続き 3
チャラ、ガチャ、カチ、ガチャガチャ。
ドアが開き、魔物たちの主人が帰ってくる、と言うとまるで魔王の帰還といったイメージだが、実際魔物の一種であろう、あのケモノはレイによくなついていたし、悪魔である零は使い魔でレイに使役される立場。
この部屋のなかでなら、彼女は確かに魔王様なのだった。
その魔王の帰還は、いつもより少し遅かった。
「ただいまあー、ってコラ!」
元気な声を出したかと思うと、すぐに声をひそめてケモノに話しかける。
「顔出しちゃダメでしょチャーリー!」
叱るのに大きな声を出さないのは、この物件がペット不可だからだ。
奥の部屋から、その抑えた声をききつける地獄耳、というか、悪魔の耳。
聞きなれない呼称は、たぶんあのケモノの名前のつもりだろう。
つい、と顔を出すとレイに確認する。
「・・・飼うつもりか?」
冗談ではない。
大事にそだててさらに大きくなってから襲いかかられたのではたまらない。
始末するなら手はかからないほうが良いし、何より”チャーリー”を構成するかなりの部分は、実は元々零のものだった力なのである。
”チャーリー”が健在な限り、その力が零に戻ることはない。
「ハイ!もうゴハンとかかってきちゃいましたし!」
今日遅かったのはそのせいらしく、室内へ入ってくる彼女がさげている袋にはドッグフードとエサ皿が入っているのが見えた。
何を言っても昨日のくりかえしになるだけだ、ここから先は自己責任、そう思った零は全てを割り切ることにして放り出した。
チャーリーが持つ分の力は惜しいが、なくては生きていけないというほどでもない。
ただし、自分の意見を無視した主には、言っておくことがあった。
「レイ、俺はたしかにお前を守る約束をしたが、”ソレ”が俺の手に余るほどデカくなったら話は別だ。覚えておけ。」
以前、話の成り行きで零は、レイを守るようなことを言ってしまった。
当然、彼女は喜んでそれを望んだ。
零はその場しのぎに返事をぼかしたものの、それが命令として生きていることは、ほぼまちがいなかった。
が、相手が零の力を超えているようなら、守るといっても限界があり、不可能な内容であれば、命令自体が成立しない。
実行できない命令など、無効だ。
あとでせいぜい後悔すればいいのだ、うまくいけば、これでこの女から自由になれる。
黙って守られていればいいものを、俺の意見を無視して、自分で自分の首を絞めてやがる。
その愚かさを、どうせコイツは死んでも気づけないだろう。
少々の力を手に入れ、今ではレイから無理に恐怖をしぼり取ることも、この部屋に隠れることもあまり必要としなくなった零は、彼女に最後通告をし、ついでに別れも告げたつもりになっていた。
彼の中では、もうレイの死は決定事項だった。
俺なら助けてやれたのに、その俺の言うことがきけないのなら、死んでしまえばいい。
妙に、イライラしていた。
そんな勝手な零の思惑など知るはずも無いレイのほうは、ほぼ犬にしか見えないチャーリーに大げさな反応をする彼がわからず、軽く笑って流した。
チャーリーにヤキモチでもやいているんだと思っているのが、態度から感じ取れる。
零は相手をする気にもならず、放っておいた。
そもそも彼にとってレイはなんの価値も無く、おまけに今回は反抗的な態度まで取られて、少々愛想をつかしていたのだ。
こういうとき、彼女の笑顔は不快に感じられた。
翌朝、レイが目を覚ますとそこは床の上だった。
自分はこんなに寝相が悪かっただろうか、と上体を起こすと、ずっと自分をにらみつけていたらしい、不機嫌な顔の零と目があった。
「あ・・・れぃ、さん、おはよ、ぅゴザイマス。」
あまり表情を動かさない彼が、ここまでハッキリ不機嫌さを出しているのは正直恐ろしく、朝のあいさつが不自然に敬語化する。
「・・・」
無言で零はベッドの方へあごをしゃくって見せた。
うながされるまま見ると、そこには茶色い小山があった。
「チャー・・・リー?」
ベッドいっぱいに広がった山がぐらぐらと揺れ、人間のそれより大きな顔がニョキリと突き出ると、レイの腕よりも長いくびを伸ばしてこちらを向いた。
「シャシャァーッ!」
元気なお返事は、やはり化け物じみていた。
けれど、その大きな顔はゆっくりと目を細めると、少し引き気味のレイにそぅっと頬をよせてくるのだった。
「あ・・・、あは!よしよし!」
驚きはしたものの、甘えてこられて可愛いのは変わらず、気を取り直してチャーリーをなでてやるレイ。
「よしじゃ・・・ないだろう。」
耳のそばで、押し殺した声が聞こえた。
小さな零がレイの肩越しに、大きかったときのそれを思わせるほどに冷たく、怒りを通り越し、何も感じなくなってしまったような目で彼女を凝視していた。
まるっきりホラー映画のワンシーンだった。
「ぃやあっ!」
小さな可愛い零でも、その怒りは十分にレイをおびえさせるほど激しく、おまけにさすがは悪魔、忍び寄って耳元でささやくその行動が不気味すぎて、悲鳴があがる。
が、次の瞬間、おどかした側の零も声を上げることになった。
「っぐぁ!」
それは、契約違反のペナルティではなく、チャーリーにがっつり肩をかじられたせいだった。
レイの悲鳴に、主人を守ろうとしたようだった。
零の肩、チャーリーのキバが刺さっているあたりから血が流れ始める。
もっとも、そう見えるだけで、本当はそれは血ではない。
彼を構成しているエネルギーが、今の彼の姿にふさわしい形をとって抜け出しているのだ。
噛み付かれたのを認識した瞬間、彼は肩のあたりの感覚をすばやく遮断する。
彼は本来、実体のない思念のかたまりのような生き物である。
体で感じる、人間と同じ感覚は、感じようと思うか思わないかでコントロールできた。
「・・・」
ただし、それはダメージを受けないということではない。
零は噛み付くチャーリーの顔を、両手でつかんだ。
「シャー・・・ぐるるる・・・」
チャーリーが噛み付いたまま低くうなる。
その間にも、流れ出した血が”血”という形をほどき、行き場のないエネルギーとなって、空気中へと黒い煙のように溶けて消えていく。
零の背に、瞬時に黒く大きな翼が現れ、何の感情もない言葉が吐き出された。
「レイ、片付けるぞ。」
レイは、震えながら、ケイレンするように小刻みに首を振った。
「・・・だめっ・・・ダメ!チャーリー!おいで!」
噛み付いたまま、チャーリーがクルリと目玉を動かしてレイを見る。
その間にも零の傷口からは血が流れおちては、やがて煙に変わり宙へ消えていく。
「チャーリー!お願い!やめて!殺されちゃう!」
悲鳴のようなレイの声にも、チャーリーは零を放すことなく、小さくうなるだけだ。
「”これ”は危険だ、そうだろう?」
一方、静かにそう言った零は、すでに殺したくてたまらないといった様子で、平静に聞こえる声と無表情さは激しい怒りを押し殺しているようにしか見えない。
「チャーリー!」
もう一度レイが呼ぶと、チャーリーは名残惜しそうに零からキバを抜き、やがてゆっくりと、謝ろうとするようにレイに顔をすりよせた。
「チャーリー、わかったらいいんだよ、ごめんね、びっくりしたよね。」
大きな怪物の首を優しくなでながら、レイはなだめるようにそう言った。
己の血で肩を濡らした零を放置して。
キバさえぬければ、傷口は瞬時に自力でふさぐことができたし、痛みは感覚を殺していたから感じない。
なんでもない、が、レイはそういった零の体の仕組みなど知らないはずで、だとすればここは彼を心配するべきだ。
それが、彼女ときたら零に怪我を負わせたチャーリーのほうをいたわっている。
「・・・そうだ、おなかすいたよね?朝ごはんたべようねー。」
零の冷たい視線も気にならないようで、チャーリーの餌をとりに台所へ。
チャーリーに餌をやって、がふがふと食う様子をしばし眺めてから、今気づいたように零の方を向いた。
「あ!零さん平気ですか?!」
平気だと告げるかわりに、零は彼女に近寄ると、みりみり言うまでその柔らかな頬をつねりあげた。
「あいたた零さんいたーい!」
「キシャー!」
がぶり
「うぉお!」
・・・繰り返し。
(続)