続き 3
迎えに来てください、と頼んだら、それじゃタイムサービスに間に合わないから無理、と却下されてしまった。
ふだん安売り品のチラシに影響されて、レイがあれこれと買い物に注文をつけてくるのを零は逆手に取り、言い逃れに利用したのだった。
なぜか、レイはそれで引き下がった。
自分の身の安全より安売りが大事なのか・・・。
零は、呆れつつ、驚きつつそう言った。
実のところレイは逆に、あたしよりタイムサービスが大事なんだ、と悲しくなって身を引いたのだ。
見事なまでのすれ違いぶり。
安売りよりも、少々の危険よりもレイは、零の気持ちのほうが気になった。
アメとムチ。
ほんの少しのアメでは役に立たないくらい、ムチが多く、そして厳しすぎるのだ。
そうして彼女は、暗い道をとぼとぼと歩く。
翔がいたなら送ってもらうのだが、彼は今日休みだ。
もうすぐ、あのちかんのいた場所。
回り道、しようかな。
すごく遠くなるけど、怖いし。
方向転換をしようとすると、何かにぶつかった。
「わっ」
それは上から下まで、全てを白系でまとめた服に身をつつんだ男だった。
あたりの暗さの中その服装は目立ち、まるで全身がうっすらと光っているように見えた。
「ふふ・・・どうしたの?」
やさしげな声は、聞き覚えがある。
昨日のちかんだ。
けれど、もっと前から知ってるような。
視線を上げていくと、その人がとんでもない長身だということに気づく。
細長い、としか言いようのない体の上に乗っている顔は、零そっくりだった。
まるで同じ顔に、レイは驚きすぎて言葉さえでてこない。
そういえば、その体型も縮む前の零そのもの。
ただ、絶対に零が身につけない白の服を着ている上に、表情はやわらかく、髪も肩につくかつかないかくらいの長さで感じよくまとまった、特に目立つことのないヘアスタイル。
「君のうち、あっちのほうなんじゃない?」
答えられずにいるレイになおも話しかけるその声は、口調こそ似ても似つかないほど爽やかなものの、やはり以前の零そのものの声だった。
「・・・ぁい。」
はい、といいそこねたおかしなレイの返事に、白い彼が笑った。
「送っていくよ。”ちかん”が出るといけないから。」
背中に彼の手が回されて、レイは自分がちかんだと思っていた相手を、測るように見つめる。
「もしかして、オレが、”ちかん”に見えるのかな?」
意外そうに眉を持ち上げつつ、彼は冗談っぽくそう言った。
それから、少しかがんで彼女と視線の高さを合わせると、ゆっくりと顔を近づけてくる。
長いまつげをした綺麗な目を細め、企むように笑う。
そんな表情をすると、零自身にしか見えない。
「それとも、そうだったらいいな、とか?」
零が目の前で、彼女を誘惑している。
鼓動はもはや連続音に聞こえるほど速く、頭の中は真っ白で、熱くて、倒れてしまいそうだった。
至近距離に見える、紫がかった灰色の不思議な瞳。
その目に少しかかる黒髪は、光があたると薄く紫に光る。
きめの細かい白い肌、黒ずんで見えるほど深い紅色をした唇。
知らない人のフリしてるけど、絶対これは零さんだ。
そうだ、彼以外にこんな特殊な容姿をした人間が、いるわけない。
ということは。
「また、何かのいたずらですか?」
「・・・されたい?」
必死で搾り出した追求を、サラリといやらしくかわされる。
意識が、いやカラダごと、自分がどこかに飛んでいってしまいそうな気がした。
これ以上何か言おうにも、倒れてしまいそうで、ただ立っているのが精一杯だ。
数秒、黙ったまま見つめあったあと、楽しそうに、ふふ、と声を出して笑い、彼はかがめていた体を伸ばした。
「冗談、てことにしておいてあげようかな。・・・じゃ、帰ろうか?いつまでもこんなところでおしゃべりしてたいわけじゃないだろ?」
全力で動き続けていた心臓が、もうそろそろ本当に過労で力尽きてしまいそうだったレイは、もちろんそれに賛成だった。
家まで歩く間、本当に零じゃないのか、あなたは誰なのか、と訊いても彼は笑うばかりで、レイの住んでいるアパートのすぐ近くまでくると、またね、と言い残し去っていった。
あれは、零ではないのだろうか。
何のたくらみもなく、優しく微笑みかけてくれる零。
これ自体がイタズラでないとすれば、ありえない。
明るい口調、やわらかいまなざし、圧迫感を与えない服装と髪型。
ただ家まで送ってくれて、何の危害も加えずに立ち去った。
けれど、あの顔、あの声。
「ぜ・・・ったい、零さんだよ。」
部屋に戻ると、そこには小さな状態の零が居て、”おかえり”もなければ視線ひとつもよこさない、いつも通りの無愛想さでずっとそこに居たような顔をしていた。
ただ、後ろ手にドアを閉めたレイがつぶやいた己の名には、反応してきた。
「なんだ?」
言いながらこちらを見る彼と、目が合う。
ついさっきまでの優しい零を思い出して、目が合うだけで照れてしまった。
赤くなっているかもしれない顔を、隠すように目をそらしそそくさと、無言で零が背もたれがわりにしているベッドの上へ、彼と反対をむいて座る。
壁とにらめっこだ。
彼女から視線を動かさない零が、その動きを目で追ってくる。
恥ずかしくて、彼の顔が見れない。
でもこうしていれば、のぞきこまれでもしないかぎり、顔を見ることはないだろう。
「俺がなんなんだ?」
「ひゃっ!」
のぞきこまれた。
真横から彼女の前へ突き出された、子供の零の顔。
零さん、というよりは”なゆくん”と呼びたくなる小さな顔。
しかも、なんだかまた幼くなったような。
やっぱり照れくさいが、それは、誘惑するように微笑んできた白い服の零ほどには、彼女を焦らせなかった。
「ぁ、う、っと、なんでもないです」
明らかに何かある態度。
それはまるで、構って欲しくて思わせぶりにしているようにも見えた。
ばかばかしくなった零は、それ以上追求するのをやめることにした。
もしもレイが主でなければ、人の心を読める”悪魔”の零はこんな誤解をせずにすんだ。
自分のニセモノが出たことに、早い段階で気づくことが出来たのだ。
だが、主であるレイには心を読むことはおろか、コントロール下に置こうとするような力は一切きかなかったため、それが彼女に近づくことを、零は止めることが出来なかった。
(続)