続き
その幽霊は、どうやら遅い時間にならないと出ないのか、それともただのウワサなのか、レイの前には現れなかった。
零に話すと、幽霊もお前がウザいんだろ、と意地悪そうに唇の端だけで笑った。
一方、次の日それを聞いた翔は、よかったじゃん、と、いつもの気弱そうな笑顔を見せ、レイも笑顔で答えた。
意地悪だと思ったけど、やっぱり零さんよりはぜんぜん翔くんのが優しい、とレイは思った。
そう、零はいつだって優しくない。
時折、優しいような優しくないような、なんだかわかりづらい態度をとることがあって、レイはそこにすがるようにして零への想いをつないでいる。
きっと本当は、少しくらいの優しさもあるんだと。
ただ、少ないだけなのだ、と。
少ないというだけで、じゅうぶん嫌な奴の条件は満たしている感じなのだが、(レイにとって)綺麗な零さんが少し優しくしてくれる、というのはそれだけで幸せなことだった。
それを実感できたことはあまりないが。
綺麗なだけなら、この翔でもじゅうぶんだった。
ただ、影とでも言おうか、どこか悲しそうな瞳も、理由のわからない虚無感も彼にはない。
だから、彼女は零のそばにいたかった。
ただ自分だけが優しくされるのではなく、その悲しみを少しでも癒せたら、虚無感をぬぐいされたら。
そして、彼に幸せになってほしかった。
できれば、自分と一緒に。
けれど、それはいまのところとても遠い道のりに思えた。
小さくなって時々は、笑顔も見せるようになった零。
だが彼は、気づくと無表情で何も感じていないような目をしている。
吸い込まれてしまいそうな無が、そこにある。
そして、このところまた時折見せるようになった、どこか悲しげなあの目つき。
どちらも、レイにはその理由すらわからない。
うっすらと、見当はつく気がしているが、それが正解なのか、正解とは程遠いのか。
訊いてしまって、もしも間違いならば、その答えを聞く機会は永遠にめぐってこない気がして、確かめられないのだ。
ずっとそばにいるのに、誰よりも近くにいるはずなのに、自分は何もわかってあげられない、何もしてあげられない。
そんな思いに、レイの笑顔が消され。
「レイさん?」
気遣うように翔が自分の名を呼んだのを聞いて、レイは我に帰る。
「あ、え?なんだっけ?」
「・・・零って人のこと?」
一緒に暮らし始めた当初、零を人間だと思っていたレイは、片思いなんだけど、と周りに、とうぜん翔にも彼のことを話していた。
だが、零がその姿を変えてからは、レイがうまく説明できなかったせいもあり、彼はいなくなってしまったことになっていた。
家出人扱いである。
「忘れちゃいなよ、帰ってこない人なんか。あのスズキって外人なんかいいんじゃない?優しそうで。」
翔は本気だった。
零という、冷たい彼氏(片思いでも、まわりからすれば好きで一緒に住んでいたのだから、彼氏も同然だ)のことは聞いていたが、彼も含めてレイの周囲全体が、その男はやめたほうがいいという意見だった。
そんな零とは対照的に、スズキは評判がよかった。
明るく、優しそうで、見た目もいい。
彼が通うようになってから女性客が増えたくらいで、ここのウェイトレスにも彼のファンがいる。
おまけに、二人が仲良く話す様子はみんなが知っていて、誰が見てもスズキはレイに気がある。
かといって下心があるように見えるとか、口説いているというわけではなく、ただ、とても幸せそうなのだ。
見ているほうまで心がなごんでくるほどに、幸せそうなのだ。
あるウェイトレスなどは、いらないんだったらあたしにくれればいいのに、とまでのたまった。
だから、翔は本気だった。
スズキにならレイを安心してまかせられると思っていた。
「スズキさんはー・・・」
ギクリとしてレイは言いよどんだ。
すでに、振ってしまっている。
が、正直にそう話すのはさすがに彼に悪い、と思い言葉を選ぶ。
「もったいないって、あたしじゃ!」
「そんなことないよ、レイさん可愛いし、優しいし!」
むしろスズキ以外の相手など納得できない、といわんばかりの勢い。
「いーの!翔くんには関係ないのっ!スズキさんとは友達でいたいんだもん!」
「もったいないなー、絶対うまくいくのに。似合ってるのに。」
だいたいいつも、レイさんは変なのばっかり好きになるんだ・・・。
ぶつぶつと、翔は不平をつぶやいた。
翔がもったいないと思っても、スズキがどんなに彼女を愛しても、今のレイは零以外はありえないと思っていた。
その恐怖の瞬間は、忘れた頃にやってきた。
「っ、ひぃっ・・・」
吸い込んだ息でのどが鳴ってしまったような、声になりきっていない悲鳴。
脚の感覚がなくなったような気がして、気がつくとレイは道路にペタリとすわりこんでしまっていた。
こういうのを、腰が抜けるというんだろうか。
暗い道に、ぼんやりと光るように立つ白い影を、見てしまったのだ。
その人影は振り返るそぶりをし、あと少しで顔がみえるという瞬間に消えてしまった。
もしあれが、完全に振り返っていたら自分はどうなっていたんだろう。
目の辺りが、少し光っていたような気がした・・・
「無視すりゃいいだろ。」
家に帰るなり泣きついてきたレイを無表情で押しのけながら(怖がる感情はもちろんいただきつつ)、零は面倒くさそうに言う。
子供の姿になってからの零は、時折笑顔も見せるようになっていた。
けれど、徐々に力を取り戻し、見た目が成長するにつれ、中身も以前の零に近づくのか、決して多くはないその笑顔は、フェイドアウトするようにじわじわと、それでも確実に減っていった。
・・・やさしくない・・・。
怯えているところに冷たいセリフをなげかけられ、改めて零の態度の悪さを実感する。
少なからず落ち込みながらも、レイは反論をこころみた。
「でも、零さん・・・助けてくれるって・・・いってた。」
「今はお前が勝手に怖がってるだけだろう。」
即座に却下される。
「ぅっく、ふぇ、えええぇん」
本格的に泣き出したレイをなぐさめもせず、かなりの音量でわめく彼女を放置したまま、顔色ひとつかえずに零はテレビを見だした。
本当のところ、零はテレビっ子ではあったが、そうそういつも興味のある内容が放送されているわけもなく、レイを無視するためのアイテムとして便利に活用しているところがある。
今のところ、それはレイにバレていない。
レイの方はその零の態度に、なんて冷たいんだろう、こんなに怖いのに、と悲しくなった。
そう思うと、いままでの報われない日々が一気によみがえってくる。
「れぃさんはあ、うっ、あたしが死んじゃっても、ひっく・・・ぅっく、いいんですかあ?」
「いい。」
ヤケになってした質問に、早すぎる答え。
「うわあああああああああん!知ってましたあ!ばかー!」
楽観的で、やや鈍感な彼女だったが、さすがに実のところ薄々そんなふうに思われてるんじゃないか、とも思っていたのだ。
いままでは、そこを考えないようにしてきただけだった。
でも、彼女にだってガマンの限界がある。
無理はしていないつもりだった。
零のそばにいたくて、それが許されているのだから、それで十分なはずだった。
実際は無理だった。
少しは好きになってほしかったのだ。
たまにでいいから、ちゃんと優しくしてほしかった。
なのに、それはかなわず、それでも零を追い出すことなど考えられなくて。
そんな考え方はややM思考に見えるが、彼女は痛いのも苦しいのも好きではない。
優しくしてほしいのに、そうしてくれないから辛いのだ。
ただ、その辛さを零にぶつけることができないだけ。
「家出します!追いかけないでください!」
ぼろぼろ涙をこぼし、しゃくりあげながら、キッと零をみてそれだけ一気に言うとレイはバタバタと騒々しく家を出た。
どうせすぐに帰ってくるつもりではいたが、とにかくいまは零の顔を見ていたくなかった。
(続)