使い魔17 花影
どこへいくにもよく通る道があった。
毎日のように通るその道の途中に、古いマンションがある。
建物の前の敷地を少し広めにとって、住人たちが緑を楽しむためのスペースにしていた。
季節ごとにそれぞれの木々が見せる彩りは決して豪華とはいえないが、それでも道行く人の目を少しは楽しませてくれる。
たとえば今なら、もうすぐ桜が、咲き始める。
枯れてでもいるように見える枝には、よく見ると、固く、まだ小さくはあるが、ツボミが無数に顔を出している。
あと、どのくらいで咲くだろう。
御手洗翔は、自転車をとめて桜の木を見上げていた。
◆
よく通る道なのだから、当然帰りにもそこを通る。
つい先日、バイトが一人急にやめてしまい、そのしわ寄せの一部は翔にもきていた。
思った以上に遅い時間までがんばることになってしまった翔は、店長の作った、おいしいまかないゴハンを食べさせてもらってから、家路に着いた。
バイト代は延長した分きちんと加算されるし、ゴハンはおいしかったが、夜道を一人で帰らなくてはいけないコトだけが、翔はイヤだった。
なぜなら彼には、他の人の見えないものがみえるから。
見えるだけ、だから。
対抗手段をもっていないのならば、最初から見えないほうが気が楽というものだ。
幽霊のたぐいだろうと、もっとおかしな何かだろうと、こちらが気づいていなければ、また波長が合うことがなければ無害にひとしい。
翔は、死にたいとも思っていないし、悩みくらいはあっても、思いつめているわけではない。
だから、あとは見えさえしなければそういった意味でのキケンはないのだが、夜にはそういったものが昼間の時間よりもずっと増え、見えてしまう翔としては夜に一人で町をうろつきたくない。
今はバイト先の事情で仕方がないとはいえ、やはり気は重い。
なるべく、進行方向だけを見ることにして彼は自転車をこぐ。
前だけを見ようとしていても、やはり多少は周りの景色も目に入ってしまうもので、あの桜の木が目に入った。
正確には、その桜の下に立つ人間の姿が見えた。
はっきりとは見ていなくても、細いシルエットは女性のものだとわかる。
もう九時をまわろうという頃だったから、彼はとっさに、こんな時間に女の人が一人で外にいるなんて、と心配して、ついしっかりとその人を見てしまった。
もし幽霊か何かなら、これで”お持ち帰り”決定だ。
だが、どうやら若いその女の人は、見たところ体が透けているようなこともなく、存在感もあって、生きている人間に見えた。
だとしたら、ちょっと無用心だな、と翔は思ったが、全然知らない人だし、ヘタに声をかけて自分がチカン扱いされるのはゴメンだ。
自己責任、ってことで。
冷たいようだが、彼は誰にでも優しい男ではない。
桜の花のような、淡いピンク色が視界のすみを通り過ぎていく。
派手すぎない色合いの、その服装は、どちらかといえば翔にとって好ましかった。
襲われたりしないといいけど。
見捨てることに決めたくせに、やはり少し後ろ髪ひかれた。
◆
次の日はバイトが休みで、大学から直帰の彼は、駅から家までまだ明るい道を行く。
桜の木の下には、誰もいない。
警察があたりにいる様子も、騒ぎになってる様子もないし、きっと彼女は無事だっただろう。
見てみぬふりをしたことへの、小さなうしろめたさが消えて彼はホッとした。
翌日のバイトも、やはり長引いた。
わるいなー、翔。
軽く頭を下げてくる店長が、翔は嫌いではない。
裏表のない人で、下のものに優しかった。
将来働くなら、こんな人の下につきたいとも思う。
だが、その彼がウェイトレスたちを見る目は、あまりほめられたものではない。
スケベなのだ。
そこに関してだけは、反面教師とすることにしている。
あれさえなければなー、あと、考えなしに行動するところもちょっと直してほしいよな、ついでにいい年こいて金髪とかも・・・。
と、欠点だらけの店長のことを考えているうちに、またあの桜のあるマンションの前にさしかかる。
淡い色、まるで花のようなシルエット。
あれ、おとといと同じ人だろうか。
自然に目がそちらに吸い寄せられた。
速度を落とすと、目が合う。
キキィッ!
思わずブレーキをかけた。
金縛りのように、前を見れなくなってしまったから。
目を疑うくらい、綺麗なひとだった。
優しげな眉をして、みずみずしい瞳に、上品な鼻筋、こぢんまりとした唇は、はかなげで、控えめで。
もしも彼女が和服なんかを着て、そしてこの桜が満開だったら、まちがいなく桜の花の化身に見えただろう。
急に目の前に自転車をとめた彼を、彼女はふしぎそうに見ている。
知らない人にじっと見つめられたら、誰だって不審に思うだろう。
なにか、今立ち止まってもおかしくないことを言わなくてはいけない、と彼は考えた。
「あの、もう夜ですよ。一人で、あぶない、と思いますよ?」
彼女は答えずに、笑った。
桜の花が、風にふるふると揺れるように。
あまりに綺麗で、見とれそうになる。
「早く帰ったほうがいいですよ!じゃっ!」
立ち去るタイミングがつかめなくなるまえに、それだけ言い捨てて、翔は振り切るように自転車を走らせた。
次の日も、彼女はいた。
翔の目に彼女が映ったときには、彼女はもうこちらを見ていた。
昨日すでに声をかけているせいか、なんとなく今日は気安く話しかけられる気がして、自転車を止める。
「あ、こんばんは。」
落ち着いて見ても、やはり彼女は綺麗だった。
「こんばんは。」
話しかけておきながら、妖精のような彼女が普通に話すことに、翔は戸惑う。
彼女が笑う。
自分は今、どんな顔をしているだろう。
店長みたいに、いやらしい顔でニヤニヤしていたりするんだろうか。
もうすこしここに居たい気もするけど、ヘンな顔は見せたくない。
「早く帰ってくださいね!それじゃ!」
急いで前に向き直り、勢いよく自転車を出した。
背中に、彼女の視線を感じる気がした。
次の日も、彼女はずっと遠くから翔を見つけていた。
近づくにつれ、彼女がどんな服を着ているかまでハッキリ見えてくる。
だが、彼女の前まで来ても翔は自転車を止めなかった。
なぜなら彼女は、昨日と同じ服を着ていた。
ハッキリとは覚えていないが、たぶん初めてあったときから服装は何一つ変わっていない。
やられた、と彼は思う。
あれは、死人だったのだ。
毎日同じ場所にいるのも、夜しかいないのもおかしかった。
けれど、あまりに姿がはっきりとしすぎていた。
そして、あまりにも綺麗すぎた。
疑うのは難しかった。
けれど、毎日服が変わらないのは不自然すぎる。
着たままの服が、汚れていく様子もない。
あの人は、死んでいる。
そして、きっとそれに気づいていない。
なんて悲しいことだろう、好きになりかけていたのに。
もう二度と、声をかけたり立ち止まったりはできないな。
・・・なんて、できそうもないから、明日から他の道を通ろう。
(続)