続き 2
さんざんマンガを立ち読みして(実際にはレジ内のスズキの椅子を勝手に占領した)、スズキをからかって、かなりの時間を楽しんだ。
そして深夜、どこも人通りがほとんどなくなったころを見計らって零はふたたび交差点へむかう。
さらに広がった、強い瘴気の漂っている範囲から少し距離をとると、人間には聞き取ることのできない、例えるなら心の声のようなもので、零は化け物のほうに向かってそっとささやきかけた。
いつまで、そこにいるつもりだ?
化け物の一部、まだ比較的新しい死者が零のいるほうにわずかに顔をむけた。
そのままで戦えば危ういが、零は、化け物が複数の死者の寄り集まったものでできている、という部分に賭けた。
だめなら、逃げるまでだ。
だが、この反応を見る限り、いけそうだった。
零はさらに語りかける。
そこは、居心地がいいか?
仲間を増やして、満たされたか?
悔しさ、恨み、悲しみは・・・おまえらの苦しみは消えたか?
さらに何体かが声の主を探すそぶりを見せ、化け物の周りにただよっていた瘴気にも乱れが生じる。
ただじわじわと静かに流れ出し、結界のようにあたりを覆っていたものが、うねりや、ムラをあちこちに生み出し始めた。
俺なら、安らぎを与えてやれる。
それがトドメとなったように、零を探していた死者たちが、本体からみずからの体をひきちぎり、離れ始めた。
零は、先ほどまでよりもやや強い調子で彼らを呼んだ。
ここへ来い、おまえたちの眠る場所はここだ。
さまようようにあたりの空間を漂っていた死者が、その声に反応していっせいに零のもとへ集まってくる。
もう苦しみから解き放たれたい、安らぎがほしい。
そんな死者の望みと、彼らの命を食う零の目的は一致しており、悪魔がいつも行うような”契約”の条件が成立していた。
零の周りにただよう気配はおだやかで、近づくほどに死者たちは苦しみを感じなくなっていった。
彼の中に安らぎがある、そう確信すると彼らは零とひとつになることを強く望んだ。
その望みに応えるように、零は深呼吸をする感覚で、彼らを自分の中にとりこむ。
食われてしまった命は、そこで零の力となって、個としての存在を失う。
それは、食われる側にとって消えてしまうのと同じことではあるが、苦しみもやはりそこで消える、つまり終わるのだ。
零の周りにただよう、おだやかな気配と、彼の中に安らぎがあるという感覚は、彼自身がその魔力ともいうべき力で意識して作り出したもの。
それが、神経ガスのようにあたりへ広がり、死者をからめとっていた。
不安を消し去り、幸福感につつまれる感覚を生み出す、死者を惹きつけるためのまやかし。
けれど、零にとっては獲物をにがさないために作り出しているだけの、その一瞬のまやかしが、確かに消えていく死者たちの救いになっていた。
だから、彼に抱かれる死者は誰もが安らかな表情をし、時に生前の姿すら取り戻し、おだやかに、微笑みながら消えてゆく。
まるで、これから天国に還るのだとでもいうように。
久々に味わう人の命は、鮮度が落ちていても美味だった。
おさまるべき場所をなくし、さまよった時間にねじまげられた命も、そこにまとわりつく、煮詰めたようにドロドロと濃密な感情も。
美しい音楽に包まれているような、体中がふるえるような、幸せとしかいいようのない感覚と、対極にありながら同時に胸を満たす彼らの体験したさまざまな種類の苦しみ。
それらが入り混じる、この感覚。
そしてかすかにどこか、懐かしい感じがした。
これは・・・。
零はその化け物がなぜ生まれたのか、その理由に気づく。
彼らを糧とした零は、姿が変わるほどではないものの、文字通りあっというまに力を増した。
一方、何体もの死者を奪われ、化け物のほうは力をそがれていた。
こちらが増し、そのぶんあちらが減る。
力関係が大きく変わった。
今なら負ける心配はない、零はゆうゆうと化け物の乱れた瘴気の波の中に入っていった。
「おかしいと思ったんだ、この町にこんなものがいたなら俺が知らないわけがない。」
悪魔たちは、自分より弱ければこういった類の化け物を食う。
自分と同じ悪魔でさえ、見つければ、そして相手が自分より弱ければ食ってしまう。
いつ死んだかもわからない、原型をとどめないような死者がまじっているからには、この化け物が出来上がるのにはかなりの時間がかかっていると考えるのが当然だ。
だが、もしこんなものが自分のうろつく範囲にいれば、以前の零が倒して食っていただろう。
それが、こうして大きく育つのを許してしまったということは、これは最近できたものだということになる。
交差点での事故は過去にいくつかあったが、こんな化け物が出来上がるような事故多発地帯ではなかった。
そう、すくなくとも、つい最近までは。
『事故多発!注意!』
今は、そんなふうに書かれた真新しいカンバンが立っていた。
「俺の力、返してもらおうか。」
深呼吸をするように、体全体からあたりにただよう瘴気を吸い込む。
死者たちの意識と混ざって、少し雰囲気がかわってしまっていたため、最初零はそれに気づけなかった。
だが、化け物からはがれた死者を自分の中に吸収したときに、そこにかすかな自分の気配を感じた。
以前、家までやってきた零の影。
あれと同じように、散った自分の力がここにも大きなカタマリとなって残っていたのだ。
この化け物は、いつか散った零の力を得て生まれ、この交差点で死んだ者以外も呼び寄せて急成長したのだろう。
こんな化け物が、まだまだ何体も生まれている可能性があった。
面倒ではあるが、それらを倒して食っていけば思ったより早く元に戻れそうだ、とも思えた。
零が、本来自分のものであった力を吸い取ってしまうと、化け物はさらに弱々しく小さくなった。
瘴気を発することもなく、ここまで弱ってしまえば人に危害を加えるのも難しいだろうと思われる、薄暗い空気のよどみ。
けれど、零はそれで勘弁してやる気はなかった。
もつれ、からまり、癒着した死者のかたまりの中の一体に向かって、零の髪が一房伸びていく。
成長する植物の映像を早回しで見ているように、うねりながら、けれど素早く伸びたそれは、死者の首のあたりに巻きつくと、恐ろしい力でそれを引っ張った。
めりめりと音が聞こえてきそうなほど無理なやり方で、化け物の本体から、死者が引きちぎられてゆく。
一体、また一体と引きちぎっては、さらにその体を零の髪がいくつもの房を伸ばしてあちこちから引っ張り、八つ裂きにした。
バラバラにされた死者は、蒸発するように空気に散っていき、その一部を零が吸収する。
契約によるものではない、暴力的なやり方で命を吸収しようとすると、その大半は吸収する前に空気に散っていってしまう。
こういうやり方は効率的ではないが、それでも契約できる見込みのない相手に対して悪魔たちは常にこうしてきた。
やらなければ、次に出会ったときに自分がやられるのだ。
人型を保っていた死者のすべてを引き裂くと、零は地面にうごめいている、形すら保てないものたちを踏みつける。
その衝撃で、くちゃくちゃとした、ずっと昔、人だったものはすっとその存在を解いて、消えてしまう。
あの大きな化け物をあとかたもなく消し終え、結果的に零はかなりの力を吸収していた。
持てる力に応じ、彼の姿がまた変わろうとする。
一瞬そのシルエットが乱れ、すぐにまたはっきりとした姿をとりもどす。
が、相当回復したはずの彼の姿は、たいした変化もなく、依然小学生くらいにしか見えない。
変化したはずの自分の体を見ても、彼自身でさえ違いがわからず、零は小さくため息をついた。
もうすぐ明け方、という時間、部屋に帰ると当然レイは寝ていて、零は起こすと面倒だ、と、こっそりその隣にもぐりこむ。
霧状になって入り込んだ布団の内側で、ゆっくりと人型にもどるという、人間にはマネできない、けれどできる限り刺激を与えない方法で。
が、よく眠っていなかったのかレイは目を覚ましてしまった。
「れぇさん・・・ぉかえり、なぁ・・・い」
あまりろれつの回らない、半分寝ているような、甘えているような、小さな声。
もしかしたら、彼女の眠りが浅かったのは、何も説明せずに出て行った零のせいなのかもしれなかった。
部屋の電気はついていなくとも、家電などから発せられる微かなあかりがあり、全くの闇というわけではない。
レイが安心した表情でふんわりと笑っているのが、なんとなくわかった。
家を出てくるときには、この笑顔に頭突きをかましたんだっけな、思い出しながら、けれどさしたる感情もなく零は短く答える。
「ん。」
やはり眠いことは眠かったようで、彼が答えたときにはレイは微笑んだまま、ふたたび眠りに落ちていた。
やがて、彼も静かに眠りにつく。
ふわふわとやわらかな、彼女の笑顔の隣で。