続き
「今日もいたんですけど。なんか、昨日より家に近いんです。」
次の日、帰って来たレイはまずその話からはじめた。
「あたし、とりつかれてないですか?」
暗い顔で恐る恐る聞いてくるレイに、零は実にあっさりとこたえる。
「怖い話のみすぎじゃないか?何の気配もない」
見すぎだとしても、それは明らかに零のせいなのだが。
だんだんと近づいてくる怪異、というのは有名な都市伝説であったハズだ、確か電話を使って。
その影響で、そんなものを見ている気になっているのかもしれない。
が、何の気配もない、というのはウソだ。
零はかすかにレイにまとわりつく空気を感じ取っていた。
レイの見る零によく似た影と、それが関係あるのかはわからなかった。
なんだか懐かしいそれは、よく知っているハズなのに、何なのか思い出せない。
害をなしそうなものには思えないので、不安がらせても面倒だ、と伏せておくことにした。
そして、それからもレイの目撃報告は続き、なぜか影はだんだんとレイたちの部屋へ近づきつつあった。
10日もした頃には、レイの取り乱しようはかなりひどいものになっていた。
「もうダメです!ガマン限界!怖すぎます!助けてくださいよー!!」
玄関へ走りこんできて、半泣きで一気にまくしたてた。
「今日はどこまで近づいてきたんだ?」
怯えきっているレイの感情をちゃっかり吸収しつつ、面白がりつつ零はきく。
「もうそこ!すぐそこ!えっえふっ・・・うえええええん!」
思い出して怖くなってしまったようで、レイは泣き出した。
うるさいなあ、と思いながらボリューム全開な彼女に、零は近寄り、アタマをぽんぽんと軽く触った。
さっさと泣き止ませるべく、なだめようというわけだ。
「じゃ、明日あたりスズキに手伝わせて始末するから。な?」
スズキのほうの予定は全く考えず、頭から呼びつける気でいる零だった。
「うぅ、ぐす、はいっ、ぇくっ、ありがと、っれいさん・・・ティッシュとってください。」
ティッシュを渡すと、涙とハナミズをふくレイを放って零は、なんとなく気になった窓のほうへ歩み寄った。
この部屋は3F。
ベランダに出て、下の通りを見る気になったのは、なぜだか自分にもわからない。
あとになって思えば、呼ばれていたのだろう。
通りには、黒く長い影があった。
「!」
あれは、自分だ。
長い黒髪を振り乱し、顔は良く見えないが、こちらを見上げているようだった。
見あっていたのは、時間にして2、3秒だろうか。
「零さん、・・・」
背後からレイに呼ばれ、意識が一瞬そちらへ向いたと思ったら、もう影は消えていた。
「ああ、食事か。仕度する。」
また泣き出されてもたまらない、レイには話さないほうがいいな、と零は思った。
「本当にきみだったの?」
レイの部屋で、スズキと零は家主の帰りを待つ。
「本人が言うんだからまちがいない。」
レイのベッドの上であぐらをかいて、えらそうに腕組みをする零。
「ふうーん、ってかきみカラダちっちゃくなっても態度はおっきいままなんだねー」
愉快そうにあはは、と笑うスズキを零がにらみつけていると、爆音がしてドアが開き、レイが転がり込んできた。
「・・・!」
ベッドの上の零に駆け寄ってくると、声にならない声をあげて、彼の服のすそをつかんで頭を押し付ける。
怯えきっているレイを見て、スズキと零がわずかに緊張した表情をうかべる。
来た、ということだろうか。
「レイ、見たのか?」
零が問いかけると、ゆっくりレイが顔をあげる。
「・・・いえ、今日は。」
無意味に怯えているだけらしかった。
天使と悪魔の二人は、一気に力が抜けるのを感じた。
「まぎらわしい。離れろ、ばか。」
レイのアタマを手のひらでおしのけようとする零。
「だってぇ、怖かったんですー」
不満げに訴えるレイ。
「零くん、そんないいかた・・・」
とりなそうとするスズキ。
ほどよく緊張感のない雰囲気が、場に流れた瞬間だった。
ゴンゴン。
ドアをノックする音がひびく。
妙に強く、重い音。
ビクン、とレイのカラダがはねる。
「あれって、もしかして・・・」
まだ零の服をつかんだままの手に、力が入る。
「さーなー・・・そうかもなー。放せよ、俺が出る。」
投げやりに零は答えて、立ち上がろうとする。
「でも、悪いユウレイだったら?」
不安そうなレイ。
「スズキがいる。だろ?」
零の視線をうけ、力強くスズキがうなずいた。
ゴンゴンゴンゴン!
さっきよりも強く、ノックが響いた。
まるで脅すかのように。
ドアにむかう零のすぐ後ろにスズキが控える。
「開ける、ぞ。」
「ん。」
が、ちゃ。
ゆっくりとひらいたドアの向こうには、闇が広がっていた。
闇そのものに見えるそれの大きさは、ドアの高さを超えていた。
その姿は、零だった。
零がレイにまとわりつくそれの気配を、懐かしいと感じたのは、自分自身の一部であったからに他ならなかった。
見上げると、それは、振り乱した長い黒髪の間からのぞく、ほとんど色のない瞳でただ零を見下ろしていた。
「何だ・・・これ。」
零の、驚いているような呆れているような声。
それは、その零のそっくりな存在は、なにをするでもなく、ただ異様な雰囲気を放ちながら、こちらを見ているだけだ。
それはただそこにあるだけで、何の意思もないように見え、まるで影のようだった。
スズキは、いつでも助けに入れるように身構えながら、零の様子をうかがっていた。
零は無意識なのだろう、わずかではあるが、まるで後ろのレイを守るかのように腕をのばし、かばう体勢で自らの影をにらみ上げていた。
それは使い魔の性質によるものかもしれなかった、が、それでもスズキはそんな零に少なからず好感を覚えた。
いま彼らが対峙する影は、それなりの力を感じるものの、そうしようと思えばスズキにとってはさほど苦労せず始末できるほどのものでしかなかった。
ただ、そうしないのはこの影から何も感じられないからだ。
悪意も、そして善なる意思も、ついでに知性も。
悪意も善意もなく、ただここにやってきた零そっくりの影。
一体なんのために。
目的がわからず、また零そのものの姿に零もスズキも戸惑っていた。
自分の一部ならば、抵抗されないうちに吸収すべきか、と零が考え始めた、そのとき、影がしゃべった。
エコーがかかったような、遠い声。
直接心に聞こえているようにも感じた。
”ミツケタ”
影が、細かい粒子となり、そして蒸散した。
消える瞬間に聞こえた声は
”タダイマ”。
零もスズキも、一瞬のことにただ呆然としていた。
消えたと見えたそれは、零の中に帰っていったようだった。
なぜならその瞬間、一瞬零の姿がブレたように見え、再びその姿をとりもどした時、彼は、少しだけ大きくなっていたからだ。
やはりそれは、彼の一部であった。
ただ、大きくなったと言っても、せいぜい10歳くらいにしかみえなかったが。
「あれ、なんだかおっきくなりました?」
しばらくして落ち着いたレイがそう言うと、零は不機嫌に彼女をにらみつけ、スズキが小さく笑った。