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使い魔日記  作者: narrow
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使い魔14 動かぬ影

 まったく、何で俺が主婦に混じってセール価格の牛肉なんか買いに行かなきゃいけないんだ。

 『零さんこれ!すっごい安い!絶対買っとくべきだとおもいません?いつも零さん行くトコよりちょっと遠いですけど・・・明日なんで、お願いします!』

 いくらか安いのは確かだが、あんなに興奮するワケがまったくわからない、と零はおもうのである。

 なぜなら、零がいることによって多少の食費の増加はあったものの、小さくなってしまう前に”仕事”をして稼いできた金は、まだまだ余っているのだ。

 主夫業をやらされているとはいえ、金銭感覚の必要ない悪魔の彼に、節約・お得・貯蓄、という概念はなかった。

 ただし、だからといってレイが節約上手というわけでもなく、彼女はどちらかといえばやりくりの上手い方ではない。

 それでも、お得ならそのほうがいい、くらいの感覚は持っていた。

 そんなわけで、不満というほどのものでもないが、気が進まない零はいつにも増した仏頂面で、昼間の明るい町を歩く。

 その姿は、イヤイヤお使いに行かされる子供そのもので、とても自然に日常の風景に溶け込んでいた。

 ふだんはあまり通ることのない、大きな道路にぶつかる交差点にさしかかると、零は足を止めた。

 勘の鋭いタイプの人間ならば気づいてしまう程度に、そのあたりの空気が変わっていたからだ。

 あたりを薄暗くするほどの瘴気を放つそれは、交差する道の真ん中あたりで、空気のわずかな動きにさえ揺れているように、踊るように絶えずその形を変えながら、けれどその場所から動くことはなかった。

 一般に「霊感」などと呼ばれる種類の力を持っている人間や、零のような存在には、”それ”がなんであるのかが正確にわかる。

 その存在は大きく、その類のものにしては珍しいほどはっきりとしていた。

 死者だ。

 ただし、一人ではない。

 いくつもの死んだ人間の思いが絡まりあい、一部は融けあい、ねじれ、もつれてかなり大きな化け物になっていた。

 それからにじみ出る瘴気、というか無念、悪意、悲しみの入り混じった空気に触れても、たいていの人はなんとなく居心地が悪いな、と感じたりするだけだ。

 だが、重大な悩み事を抱えていたり、疲れきっているようなときには、その空気に心を呑み込まれてしまう。

 呑み込まれた結果、どうなるか。

 彼らの仲間入りだ。

 生きていても悲しいだけなら、いっそあの車の前に身を投げ出してしまおうか。

 今、ブレーキを踏まなければ、あの幸せそうな親子の人生を壊してやれる、自分よりも幸せそうな人間はみんな死んでしまえ。

 前を走るあの車に突っ込めば、この無念は晴れる・・・この無念って、なんだっけ・・・まあ、いいか。

 死んで彼らの一部になる者、人の心を手放して怪物に変わる者、どちらにしても人間としての生は終わりだ。

 あれが零に気づけば、呑み込んでさらに大きくなろうと襲い掛かってくるだろう。

 数えられるだけで十数人もの死者がからまりあい、もう原型もわからなくなってしまったくちゃくちゃがまとわりつく大きなそれ。

 かなりの範囲にまきちらされている瘴気。

 勝てるかどうか、自信はなかった。

 あっさりと、零はその道を通るのをやめた。

 君子危うきに近寄らず。

 勝てる見込みのない勝負はしない、零が長く生きてこれたのは、さほど闘争心が旺盛でないせいもあった。

 少々の回り道をして、スーパーで目的のものを手に入れ、夕飯の買い物もすませると、零は例の道を避けさっさと家に帰る。

 夕方、少し暗くなってからレイが帰ってきた。

 「零さーん、お買い物ちゃんとできましたか?」

 にこやかにそう話しかけてくるレイを、零がにらむ。

 いくら見た目が10歳くらいに見えても、子供扱いなど冗談ではない。

 ここで感情的になるあたりが、子供っぽいといえば子供っぽいのだが、悲しいかな本人は気づかない。

 レイはレイで学習能力が足りず、もう何度もこうして零の機嫌をそこねていた。

 「ぁぅ・・・ごめんなさい零さん。」

 レイがあやまると、零はぷいとテレビの方へむいてしまった。

 その仕草もまた、子供の姿でされると可愛らしく、実はレイの目を楽しませているのだが。

 零は、テレビを消した。

 黒い画面には、レイが映りこんでいる。

 レイのほうからは零の顔が映って見えた。

 画面をじっと見たまま、零が話しかける。

 「レイ、お前今日・・・何か変わったこと、あったか?」

 「え?いえ、特に。」

 急に不思議なことを訊かれたが、零が自発的に起こす行動をレイが予測できたことなどなく、それはそれでいつもどおりだった。

 お茶でもいれようというのか、レイがキッチンへ行こうとすると、零は静かにそれをとめた。

 「ちょっと待て。」

 何の感情もない、やはりある意味いつもどおりの口調で。

 「はいっ。ご、めんな、さい?」

 さっき零を怒らせたばかりのレイは、恐る恐るもう一度あやまった。

 零が呼び止めたのは、レイにまとわりつくもののせいだった。

 なので、レイが謝ることは全くないわけだが、零は彼女にそれを告げてやるでもなく、まとわりついているものへテレビごしに視線を注ぐ。

 直接それに視線をやればレイをおびえさせかねず、面倒だからだ。

 反射する画面を介してなら、少しは視線の向きもごまかせる。

 本人にはまったく見えておらず、感じてもいないらしいそれは、発する雰囲気からして今日、零が交差点でみかけたものの一部だった。

 うすら黒いもやのような尾をひいて、半透明の、濁った空気のようなボール状のものが、レイの周りをゆっくりと漂っている。

 まるでどこからか入り込める場所を探しているかのようだった。

 よく見るとそこには顔があり、レイを見てにやにやといやらしく笑っている。

 いい獲物を見つけた、とでも言うように。

 零の存在、彼がなんであるかにも気づいていないようだ。

 それをにらんだまま、零の瞳がうっすらと紫色の光をともすと、むこうもやっと零に気づく。

 零のつぎの言葉を神妙に待っているレイのほうは、彼の微妙な変化にはどうやら気づいていない。

 交差点にいた大きな塊を相手にするのは少し抵抗があったが、これ一体ならば楽勝だ。



 対して、向こうは零に狩られる前に逃げようと、レイをあきらめ、離れていこうとしていた。

 そのとき、空気がかすかに動き、レイのすぐそばを黒い何かがさっと通り過ぎた。

 零の背から伸びたコウモリのような黒い翼の先端が、レイのすぐ斜め後ろあたりの床に突き刺さっている。

 生物ではありえないような角度のカーブを描いている翼に対し、零自身は先ほどと同じ姿勢で、ただ座って黒い画面を見たままだ。

 一瞬で、その翼はかき消えた。

 レイは気づいていなかったが、床自体には1mmの傷もついていない。

 「ぅえぇ〜?そんなに、怒らなくっても・・・」

 何が起こったのか解っていないレイは、すっかりおびえてしまっている。

 「怒ってるんじゃない。おまえ、商店街の手前の交差点を通ったな?」

 横目でレイにちらりと視線をくれて、零が質問、というよりは確認してくる。

 その、何も感じていないような表情をいくら見ても、本当に怒っていないのかどうかはわからない。

 レイは考えるのをやめて彼の言葉を信じることにした。

 そして、今までの展開に何も関係なさそうな質問に、きょとんとした顔で答える。

 「あ、はい。」

 「もう、通るな。」

 始末できないことはないだろうが、少し危険だった。

 おおらかで能天気なレイは、ああいったものの影響を受けにくいだろうが、それでも落ち込むときぐらいあるだろう。

 そう思っての忠告だったが、意外なことに反論された。

 「えー、なんでですかぁ?遠回りになっちゃうんですけどぉ。」

 なんの説明もなく命令のように言われたことが不服なのか、それとも本当に遠回りがイヤなのか、見れば少々ふくれっ面だ。

 「・・・なんて・・・・・・丸いんだ。」

 もともと少し丸顔のレイが頬をふくらますと、いっそう丸く見え、その風船のような奇跡の造形は思わず零にそんなことをつぶやかせた。

 「ん・・・零さぁん!?」

 レイが眉を吊り上げて零を叱る。

 少しばかり顔が丸いのは、自分でも気にしているようだ。

 「・・・悪い。」

 意図して彼女を怒らせたわけではなかった零は、その剣幕に少々驚いて、柄にもなくつい謝ってしまった。

 謝られたほうも、いやにあっさり引き下がられて、大きな目を丸くした。

 「あ・・・・・・いえ。」

 二人の間に沈黙が下りる。

 レイは、ただいつもと違う展開に驚いていただけだったが、零のほうは違うことを考えていた。

(続)

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