続き 6
むかむかした表情を隠そうともしていない、零。
シロは、翼をかわしてレイから離れたようだった。
突き刺した翼にカラダを引き寄せるような動きで、レイとシロの間へ零が入る。
「非常に惜しいな、ニセモノ。」
ニセモノ、というよりは、自分が失った力の一部。
以前現れた影と似たようなものだが、あれよりも大きい力の集まりがシロだった。
力が強い分、意思も知性もそなわっていて、余計始末が悪い。
「助ける契約をしていたのか?!バカなことを!」
「うるせぇっ成り行きだバカ野郎!」
確かに我ながらバカな約束をしたとは零も思っていたから、痛いところを突かれ感情的になった。
結果、バカにバカで返すという残念なやりとりになってしまったが、お互いにそれを気にしている場合ではない。
「止めるな、お前も自由になれるんだぞ!?」
シロの言葉に、さらに零は怒りをあらわにする。
「ハッ!そうして不安要素を取り除いてから俺を食うつもりだったんだろうが。違うか?あぁ?!だがなぁ、やるなら恐怖なんか感じさせずに始末しろ!デキソコナイが!!」
「自分に邪魔されるとは・・・計算外だ!」
「自分?うぬぼれるなよ、ニセモノのデキソコナイ。」
シロが零を食ったとしても、シロの中の零が命令に反応してしまったのでは、この先レイが寿命を迎えるまで人間の召使いとして過ごすハメになる。
シロと零の力の割合からすれば、十分考えられる事態だった。
その時間は、悪魔にとっては決して長すぎる時間ではないが、それでもガマンなど苦痛でしかない。
デキソコナイでも、自分の一部であるシロの考えくらい、”本体”の零にはカンタンに予想できた。
だが、シロが無駄に恐怖を与えたせいで、レイを守る約束をしてしまっていた零は、彼女の求めに応じ、助けにくるハメになってしまったのだ。
その手際の悪さが腹立たしくて仕方がない零が、シロをののしっている、ちょうどその時。
自分の後ろで、レイがなにかつぶやいたのが、かすかに零の耳に入った。
「じ、ゆぅ、・・・に。れ、さん・・・ご、め・・ね」
気をとられ、わずかに振り返ると、視界の端にレイの瞳がキラキラと光をたたえているのが映る。
次の瞬間、空気がザッと動き、零の目の前に、シロの繰り出した黒い翼の一撃。
正面から振り下ろされた、自分とそっくりな伸縮自在、骨格という制限を持たない、刃そのものと化した黒い翼を、小さな零の腕がギリギリでうけとめていた。
止めたとはいえ、シロの翼が食い込んだ場所からは、血の形をとって彼の力が流れ出す。
したたり落ちたそれは、乾く前に黒いもやに変わって宙に消えていく。
レイのつぶやきに気をとられ、隙ができていた。
仕留められる、と思ったのだろう、シロの一撃は重く、威力も十分あったが、そのぶん次の動作を考慮に入れていなかった。
それで、おしまいだった。
攻撃を受け止められたとほぼ同時に、シロは真っ二つになり、次の瞬間四つになる。
軽やかに動く零の翼が、一秒とかけずにそれをこなしていた。
まるで人間のように、切断面からは勢いよく赤い噴水があがる。
それは、斬った零には予測できる光景だったから、片が付いた瞬間、レイの視界をふさぐようにして、以前のような大きな、大人の姿に”変身”した。
こんなスプラッタ、レイにみせたらどんなけたたましい悲鳴があがるか・・・。
そんな零のしっかり計算された対処のおかげで、レイからは黒い何かが、目の前をバサバサとひらめいたところしか見えていなかった。
そして、現在彼女に見えているのは。
闇だ。
視界ゼロ。
おまけに、なぜか身動きもとれない。
シロの目を見たらなんだかボーっとして、いろいろあったようだが、ぼんやりとしか思い出せず、記憶はあいまい。
目が覚めたように意識がハッキリしたと思ったら、今度は動けないし見えない。
いったいどういうことだろう。
考えながら、覚えのある良い香りが鼻腔を満たしていることに気づく。
これは、さっきもかいだような気が。
やっと思い出した、その香りの持ち主
「れ、零さん!」
の腕に、抱かれていた。
こうして、密着しなければわからないくらいの、淡い、花のような香り。
親しく付き合えているわけではないが、同じ狭い部屋で暮らし、同じベッドで寝ているレイは、彼がまとうこの香りを覚えている。
「よしよーし、いいコだ。何にも見てないよな?だから悲鳴は」
優しげなセリフを棒読みするように垂れ流して、零はレイをなだめ、悲鳴はあげるな、と続けようとしてさえぎられた。
「ぃやーーーーーー!」
悲鳴で。
「ぅえっ?!」
不意打ちの大音量に、思わず零も彼らしくないおかしな声を漏らす。
彼のことが大好き、なはずのレイが、その腕の中にいるのに悲鳴をあげている。
これは、主人の心を読めない使い魔にとっては理解できない。
とりあえず、放すか?
放すとしても、あの噴水を見られたら同じことだ、と零は後方確認をする。
シロだったものの残骸は、とうに形をなくして、今まさに空気にとけていこうとしていた。
もうレイが見ても大丈夫だと判断すると、零は彼女を放し、子供の姿に戻る。
同時に、空気になろうとする”シロ”を構成していた力の集まりを吸い込んだ。
暴力的にそのかたちを壊されてしまった”シロ”の力は、大半が吸収される前にその存在をほどいてしまい、たいして戻ってはこない。
縮んだ体は、そのままだった。
変化する様子のない自分の体を見て、ほんの少し零の表情が曇った。
それからなんとなく、放してやったレイを確認する。
彼女はうつむいて、自分の腕を抱き、肩を震わせている。
街灯に反射してキラキラと、顔のあたりから光がおちる。
「レイ・・・?」
近寄ると、うつむいたままの彼女があとずさった。
かすかな痛みを、零は感じる。
腕以外には傷など、つけられなかったハズだ。
そう、傷の痛みなんかじゃない。
たぶんこれは、レイが感じている痛み。
零は、そう分析する。
時々、レイの気持ちが意識しなくても自分に届くような気がしていた。
いつもではないが、その気持ちを共有してしまうようだ、と。
だから、これは彼女の痛み。
彼女の心。
けれど、あんなにも泣いているなら、きっと本当はもっと痛い。
自分に届いているのは彼女の感情の一部だけだろう、と思う。
悲しみは彼の糧になる。
けれど、今のこの状態で彼女の悲しみを食ったとしても、とてもそれを楽しめそうにはなかった。
食った感情を体験するのはいつものことだが、それと同時に訪れる快感が、今回は無い、気がする。
声も出さずに泣いている彼女。
近寄ることも許してくれない。
今までのことを考えれば、いいかげん嫌われたとしても、不思議じゃなかった。
なら、うまくいけば、離れられる。
離れる、と考えた瞬間、自分のなかの何かが揺らぐような、不自然な感じがした。
淡い、不安にも似た気持ち。
なぜだろう、自分はそれを望んでいたハズなのに。
無意識に、この主人の叶わなかった想い、その報復でも恐れているのだろうか。
考えられなくはない。
いくらレイが何も考えていなくても、恋心は人を狂わせる。
その想いが深いほど、危険度は増し、報復の可能性も高まるはずだ。
冷たくしすぎただろうか、そうだ、考えてみればコイツは主人で、しようと思えば俺の行動を支配できる。
もう少し、媚びておいてもよかったか、と後悔する。
悪魔らしく、主人を魅了して意のままに操ることだってできたハズなのに。
なぜ、そうしなかったのだろう。
初めてあった日から、目が合ったときにはもうコイツは堕ちていたのに。
少し考え、それから、やめる。
悩むことでもない、気に入らないから媚びるのも嫌だった。
ただ、それだけだ。
自分なりの結論を出してしまうと、それに疑問を持つこともせず彼は、先に部屋へ戻った。
泣き続ける彼女に言葉もかけずに。
それから、そこで白い幽霊を見たものはいない。