使い魔15 小さな影
夕方近く、とはいえまだまだ明るい道を、いとしい人の待つ部屋へ帰るべく歩いていく、小さな影。
今日のごはんはなんだろう。
一緒に食べてくれるかな?
そんなことを考えながら歩いていたレイは、足元への注意が少々おろそかになっていた。
ふさっ。
布団に足を突っ込んだような、その感覚にぎょっとして目をやると、子犬か何かを蹴飛ばしてしまっていた。
「やだっ!」
なんてひどいことをしちゃったんだろう、彼女はボーっと歩いていたことを悔いた。
彼女は動物が好きだった。
たいした収入があるわけでもない彼女の住む部屋は、ペット不可。
けれど、もしも余裕があれば、ペット可の部屋に越して犬でも猫でも飼いたいと思っていた。
そんな彼女が動物に、しかも見ればまだ小さな子犬か子猫に不注意とはいえ痛い思いをさせて、平気でいられるわけがなかった。
おまけに、たいした力ではなかったはずなのに、その子犬だか子猫はぐったりと動かない。
「ごめんねっごめんね大丈夫?」
そっと抱き上げると、彼女は迷わずそれを家へつれて帰った。
とにかく保護し、近くの獣医を探して連れて行こう、と。
小さな毛むくじゃらの何かを抱え帰宅したレイは、これ以上ないくらい心配そうな表情をしていた。
それを見ようともしない零は、夕食の支度もほとんど終えて、今はニュースを見ていた。
今日起きた事件や、社会情勢、芸能に興味があるわけではない。
今日の特集”人気のお手頃スイーツ大集合”に見入っているのだ。
そんな彼が視線をテレビに固定させたまま、彼女に言葉だけを投げかけてきた。
「何を拾った」
レイは、よく、見もしないでわかるなあ、と感心する。
腕の中の生き物は、ぐったりしたまま物音一つ立てておらず、言われなければ、何か連れて帰ってきたとはわからないはずなのだ。
だがそれも、悪魔のもつ特殊な力なのかもしれない。
レイは、自分の連れてきた生き物を観察してみる。
早く獣医を探したいところだが、言われてみればこれは犬なのか猫なのか。
ふさふさと長い茶色の毛が生えていて、鼻先が少し長い。
一見犬のようだが、レイたちの会話に反応してうっすらとあいた目は、緑色に見える。
こんな色の目をした犬は見たことがない、よってこれは。
「猫です、・・・たぶん?」
その答えを聞いて、テレビを見ていた零が視線だけをレイに向ける。
その、いつも通りといえばいつも通りの冷たい視線を浴びせられるうち、レイは自分の出した答えにどんどん自信がなくなってきた。
元々どっちなのか、彼女にもよくわかっていないのだ。
本当かよ、とでもいいたげな、あきれているような、ばかにしているような零の視線。
「あ・・・やっぱ犬、きっと犬です!」
そう訂正すると、零が今度は首ごとこちらをむいた。
なぜかそれは、眠っていた怪物を起こしてしまったような”しでかした”感を彼女にもたらした。
「ちがいます?えっと、じゃモルモット?おっきいハムスターとか、あ、チンチラ!チンチラですよきっと!」
どれもこの生き物とは遠い感じがしたが、零から感じるやばいオーラに、もはや彼女は軽いパニックを起こしていて、次々と小動物の名前を挙げるさまは、まるで時間制限付100万円クイズの回答者のようだった。
「全部ちがう」
静かにそういうと零は立ち上がり、答えに詰まって玄関から動けずにいるレイのもとへ近寄ってきた。
「・・・んー・・・、じゃ、わかんないです・・・」
本当は、それが正直な答えだった。
「そうだな、正解だ・・・よこせ。」
すぐ目の前まで来た零が、レイに片手を差し出した。
あまりにも無表情な彼に、この小動物を渡すべきかどうか、レイは迷う。
無表情なのはそれ自体わりといつものことなのだが、それにしても、彼がこれを受け取って可愛がってくれるようには到底見えないからだ。
むしろ、楽にするとか何とか言って、トドメをさしてしまいそうに見える。
「だ・・・め。」
ちょっとだけ勇気を出して、おそるおそる、それでもきっぱりとレイは拒絶する。
零の表情がわずかに動く。
もちろん不機嫌そうに。
「だめですっ!すぐ獣医さんに連れて行きます。零さんに世話してなんていいませんから!」
しっかりと腕の中のものを抱きなおすと、勢いをつけて一気にそう反論し、レイは零の横を通り抜けて部屋に入った。
「無駄だ、それはお前の思ってるような・・・生き物じゃない。」
「獣医さんならこのコが何なのかくらいわかります!ほっといてください。」
そう言われては、使い魔の立場ではいったん引き下がるしかなかった。
かわりに独り言をつぶやく。
「獣医もそんなもの見せられても困ると思うがな。」
零に”かまうな”と命令した主は、その独り言を無視し、クッションの上に大事そうに”そんなもの”を置いて、電話番号案内の本を探していた。
「零さーん、『タウンぶっく』どこしまいましたー?」
そう言って見当違いなクローゼットなんかをあけてから、何気なく振り返った彼女が、叫んだ。
「零さんダメーーーー!」
彼女が見ていないスキに、零は音もなくその翼であの小動物を貫こうとしていた。
あと数センチ、というあたりで彼女の声が勝つ。
「く・・・」
零はうめくと、それを殺すことを断念し、翼を収める。
一瞬前まで確かな質感を持ってそこにあった、闇の色をした翼は空気に溶けた。
「何でそんなことするんですか?」
死んでしまうのが、人ならぬ彼にはわかるのかもしれない。
けれど、彼なりの考えがあるなら、いきなり行動に出る前に話してほしい、と彼女は思った。
その答えがなんであれ、この場で殺すことを許す気はなかったが、それにしても彼の答えは予想外だった。
「それが、俺と同じような魔物だからだ。その借り物のカラダに慣れるまでは、そうしておとなしいだろうが・・・放っておけば、最終的にはお前を殺すだろう。」
「え・・・でも、こんなに小さいし・・・」
名残惜しむようにつぶやくレイ。
そんなことを言われても、いきなり信じる気にはなれないほど、それは小さく、弱々しく・・・可愛かった。
そっと抱き上げてみると、綺麗な緑色の目で見つめてくる。
やわらかい茶色い毛におおわれた、あたたかい小さな生き物。
魔物というよりは、ケモノ、それも可愛いケモノだ。
対して零はと言うと、何を考えているかわからず、時々レイに意地悪をしたりして誠実とはいいがたい、率直に言ってしまえば信用できない相手。
悪魔は天使や、ユウレイ、人の命を食う。
以前零から聞いた悪魔の習性が、レイの脳裏をかすめる。
魔物だって例外じゃないかもしれない。
この小さな可愛い生き物が、本当に魔物だとしたら、の話だ。
零は、力を欲しがっている。
ということは、食べたいから、殺す?
「ダメダメッ!渡しません。」
「なぜだ!おまえ自身が危険なんだぞ?」
意外な抵抗に、零は声を少々荒げる。
一見、レイを心配しているように聞こえる、優しさともとれるこのセリフが決定打となった。
「零さんおかしい!ウソついてるでしょ!」
そう、そんなハズはないのだ。
優しい零などありえない。
だが、まったく優しさがない、とはさすがに思っていない。
いくらレイが零の容姿を美しく感じていようと、そんな相手なら、好きになどなれるはずもないからだ。
零のどこかに、きっと優しさも愛も、わずかなりとも隠れているはずで、それはいつか見つけて引き出せる。
クールでちょっと意地悪だけど、本当は優しい零と幸せに暮らせるときがくる、漠然とそう思っているのだ。
ただ、その考えには確たる根拠などなく、なんとなくそんな気がする、程度でしかないのだが、恋する彼女はそう強く信じていた。
だが、今の零は少なくともこんなにストレートにレイを心配したり、彼女に優しくすることはなかった。
そんな時には必ずほかに目的があるのだ。
笑顔ですら、何か別の目的がない限り、出し惜しみでもしているようにあまり見せてくれない。
「どういうことだ?」
わからない、という表情を彼はしてみせる。
「そんなの、こっちが聞きたいですぅ!もーその顔があやしー!」
表情が変わることすら、わざとらしくしか見えず、そしてそれは正しかった。
(続)