切な人なのだろう。
望んで連れて行かれたのだ、仕方ない。
満開になったら・・・つれていく。
そんな約束をしたのだろう。
そしてそれは彼女の望みでもあり、それが叶ったから今夜でいなくなってしまう、ということなのだろう。
すべてを見届け、翔は自分の入り込む余地などカケラもないと悟ると、自転車を出そうとした。
そのとき、男の髪をなでる動きからは想像もつかない機敏さで、彼女の首がこちらを向いた。
「来たの?!」
カッと見開かれた目は、翔の知っている彼女とは別人のようだった。
答えも、振り返りもせずに彼は全速力で家に向かった。
(続)